「すでに知っていることを繰り返したいと思ったことはありません。」
自由へと続いた長い修
1935年生まれのハンス・ルドルフ・ウェーバー(Hans Rudolf Weber)が、本格的に美術に取り組むようになったのは、人生のさまざまな経験を重ねてからのことです。長い時間をかけて培ってきたものが、今では彼の作品を支える大きな力になっています。芸術との出会いは早く、チューリヒのギムナジウムで美術を教えていた姉をはじめ、両親と親交のあった創作に携わる人々からも影響を受けました。幼い頃に芽生えた関心は、その後、仕事をはじめさまざまな務めが生活の中心になってからも途切れることはありませんでした。制作に十分な時間を割けない時期にも、美術への関心は静かに持ち続けていたのです。やがて、それまでに蓄えてきた時間と経験、鍛錬、そして尽きることのない好奇心が、ひとつの表現へと結びついていきます。ウェーバーの作品が若い頃の一時的な衝動から生まれたものではなく、長年の記憶や観察、粘り強さに支えられていることも、彼の表現に独特の深みを与えています。人生の円熟期を創作の新たな出発点とし、時間をかけて自らの表現を築いてきた作家なのです。
学業を終えたウェーバーは、1967年にチューリヒで企業法務を扱う弁護士、そして資産管理の専門家として活動を始めました。正確な判断や緻密な構成、戦略性、物事を的確に管理する力が求められる仕事で身につけたものは、のちに制作にも生かされていきます。多忙な日々を送りながらも、美術から完全に離れることはありませんでした。仕事に追われる時期にも、週末には時折絵を描き、限られた時間の中で制作を続けていました。たとえ頻繁ではなくても、自ら手を動かし、新しい表現を試す時間を持ち続けたことには大きな意味がありました。ウェーバーは法律と金融の世界で長い年月を過ごした後、その経験を携えて本格的な制作へと向かいます。そこで得たのは、社会の仕組みや制度だけではなく、その中で動く人間の野心や矛盾を間近に見る視点でもありました。秩序がどのように成り立っているかを知る一方で、整然とした表面の裏に潜む感情や倫理的な葛藤にも敏感になっていきます。こうした経験は、やがて作品の主題にも反映されました。権力や幻想、社会の中で人が演じる役割といったテーマを、声高な主張ではなく、機知やユーモアを交えながら描くシリーズへと発展していったのです。
大きな転機が訪れたのは、2002年に事業を売却したときでした。それまで担ってきた仕事から離れたことで、ウェーバーは制作に多くの時間を注げるようになります。初めは具象作品を中心に描き、その後、敬愛する近代美術の巨匠たちから刺激を受けながら抽象表現へと進んでいきました。多くの人なら引退を考える時期に、彼の創作活動はむしろ大きく広がっていったのです。制作のペースも一気に上がり、これまでに手がけた作品は数千点に及びます。それらは一つひとつデジタル撮影され、カタログ化され、作品台帳にも収められています。膨大な数の作品を生み出す創作意欲と、それをきちんと管理する几帳面さ。その両方に、かつての仕事で身につけた習慣が生きています。ウェーバーにとって、それまでの人生は、新しい道へ進むために捨て去るものではありません。法律の世界で養った正確さ、金融の仕事で身につけた規律、そして長い年月の中で積み重ねてきた経験のすべてが、今も創作を支える力になっています。年齢とともに世界を狭めるのではなく、むしろ新しい可能性へと踏み出していく。その姿からは、人生の途中でいくつもの役割を経験した後でも芸術は豊かに花開き、成熟が慎重さだけでなく大胆さをもたらすことが伝わってきます。
ハンス・ルドルフ・ウェーバー:風景から象徴の世界へ
