「目に映るものをそのまま再現しようとは思っていません。風景を眺めているとふと感じる、あの神秘の気配を捉えたいのです。」

空と地平線が記憶になる場所

風景を、その土地の姿を記録するように描く画家もいます。グレゴリー・パーカー(Gregory Parker)の絵では、風景に記憶や感情、天候、視覚的なリズムが重なり、生き生きとした動きが生まれます。カンザス州ウィチタを拠点とする彼は、自然の姿を残しながら、大胆な抽象へと広がるアクリル画を制作しています。地平線や雲、水、草木、地形などを手がかりにしていますが、完成した絵は、簡単に言葉で説明できるようなものではありません。流れるような輪郭、密度の高い質感、途中に入り込む幾何学的な形、飛び散る絵具、鮮やかに強調された色彩によって、見慣れた景色が動きのある画面へと変わります。そこでは、整えられた構成と偶然から生まれる動きが交わっています。パーカーが捉えようとしているのは、広い野原を見渡したときや、どこまでも続く空の下で光が変わるのを眺めたときに、ふと心に生まれる捉えどころのない感覚です。その不確かさに答えを与えることなく、絵の中に残しています。何十年にもわたり素描や絵画に取り組むなかで、実際に目にした自然と、直感から生まれる発想を密接に結びつけた表現を育んできました。その作品を前にすると、風景を動きや空気、感情の気配を伴うものとして感じることができます。

こうした表現を育むうえで、ウィチタという土地は長く重要な存在でした。パーカーはこの街で育ち、長い年月をほかの土地で過ごした後、故郷に戻って暮らしながら制作を続けています。ウィチタは航空宇宙産業や防衛産業などで知られていますが、彼が最も心を動かされるのは、周囲に広がるカンザスの風景です。なかでも、空の広さと、くっきりと見える地平線は、生涯を通じて特別な意味を持ち続けてきました。その雄大な眺めは、この土地ならではの遠くまで続く広がりを感じさせます。毎日の夕暮れには色も光も変わり、景色の雰囲気が劇的に移り変わります。こうした風景は、長い時間をかけて人の心に深く残っていくものだとパーカーは語ります。旅先で地平線が遮られていたり、空がそれほど広く感じられなかったりすると、カンザスでは当たり前だった景色がそこにはないと気づくそうです。ただし、故郷への愛着がそのまま写実的な風景画になるわけではありません。カンザスの自然から受けた感情が、今も構図や色の組み合わせを左右し、広々とした空間に感じる神秘への関心にも深く関わっています。

パーカーが本格的に美術に取り組み始めたのは13歳のときです。その頃に芽生えた創作への衝動は、人生のどの時期にも失われることなく続いてきました。大学で専門的に学んだことで、その思いはいっそう強まりました。1978年にウィチタ州立大学で素描・絵画の美術学士号を取得し、1979年から1980年にかけてコロラド大学ボルダー校の大学院で学びました。1985年にはカンザス大学で素描・絵画の美術修士号を取得しています。大学では技術を磨くとともに、美術史への理解を深め、素材と継続的に向き合う経験を積みました。その後は家族や子ども、仕事、人間関係、暮らしの中で果たすべきさまざまな責任にも時間を注ぎ、制作に専念できる時期と、ほかのことを優先する時期を繰り返してきました。71歳になった今、パーカーはそうした波も含めて、自分の芸術人生をありのままに受け止めています。制作に十分な時間を割けなかったことも、失敗とは考えていません。絶えず作品を生み続けてきたという単純な物語よりも、状況が変わっても制作を続けてきたことを大切にしています。絵に深く没頭した時期も、ほかのことに意識を向ける年月もありました。それでも、何かを描きたいという思いは常に彼の中にあり、何度も絵画へと呼び戻してきました。

