歴史と人間、そして意味を探し求めて
「写真は、私の命を救ってくれたセラピーでした。その影響の大きさを表すのに、これ以上的確な言葉はありません。」
Between History, Humanity, and the Search for Meaning
デイヴィッド・デゲリン(David Degelin)は、初めから写真家を目指していたわけではありません。さまざまな経験を経て、写真の道へ進むことになりました。最初に専門として選んだのは考古学で、ベルギーのルーヴァン大学で修士号を取得。その後、大学院で社会・文化人類学を学びました。どちらも一見すると視覚芸術とは縁遠い分野ですが、そこで得た知識や考え方が、現在の写真制作の土台となっています。考古学では、忘れ去られた人々の営みの痕跡を見つけ出す感覚を養いました。人類学ではさらに、そうした痕跡に意味を与える人々の感情や儀式、社会の実情に目を向けるようになりました。二つの学問を修めたことで、物事をさまざまな角度から深く捉える独特の視点が育まれ、今も彼の写真の一枚一枚に生かされています。デゲリンは、芸術と学問を切り離すことなく、両方の考え方を写真に取り入れています。目に映る姿だけでなく、記憶やアイデンティティ、そこにある感情にも目を向けているのです。彼にとってカメラは、単に目の前の出来事を記録するための道具ではありません。人生のさまざまな経験を結びつけ、自分ならではの写真表現を生み出すための手段でもあります。
デゲリンは幼い頃から、さまざまな芸術に囲まれて育ちました。映画監督だった父親は、映画や文学、クラシック音楽、美術に並々ならぬ情熱を注ぎ、家族にも熱心に触れさせていました。しかし、子どものデゲリンにとって、それらは刺激になるというより、時に圧倒されるものでした。自分の意思とは関係なく押し付けられているように感じ、その世界から離れたいと思っていたのです。それでも9歳のとき、父親が所有していた第二次世界大戦前のコダック・モデルBを使い、身近な出来事を撮り始めました。当時は芸術作品を作ろうという意識はなく、休暇の思い出や日常の何気ない場面を記録していただけでした。思春期に入って父親との対立が深まると、デゲリンは自ら写真を撮ることをやめました。父親とは違う自分自身の道を歩みたいと考え、歴史を研究すればまったく別の未来が開けると信じて考古学を選んだのです。ところが皮肉にも、博物館を訪れたり考古学の調査に参加したりするうちに、再び芸術に触れる機会が増えていきました。一度は遠ざけようとした創作への関心が、少しずつよみがえってきたのです。
その後、デゲリンは芸術からさらに離れた道へ進みます。学業を終えて企業に就職し、プログラマーやプロジェクトリーダー、チームマネージャーとしてキャリアを積みました。組織の仕組みや手順に従って働く日々が長く続くうちに、学生時代の彼を動かしていた探究心は次第に薄れていきました。仕事は安定をもたらしましたが、精神的な疲労も積み重なり、やがて深い絶望に陥るほどになりました。そんな苦しい時期、伴侶は、写真家としての成功を目指すのではなく、ただ喜びを取り戻すために、もう一度写真を撮ってみるよう勧めてくれました。写真に戻るという選択が、デゲリンの人生を大きく変えました。写真は創作活動であると同時に、彼自身を癒やす大切な手段となり、何もかもが不確かに感じられた時期に、再び物事を明確に捉える力を取り戻させてくれました。これまでの人生を振り返ると、どの経験も今の自分の写真表現に欠かせないものだったとデゲリンは考えています。考古学で培った緻密な分析力、人類学を通じて育んだ他者への共感、技術分野の仕事で身につけた規律、そして個人的な苦難から学んだこと。そのすべてが、今の彼の写真の一枚一枚に生かされています。
写真家のデイヴィッド・デゲリン氏
登場:チエン・ジャオ(Qian Zhao)
デイヴィッド・デゲリン:絵具ではなく光で描く
デイヴィッド・デゲリンが強い影響を受けてきたのは、写真家だけではありません。何世紀にもわたるさまざまな芸術の伝統から着想を得て、自身の写真表現を築いています。なかでも、ベルギーのシュルレアリストであるルネ・マグリットとポール・デルヴォーは、彼の想像力に大きな影響を与えています。二人の作品から、現実と心理的な暗示の境界を曖昧にする表現への関心を深めました。ありふれた場所を、さまざまな解釈ができる謎めいた空間へと変える彼らの手法は、デゲリン自身の写真にも深く通じています。さらに、フランスやオランダのバロック絵画に見られる劇的な明暗の対比、スペイン古典主義の重厚な感情表現、ラファエル前派の抒情性、フランス・ロココの洗練された優雅さからも影響を受けています。こうした芸術の伝統に触れることで、画面の雰囲気や構図、物語に緊張感を生み出す方法への理解を深めてきました。ただし、過去の芸術様式をそのまま模倣するわけではありません。それぞれの視覚表現の特徴を現代の写真に取り入れ、演劇的な美しさと抑制された感情表現を両立させています。彼の写真は、偶然の一瞬を捉えたスナップ写真というよりも、一つ一つの場面を慎重に組み立てた作品として仕上げられています。
