「私は絵具の中に自由を見つけました。悲しみやトラウマ、心の奥に埋もれた記憶、ストレスから解き放たれる自由です。」
アレクサンドラ・ベイカー:色彩が癒やしへの道になるとき
アレクサンドラ・ベイカー(Alexandra Baker)は、絵を描きたいという強い思いに突き動かされ、制作を始めました。子どもの頃に美術教室に通った経験はありましたが、本格的に絵画に取り組んだのは2018年、カリフォルニア州サンディエゴで暮らしていたときです。心の奥から湧き上がる強い思いを次第に無視できなくなり、キャンバスと絵具を買い求めました。初めて筆を手にしてキャンバスに向かった経験は、単なる創作の試みをはるかに超えるものとなりました。それは、祈りと癒やし、芸術的な発見が一つになる、きわめて個人的な歩みの始まりだったのです。テネシー州メンフィスで育ったベイカーは、独学で絵画を身につけた2SLGBTQIA+の画家です。バーモント州やイタリアで暮らした経験もあり、そうした生活は彼女の視野を広げるとともに、創作との深く個人的な結びつきを強めてきました。ベイカーにとって絵を描くことは、学問として技術を身につけるためのものではありません。キャンバスは、色彩や動き、直感に身を任せながら、心の奥にある偽りのない感情を自然に表せる場所なのです。
絵を描くことで見いだした自由は、ほどなくベイカーの心の健康と切り離せないものになりました。言葉だけでは十分に表現できなかった悲しみやトラウマ、心の奥にしまい込んだ記憶、積み重なったストレスが、筆を動かすたびに少しずつ和らいでいきました。自分の経験をそのまま絵にするのではなく、鮮やかな色彩で感情の変化を伝える、直感的な表現を育んできたのです。こうした制作の積み重ねから生まれたのが、彼女が「Healing Thru Color」(色彩を通じた癒やし)と呼ぶ考え方です。初めて筆を手にしてから何年もたった今も、この理念は画家としての彼女を形づくっています。一枚一枚の作品には、実際に経験してきたことと、精神的な内省との対話が表れています。個人的な物語は、見る人にも通じる感情へと広がり、鑑賞者が作品の中に自分自身の一面を見いだすことも少なくありません。ベイカーの絵は、何かを説明するというよりも、見る人それぞれが自由に意味を見いだせるよう誘いかけています。その根底には、彼女自身が生きてきた経験と、そこから生まれた偽りのない思いがあります。
信仰もまた、ベイカーの制作に欠かせない存在です。彼女にとってアトリエは、心を癒やし、祈り、遊び心を持って過ごす場所でもあります。創作においても、すべてを思いどおりにしようとするより、信じて身を委ねることを大切にしています。鮮やかな色彩を選ぶのも、単に見た目の印象を強めるためではありません。色には、制作のあいだ、感情にも精神にも深く響く力があるからです。ベイカーは作品の意味を一つに決めるのではなく、見る人がそれぞれの人生経験を重ねながら、自由に絵と向き合うことを望んでいます。そこから、作家と鑑賞者、そして創造主とのつながりが生まれます。こうした開かれた姿勢によって、絵は完成後も生き続けます。見る人との出会いのたびに色彩の持つ意味も変化し、一人ひとりに慰めや自分を見つめ直す機会、新たな可能性をもたらしてくれるのです。
アレクサンドラ・ベイカー:自らの痛みから、広がる思いやりへ
ベイカーが制作を始めた頃の重要な作品の一つに、《7 Directions》(七つの方角)があります。制作当初は《Grief Relief》(悲しみを癒やす)という仮題が付けられていました。ベイカーが初めて販売した絵でもあるこの作品は、彼女が通っていた小規模なキリスト教系高校に在籍し、同性愛者であることを理由とするいじめによって命を落とした若い女性の記憶から生まれました。この作品には、彼女を悼む気持ちと深い思いやり、祈りを通じて人の心に寄り添いたいという願いが込められています。ベイカーはその女性の生涯をたたえるとともに、悲しみを抱える人々に慰めを届けたいという思いで、この絵を描きました。何年もたった今なお、彼女の作品の中で最も人気のあるプリント作品であり、そこに込められた思いは、希望や癒やし、心の安らぎを求める人々に深く届き続けています。
癒やしは今もベイカーが絵を描き続ける原動力であり、彼女自身の人生にも深く関わっています。絵を描くことで、かつては自分でも意識していなかった感情や記憶を、目に見える形で表せるようになりました。制作を始めた頃には、まだ言葉にできない無意識の中にあった経験が、絵具の質感や色彩となって画面に現れることがありました。やがて、そうした記憶の一部がよみがえり、セラピーやヨガ、そして絵を描き続けることによって、少しずつ向き合えるようになったのです。ベイカーにとって、心の健康と創作は切り離せないものです。どちらも互いに深く関わっており、一枚の絵を描くたびに、それまで心の奥に隠れていたものを解き放ち、心を癒やしながら成長していく機会が生まれています。