グレゴリー・パーカー:描写の先に生まれる風景

パーカーの絵は風景を土台にしていますが、目の前の景色を観察することは、制作の入り口にすぎません。彼が捉えたいのは、ある場所でふと感じる驚きや不安、何とも言えない不確かさです。見たままを忠実に写し取るよりも、そうした一瞬の感覚を絵に残そうとしています。その場の空気や雰囲気をもとに、幾何学的な形や画面を区切る線、流した絵具の広がり、飛び散った絵具、幾重にも重なる質感を加えていくと、もとの風景が持っていた安定感は次第に揺らぎ始めます。異なる形や質感が互いに対照をなし、陸と空の見慣れた関係にも変化が生まれ、画面は抽象へと広がっていきます。見覚えのある空間が思いがけない姿に変わるところにはシュルレアリスムを思わせる要素があり、力強い色彩や筆致、絵肌からは表現主義的な勢いが伝わってきます。自然の面影が十分に残っているため、実際の風景を思い浮かべることはできますが、特定の場所の描写には収まりません。パーカーは風景を自由に使える構成の土台として、自分の内側で感じたものと、実際に観察したものを一つの画面に重ねています。野原や岸辺、嵐、木々の姿に加え、そうした風景を取り巻く感情の緊張感まで、見る人に伝わってきます。

パーカーの作品には、曲線が幾重にも連なって画面を構成しているものが数多くあります。帯状に続くその線は、地形図や木の年輪、根、潮の流れ、風の動き、地層など、さまざまなものを連想させます。ただ、何を表しているのかが一つに定まることはありません。曲線が繰り返されることで彫刻のような立体感が生まれ、視線は盛り上がった部分や溝、色が移り変わる部分へと自然に導かれます。別の場所では、厚く塗ったアクリル絵具や滴り落ちた絵具の跡、細かな点描、空気が渦巻くような模様、くっきりと整えられた輪郭が入り交じり、意図して組み立てた形と即興的な筆の動きがせめぎ合っています。色づかいもその対照を際立たせています。ウルトラマリン、ターコイズ、エメラルド、オーカー、オレンジ、マゼンタ、ヴァイオレットなどを頻繁に使い、実際の風景の色を再現するよりも、絵の雰囲気を強めるような組み合わせを選んでいます。冷たく光るような色面と温かみのある土色が隣り合い、水と土、空と陸、静かな遠景と動きのある前景の違いが、いっそう鮮明になることもあります。また、大きな流れの途中に小さな点や幾何学的な形が入り、楽譜の記号や細胞の活動、互いにつながった仕組みの中を伝わる信号を思わせるリズムが生まれることもあります。離れて見ると画面全体の大きな構成が目に入り、時間をかけて眺めるほど、絵の表面に施された細かな工夫が見えてきます。

近作《AMBER WAVES #3》(琥珀色の波 #3)には、パーカーが制作で大切にしてきた要素が一つの画面に集まっています。キャンバスにアクリル絵具で描かれたこの作品には、広々とした空と際立つ地平線、表情豊かな筆致、手触りを感じさせる質感があり、彼が追い求めてきた、どこか不確かな雰囲気も漂っています。パーカー自身、自分の表現したいことをとりわけよく形にできた作品と考えており、特に思い入れのある一枚に挙げています。この作品の魅力は、ある場所の景色を忠実に記録したことよりも、自然の面影を残しながら、風景の見え方を揺さぶる造形を取り入れ、両者のバランスを保っている点にあります。こうした描き方には、独自の形や発想によって風景の表現を見直してきた作家たちへの敬意も影響しています。パーカーが挙げるのは、デイヴィッド・ホックニー、葛飾北斎、フェリックス・ヴァロットン、宮崎駿、マックスフィールド・パリッシュ、アンドレ・ドラン、アイヴァンド・アールといった、自然や風景の表現に新たな可能性を切り開いてきた作家たちです。その手法は大きく異なりますが、いずれも目に映る景色をそのまま写すことにとらわれず、リズムや独自の様式、色彩、空気感、想像力を駆使して、風景を新たな姿に描き直せることを教えてくれます。