日本の美意識も、デゲリンの写真表現に大きな影響を与えています。浮世絵師の喜多川歌麿と葛飾北斎からは、緻密に考えられた構図や豊かな余白の使い方、簡潔で優雅な表現の魅力を学びました。こうした美意識は、細部を詰め込むよりも、画面の中の要素をさりげなく組み合わせることで伝える写真を好む、彼自身の考え方にも通じています。また、フィルム・ノワールやヨーロッパ映画にも強く惹かれており、光を巧みに操ることや静けさ、心理的な雰囲気への関心は、そうした映画からも影響を受けています。デゲリンは、劇的な動きに頼らず、静けさの中に緊張感を生み出すことがよくあります。見る人にじっくりと写真を眺めてもらい、画面の中で語られていないことにも思いを巡らせるよう促しているのです。こうした映画的な感覚が、彼の写真に独特のリズムを与えています。人物の身振りや影、周囲の環境が組み合わさって物語が生まれますが、その解釈は意図的に見る人に委ねられています。
写真家たちの作品からも、同じように豊かな刺激を受けています。その作風は実にさまざまです。山本昌男と楢橋朝子の作品からは、静かに物事を観察することによって生まれる表現の力を、荒木経惟とチャン・ハイアルからは、親密さや人間の傷つきやすさに恐れず向き合う姿勢を感じ取っています。ソール・ライター、ヴィヴィアン・マイヤー、ドロシア・ラングの作品は、感受性と忍耐をもって見つめれば、ありふれた都市の風景にも驚くほど深い感情を見いだせることを示しています。また、マン・レイの実験的な試みも彼に刺激を与えており、ピーター・リンドバーグとヘルムート・ニュートンからは、ポートレートやファッション、人物の存在感を捉える表現について影響を受けています。デゲリンは、こうした作家たちの表現を個別に引用するのではなく、それぞれから得たものを吸収しながら、自身の表現を絶えず発展させています。絵画や映画、版画、写真から受けた影響は互いに結びつき、彼の作品を形づくっています。そこでは、何を写すかと同じくらい、写真の雰囲気も重要な意味を持っています。そして、視覚的な美しさは常に、感情をより深く探るために生かされています。
登場:カサンドラ・バレ(Cassandra Balle)
既成の価値観を超えて見つめる孤独の美
デイヴィッド・デゲリンの写真表現を語るうえで、〈If the Wind Scares You〉(風が怖いなら)シリーズの一枚は特に重要です。撮影場所はベルギー沿岸のオーストダインケルケにある風の強い砂丘で、モデルを務めたのはカサンドラ・バルです。この写真は、ベルギーの印象派画家アンナ・ボックが描いた海辺の風景画から着想を得ています。絵画へのオマージュというだけでなく、絵画的な写真表現を追求してきたデゲリンにとって、重要な節目となった作品です。ここでは風景が単なる背景ではなく、空気感や動き、人物の存在が一つにまとまり、感情を伝える場となっています。この作品をきっかけに、孤独を肯定的に捉え直すことと、一般に受け入れられている美の基準を見直すことが、彼の制作における二つの主要なテーマとして確立されました。どちらも今なお制作の方向を示すとともに、現代の視覚文化では見過ごされがちな経験について、見る人が考えるきっかけを与えています。
デゲリンにとって、孤独はただ避けるべきものではなく、さまざまな感情を伴う複雑な状態です。西洋の多くの社会では、一人でいることが見捨てられることや孤立、精神的な苦しみと結びつけられがちだと彼は指摘します。孤独を表す言葉にも否定的な意味が付きまとい、前向きに捉える余地があまりありません。デゲリンは、孤独を自分自身と向き合い、心を新たにし、創造の可能性を見いだせる時間として描くことで、こうした考え方に疑問を投げかけています。彼の写真に一人の人物が登場することが多いのも偶然ではなく、意識して選んだ構図です。そうした人物の姿は、静けさを空虚なものではなく、自分自身を変える機会として捉えるよう、見る人に促しています。デゲリンは、孤独を敗北として描いているわけではありません。彼が写真に収めるのは、現代生活の喧騒やさまざまな刺激から離れ、人が再び自分自身と向き合う瞬間です。撮影する環境を入念に整え、過度に語りすぎない表現によって、一人でいることを静かな強さの源へと変えています。