ウェーバーが作品を公に発表し始めたのは1982年のことです。初期には具象表現、とりわけ風景を多く描いていましたが、目の前にある景色を忠実に写し取ることには、早くから関心がありませんでした。山は画面を組み立てる骨格となり、地平線は構図に緊張を与え、色彩も次第に現実の色から離れていきます。彼が見ようとしていたのは、風景そのものよりも、その奥にある秩序や感情、リズムでした。美しい景色をそのまま描くのではなく、自然の形を手がかりに、画面の中で何が生まれるのかを探っていたのです。のちの抽象表現につながる要素も、この頃からすでに現れていました。分割されたような視点、強められた色彩、そして目に映る現実と自分の内面を一つの画面に重ねようとする感覚です。具象と抽象は対立するものとして分けて語られがちですが、ウェーバーの場合、その間に明確な断絶はありません。初期の風景画は、空間やバランス、感情をどこまで広げられるかを試す場であり、その経験が後の抽象表現へと自然につながっていきました。
1989年は、ウェーバーの制作にとって大きな節目となりました。ベルリンの壁の崩壊を、彼は断絶や移行、それまで存在していた境界が崩れていく出来事として受け止めました。それを機に始まったのが、《Transit》と呼ばれる時期です。ここから具象的な形は次第に後退し、記号や幾何学的な形、象徴的な構成が目立つようになります。建築は単純化された形へ、物は意味を含んだ記号へ、風景は心の動きを映すような画面へと変わっていきました。見えているものをそのまま描くのではなく、その背後にあるものを、別のかたちで表そうとしたのです。これは現実から距離を置くためではありません。政治や移動、分断、変化が強く意識された時代を表すには、それまでとは違う方法が必要だったのです。ウェーバーは形を簡潔にする一方で、その一つひとつに複数の意味を持たせていきました。一本の線が境界にも通路にもなり、一つの形が群衆や機械、記憶、圧力を連想させることもあります。《Transit》は、初期の風景画と、その後のより自由な抽象表現をつなぐ重要な時期でした。歴史的な出来事を直接描かなくても、それによって作家の見方や表現の方法そのものが変わることがある。ウェーバーは、時代の変化を画面の構造へと置き換えていったのです。
その後、抽象表現はウェーバーの制作の中心となり、現在まで続いています。彼にとって抽象化とは、現実から離れることではなく、余分なものを取り除き、大切なものをよりはっきり見せるための方法です。なかでも円は繰り返し登場する重要なモチーフです。ある作品では太陽に見え、別の作品では目や機械、軌道、傷、祝祭、監視を思わせます。同じ形を少しずつ変えながら重ねることで、画面は社会の姿にも、人と人との議論にも、自分自身との対話にも見えてきます。文字やその断片、コード、記号も作品に取り入れられています。私たちの思考がいつも整った文章として浮かぶわけではなく、ときには断片的な言葉やイメージとして現れることと重なります。肖像画や自画像でも同じです。顔を似せて描くことだけを目的とせず、そこに記憶や役割、弱さ、ユーモア、歪み、時間の経過まで重ねていきます。ウェーバーの作品は、どれも一つの意味に固定されません。同じ形であっても、見る人によって受け取り方は変わります。その自由さが作品に生きた力を与え、鑑賞者自身にも、画面の中からそれぞれの意味を見つける余地を残しているのです。
素材、動き、そして新しいデジタル・スタジオ
ウェーバーにとって、素材選びは作品の発想と切り離せないものです。キャンバスや厚紙、Forex、アクリルガラス、スチール、さらにはデジタルまで、一般的な評価や素材そのものの格ではなく、それぞれの特性をどう表現に生かせるかを考えて選んでいます。アクリルガラスでは、透明感と奥行きを利用して複数の形を重ね、いくつもの思考が交錯する様子や、揺れ動く記憶を思わせる画面をつくりました。一方、重さや堅牢さを持ち、公共空間でも強い存在感を放つスチールからは、軽やかで、ときには踊っているようにも見える形を生み出しています。重い素材から軽快な印象を引き出し、明るい画面には重いテーマを重ねる。こうして見る人の予想を裏切るところにも、ウェーバーらしさがあります。素材は作品を支えるだけのものではなく、その性質まで含めて表現の一部になっています。作品の内容にふさわしい素材を選び、その特徴を生かして形にするという姿勢は、絵画、彫刻、デジタル作品と制作の方法が変わっても一貫しています。それぞれ異なる手法を用いながら、ウェーバーの作品としてのつながりが保たれているのは、そのためでしょう。