アトリエと日常を行き来する創作

パーカーの作品はすべて、ウィチタの自宅の地下にあるアトリエから始まります。ここでは画面の下準備や下塗りをはじめ、絵具を飛び散らせたり、流し込んだりと、身体を大きく使う作業を行います。仕上がりを予測しにくい技法も多く、周囲が汚れることを気にせず自由に絵具を扱える地下のアトリエは、そうした制作に適した場所です。最初の構図をつくりながら、画面に緊張感や質感、動きの方向が生まれていきます。勢いのある作業がひと段落すると、キャンバスを上の階へ運び、リビングルームで続きを描くこともよくあります。場所が変わると、作業の進め方も変わります。細部を描き込み、輪郭を整え、色を調整するなど、時間をかけてじっくり考える作業は、普段の生活空間で進めます。絵を描きながらオーディオブックを聴いたり、テレビを見たりすることも珍しくありません。そのそばでは、妻が裁縫に取り組んでいます。同じ部屋でそれぞれの制作を楽しむ時間は、今では二人のお気に入りの日課です。日々の暮らしの中で一緒に過ごす時間を大切にしながら、自然に創作を続けられる環境ができています。

こうした暮らし方にも、創造性についてのパーカーの考えが表れています。彼は、創造する力は絵画や彫刻などの芸術分野に限られるものではないと考えています。部屋を改装したり、壊れたものを修理したり、庭にパティオを造ったり、日常の問題を工夫して解決したりするときにも、人は創造力を働かせています。パーカーにとって、そうした作業の原動力は、絵を描きたいと思う気持ちと同じところから生まれるものです。真剣に芸術に取り組むからといって、仕事や家族、家の手入れ、日々の責任から創作を切り離す必要はありません。彼自身、制作に打ち込みたい思いと生活上のさまざまな要求との間で、長年折り合いをつけてきました。そして、その経験が忍耐力や柔軟さ、素材への理解を深めることにも役立ってきたと考えています。パーカーは、人が本来持つ創造力について考えるとき、子ども時代を思い浮かべます。幼い子どもたちは、人目を気にせず自由に絵を描き、想像を膨らませます。技術の巧拙で自分を評価することを覚える前から、常識にとらわれない自由な絵を生み出しているのです。彼は、何かをつくりたいという気持ちは、技術を身につけるよりも先にあると考えています。大人になってもその気持ちを持ち続ける人がいる一方で、自分の出来栄えを厳しく評価したり、世間の常識にとらわれたり、完璧にできないことを恐れたりするうちに、少しずつ抑え込んでしまう人もいます。

現在、パーカーは地元のギャラリーで予定されている展覧会に向けて、作品の準備を進めています。開催はまだ先ですが、展覧会という目標が日々の制作に張り合いをもたらし、新しいアイデアを発展させながら描き続ける励みにもなっています。パーカーは、〈Tallgrass Series〉(背の高い草)、〈Rhythm of Wilderness Series〉(原野のリズム)、〈Amber Waves Series〉(琥珀色の波)、〈Tempest Series〉(嵐)、〈Wild Water Series〉(荒々しい水)、〈Shade Trees Series〉(木陰をつくる木々)など、複数のシリーズの一環として作品を制作することも多く、それぞれのタイトルにも、草原や嵐、水、植物、空模様の変化、自然のエネルギーが生み出す動きといった、繰り返し描いてきたテーマが表れています。一方、どのシリーズにも属さず、一枚の独立した作品として描かれる絵もあります。パーカーにとっては、シリーズに属するかどうかにかかわらず、どの作品も特別な意味を持っています。制作中は、もう何も描き加える必要がないと感じるまで調整を重ねます。納得のいく仕上がりを目指して粘り強く取り組む一方で、どこで筆を止めるかを見極めることも大切にしています。完成した作品の額装も自ら行い、下準備から描画、仕上げの判断、展示に向けた準備まで、すべて自分の手で手がけています。作品をどのように見せるかも、パーカーにとっては制作の大切な一部なのです。