同じ写真には、従来の美の概念を広げようとするデゲリンの姿勢も表れています。彼は、年齢やジェンダー、画一的な身体的特徴といった限られた条件で人の魅力を判断する、現代の美の基準に疑問を抱いています。美しさは一つの基準で決まるものではなく、人によって感じ方が異なり、常に変化していくものだと考えています。写真によっては、古典絵画を思わせる、現実にはほとんどあり得ないほど理想化された美を意図的に追求することもあります。一方で、日本の美意識である「わび・さび」を取り入れ、不完全さや移ろい、未完成であることの美しさを大切にした作品も制作しています。オーストダインケルケで撮影した一枚では、一見すると正反対に思えるこの二つの考え方が、繊細なバランスで共存しています。広々とした風景の中に写る人物は、完璧な美を示すための存在でも、美しさそのものを否定するための存在でもありません。ここでの美しさは、ありのままの姿やその場の雰囲気、偽りのない感情から見いだされるものです。こうした考え方から生まれるデゲリンの写真は、単純な分類には収まりません。見る人にも、美しさの価値を自分なりに捉え直すよう促しています。
登場:カサンドラ・バレ(Cassandra Balle)
デイヴィッド・デゲリン:筋書きのない世界で直感を信じる
デイヴィッド・デゲリンの制作方法は、入念な準備を重視するものから、直感や偶然を受け入れるものへと少しずつ変化してきました。活動を始めた頃は、ムードボードや綿密に練ったコンセプトが、撮影の方向を大きく左右していました。しかし、計画を立てすぎると、写真を大きく変えるような思いがけない発見の機会を逃してしまうことに気づいたのです。現在は大まかな方向性だけを決め、撮影中に目にしたものや、その場の状況に応じて構図を考えていきます。ロケーション撮影が中心のため、天候の変化や通りすがりの人々、刻々と変わる光、予期せぬ出来事も自然と作品づくりに関わってきます。デゲリンは、こうした要素を邪魔なものと考えず、意図的には作り出せない自然な真実味を写真にもたらしてくれるものとして歓迎しています。すべてを思いどおりにしようとせず、偶然を受け入れる姿勢は、彼の芸術観にも通じています。完璧さを追い求めて厳密に管理するよりも、柔軟に対応することで、より偽りのない感情を写真に表せると考えているのです。
デゲリンの制作では、モデルとの協力関係も同じくらい重要です。撮影では一方的に指示を与えるのではなく、互いの信頼を大切にし、モデル一人ひとりの感情や個性を尊重しています。決められたポーズや動きを押し付けず、モデルがその場で見せる反応や雰囲気を丁寧に受け止めながら、撮影を進めていきます。互いに心を開くことで生まれる写真には、偽りのない感情が表れ、見る人がそれぞれに解釈できる余地も残されています。撮影を通じて築かれた関係は、一度の撮影で終わらず、彼の写真表現に欠かせないものとなっています。モデルもまた、デゲリンと共に作品を生み出す大切なパートナーです。モデルの感性や直感、その人ならではの存在感が、彼自身の構想とともに写真の仕上がりを左右します。デゲリンは、芸術家がすべてを思いどおりにするよりも、互いを理解し合うことで意味のある写真が生まれると考えており、その思いはモデルとの制作にも表れています。
今後、デゲリンは長年取り組んできた「孤独の美」というテーマを、ブリュッセルの街でも追求しようとしています。新しいプロジェクトでは、ファインアート写真で培ってきた洗練された表現を、人々が絶えず行き交い、予期せぬ出来事が起こる活気ある都市の風景に取り入れる予定です。個人的な感情と静かに向き合う時間と、絶えず動き続ける街の活気。その対比から、人混みの中にも存在する孤独を新たな角度から見つめようとしています。また、チエン、クロチルド、カサンドラ、シルヴィ、ナオミ、シエン、ウルリケ、ミリ、エカテリーナなど、これまで信頼関係を築いてきた人々とも引き続き協力していきます。彼ら一人ひとりの存在は、デゲリンの制作に欠かせません。これからも共に、華やかな演出よりも誠実さを大切にし、人と場所との出会いから自然に生まれる感情を写真に収めようとしています。デゲリンにとって写真は、今も自分自身と向き合い、芸術表現を探り続けるための大切な手段です。その作品は、すぐに答えを示すのではなく、見る人にじっくりと思いを巡らせる時間を与えてくれます。