こうした自身の癒やしの経験は、やがて、より多くの人々が共に癒やされることを願う思いへと広がっていきます。ベイカーは、一人ひとりが自分の痛みを手放すことが、より広い社会で他者を思いやる気持ちを育むことにもつながると考えています。何も描かれていないキャンバスは、沈黙の代わりに思いを表す場所となり、心に抱えてきた重荷は、見る人の共感を呼ぶ絵へと姿を変えます。彼女の作品は明確な答えを示すものではありません。人の傷つきやすさを認めながらも、困難から立ち直る力や赦し、人とのつながりを大切にしています。自身の経験を率直に伝えながら、誰にも共通する感情にも触れる。その両方があるからこそ、さまざまな背景を持つ人々が、それぞれの人生にとって特別な意味を作品の中に見いだせるのでしょう。そして、その解釈が一人ひとり異なっていても、作品を生み出したベイカーの真摯な思いは、見る人に伝わり続けています。
色彩と風景が語る歴史の記憶
ベイカーの制作では、歴史の記憶が以前にも増して重要な意味を持つようになりました。とりわけ彼女は、過去の悲劇の傷が今も残る土地の風景に目を向けています。大型絵画《Red Earth》(赤い大地)は、48×60インチ(約122×152センチ)の作品で、この大きさの絵が初めて売れたという点でも、彼女にとって大きな節目となりました。水、アクリル絵具、スプレー塗料を用いて制作されたこの絵は、アメリカ先住民に対する集団虐殺と、アメリカの奴隷制度の歴史を題材にしています。ベイカーは、無数の犠牲者の血を受け止め、その歴史を黙って見届けてきた大地の姿を思い描いています。それほど多くの犠牲を見届けながらも、大地は花を咲かせ、作物を実らせ、再生を繰り返すことで、今も人々の命を支え続けています。過去の暴力と、それでも恵みを与え続ける大地。その対比に、この作品に込められた思いが凝縮されています。
《Red Earth》(赤い大地)では、歴史上の苦しみが、絶望だけでなく精神的な思索とも結びついています。人間には計り知れない残酷さがある一方で、ベイカーは大地を、無条件の愛と赦しを示し続ける存在として描いています。この作品は、見る人に痛ましい歴史と向き合うことを促しながらも、思いやりや希望を見失わないよう呼びかけています。歴史を単なる象徴として扱うのではなく、表情豊かな色彩と幾重にも重ねた素材によって、過去を記憶することと心を癒やすことが深く結びついた画面を生み出しています。アクリル絵具、水、スプレー塗料はそれぞれ異なる質感をもたらし、作品が扱う複雑な感情を伝えています。同時に、彼女の制作に一貫して見られる、直感に従って描く力強さも感じられます。
音楽は、ベイカーが日々アトリエで絵を描くときのテンポや気持ちの動きにも影響しています。新しいキャンバスを前にすると、あらかじめ決めた方法にとらわれず、自由な気持ちで描き始めます。聴く音楽のジャンルによって、構図や制作のペース、作品全体の雰囲気が変わることもあり、制作中は音と色彩が自然に影響し合っています。そのときの感覚を大切にしながら柔軟に描く姿勢には、ベイカーの芸術観が表れています。技法や手順に縛られるのではなく、自分の内側にある感情や、外から受ける刺激に注意深く耳を傾けることで、絵が生まれてくると考えているのです。
アレクサンドラ・ベイカー:海の底に思い描く新たな命
ベイカーがこれまでに手がけた作品の中で、もう一つ深い意味を持つのが《Red Waters》(赤い水)です。この絵の光景は、キャンバスに描かれるより先に、彼女の夢の中に現れました。ベイカーは大西洋を世界最大の海中墓地と捉え、大西洋奴隷貿易によって失われた数えきれない命に思いを寄せています。そして、この痛ましい歴史を、人魚たちが亡くなった人々を海の底に迎え入れ、そこで新たな生が始まるという想像の世界に描き換えました。鮮やかな赤色は水中に流れた血を象徴するとともに、安全や安定に結びつくエネルギーの中心、ルートチャクラも表しています。この二重の意味を持つ色彩によって、見る人は悲しみの中に慰めを、失われた命への追悼の中に再生への希望を感じ取ることができます。
《Red Waters》(赤い水)に深い感情が込められているのは、歴史の記憶と精神性、想像力が結びついているからです。ベイカーは朝日や夕日の移り変わる光を、物事が変化していく様子に重ね、終わりと始まりが一つの物語の中に共存することを示唆しています。歴史上の苦しみを消し去ろうとするのではなく、人間の尊厳を大切にし、失われた命を悼み、思いやりを持って過去を見つめることのできる作品です。人魚という神話の世界と歴史の記憶を、どちらの意味も損なうことなく一つの画面に描いています。この作品は、自身の感情に正直であり、精神的な思いやりを大切にしながら直感に従って描くことで、多くの人々が共有する喪失について語り合う機会を広げられることを示しています。
今後もベイカーは、海とそこに込められたさまざまな象徴的な意味から着想を得て、水をテーマにした作品をさらに発展させたいと考えています。夢見ているのは、水辺でのアーティスト・イン・レジデンスへの参加です。そこで人魚や海の風景、海が抱える物語を題材にした絵画を、さらに深く追求したいと願っています。こうした方向性は、これまでも作品を形づくってきた感情や精神性への関心から自然に生まれたものです。「Healing Thru Color」(色彩を通じた癒やし)の考え方を新たな環境へと広げながらも、失われた命を悼むこと、変化していくこと、そして希望を大切にする姿勢は変わりません。これから描く一枚一枚の絵もまた、色彩と信仰、記憶、想像力が交わり、見る人がそれぞれに意味を見いだし、思いを深められる機会となるでしょう。