グレゴリー・パーカー:絵そのものに語らせる

長年にわたり美術を学び、制作を重ねてきたパーカーですが、鑑賞者が作品を見る前から、その受け止め方を決めてしまうような解説には慎重です。画家の第一の役目は作品を生み出すことであり、制作中の判断を一つ残らず専門的な理論で説明する必要はないと考えています。絵のイメージは、それまでに積み重ねてきた記憶や直感、素材を扱う際の思いがけない偶然から生まれ、時には本人にも由来がはっきりしないことがあります。パーカーは、そうした曖昧さをありのままに受け止めています。どこから生まれたのかを言葉で説明し尽くせなくても、絵は見る人に何かを伝えられるからです。難解な美術用語を使った説明にも懐疑的で、とりわけ凝った専門用語が、作品を自分の目で見て感じる機会から人々を遠ざけてしまうことを懸念しています。パーカーは、芸術には鼓動があると考えています。制作の瞬間に始まったその鼓動は、完成した作品を誰かが目にするたびに、再び脈打ちます。作品についての解釈は鑑賞を深めてくれますが、専門家だけが作品を理解し、感想を持つ資格があるかのように思わせる壁になってはならないというのが彼の考えです。鑑賞者が自分の感覚や見覚えのあるものを手がかりに、興味を持ってじっくり向き合えるよう、絵そのものに自由を残すことを大切にしています。

パーカーの芸術観は柔軟で、一つの理論に縛られていません。芸術とは何かについても、最終的な定義を示そうとはせず、どのような線引きにも疑問を投げかける余地があると認めています。ただ、芸術に触れる経験は、時間と空間の中で人が感覚を働かせることによって生まれると捉えています。一つのアイデアから始まった作品も、多くの場合、ほかの人が実際に接することのできる形になります。デジタルアートの存在を考えると、形ある物体を前提に芸術を定義するのは難しいものです。それでもパーカー自身は、アクリル絵具や凹凸のある絵肌、キャンバス、額装、そして完成した絵が実際に目の前にあることを大切にしています。素材の大きさや重さ、扱うときの抵抗感、幾重にも塗り重ねた厚みには、それぞれ意味があります。絵具は流れ、引きずられた跡を残し、ぶつかり合い、乾いていきます。下の層を覆い隠すこともあれば、それまで隠れていたものを見せることもあり、そうして生まれる表情は完成した絵そのものと切り離せません。鑑賞者はそこに、作者とは異なる立場から、自分自身の記憶や連想を重ねていきます。その受け止め方が、作者の意図とは違うこともあります。パーカーは対話のきっかけをつくりますが、その先にどのような解釈が生まれるかは、見る人に委ねています。

パーカーの画家としての歩みを語るうえで欠かせないのが、創作を続けてきたことです。これまでには仕事や家庭で担う役割が変わり、制作が途切れた時期もあれば、再び絵に集中できる時期もありました。生涯にわたって創作に関わり続けるなかで、日々の先の見えなさとも付き合ってきたのです。それでも、何かをつくりたいという衝動は、何度となく彼を制作へと向かわせてきました。71歳になった今も、キャンバスを準備し、絵具を流したり飛び散らせたりしながら細部を描き込み、新たな作品群を完成させています。自分自身を驚かせるようなアイデアを探すことも、変わらず続けています。その絵には、緻密な計画と直感、構成と即興、見慣れた自然の風景と抽象表現の躍動感を調和させようと、長年にわたり試行錯誤を重ねてきた経験が表れています。作品は、自然をただ静かに広がる景色として眺めるのとは違う見方を鑑賞者に促します。そこにあるのは、天候や植物の成長、浸食、光、水、記憶などが互いに影響し合う世界です。カンザスの地平線は今もパーカーの心に深く残っていますが、彼の表現はすでに特定の土地を越えて広がっています。一枚一枚の絵には、完成までに費やされた労力が刻まれています。同時に、それぞれが鑑賞者との新たな出会いを生み、作者自身が言葉にしたことのない意味を、見る人が自由に見いだせるようになっています。