屋外彫刻も、ウェーバーの制作を語るうえで重要な存在です。自然の中や建築のそばに置かれた作品は、人々が普段何気なく行き来する場所に加わり、見慣れた風景に変化をもたらします。公共空間の彫刻は、強く自己主張しなくても人の心を動かせると、ウェーバーは考えています。静かにそこにありながら、日常の風景にユーモアや優雅さ、皮肉、あるいは少し謎めいた雰囲気を加えることができます。そこには、作品はただ眺められるだけのものではなく、見る人の意識に働きかけるものであってほしいという考えも表れています。散歩の途中や建物のそばで思いがけず作品に出会えば、気分が変わったり、普段なら通り過ぎてしまうものに目が留まったり、ふと考えさせられたりすることもあります。また、スタジオを離れて屋外に置かれた作品は、風雨や交通、時間とともに移り変わる光、そこを行き交う人々とも関わりながら、周囲の風景の一部になっていきます。こうした彫刻にも、ウェーバーが絵画で追求してきた動きや矛盾、そして見慣れたものを違った角度から見せる発想が受け継がれています。形やバランス、思いがけない配置によって、いつもの場所を少し違って見せる。それが彼の屋外作品の魅力でもあります。
近年、ウェーバーはデジタルによる制作にも意欲的に取り組んでいます。年齢を理由に新しい技術を遠ざけることなく、むしろ表現の可能性を広げる新たな道具として受け入れています。コンピューター上では、形を素早く試し、修正や変形を重ねながら、いくつもの案をすぐに比較することができます。ウェーバーは多くのモチーフをまずデジタルで制作し、複数の案を検討したうえで作品を選び、Forexにシルクスクリーンで刷っています。大きさは100×100センチ、あるいは100×200センチほどのものが多く、デジタルで生まれたイメージを大判の作品へと展開しています。素早くさまざまな可能性を試せる一方で、何を最終的な作品として残すかは慎重に見極める。コンピューターは、完成作品をつくるための道具であると同時に、アイデアを何度も試しながら形を探るための場にもなっています。ただし、デジタルを取り入れたことで、それまでの制作方法が失われたわけではありません。むしろ、長年続けてきた制作に新たな選択肢が加わったといえます。秩序と混沌、自然とコード、記憶と創造、自由と構造という関心は変わらず、それを探るための手段が時代とともに増えているのです。新しい技術にもためらわず手を伸ばす姿勢には、いくつになっても好奇心を失わず、変化を受け入れ続けるウェーバーらしさがよく表れています
ハンス・ルドルフ・ウェーバー:ユーモアと批評、そして次の問いへ
ウェーバーの作品を特徴づけているのは、造形上の工夫だけではなく、社会の仕組みを見つめる鋭い視線です。金融の世界で長年働いた経験から、制度が人を惹きつける力やその抽象性、表面からは見えにくい弊害まで、内側から知る機会がありました。そうした経験は、直接的な主張ではなく、象徴を用いた作品として表現されています。なかでも《Gnomes》と《Worms》は、その特徴がよく表れたシリーズです。そこに登場するのは、単なる空想上の生き物ではありません。欲望や見えない影響力、意図的につくられた幻想、さらには腐敗が立派な顔を装うさままで、社会のさまざまな側面を寓意的に描いています。そこにユーモアと想像力を加えることで、作品は一時的なメッセージに終わらず、時代や状況が変わっても異なる読み方ができるものになります。象徴には、文脈が変わっても批評の鋭さを失わずに残る強さがあるからです。ウェーバーは見る人に結論を示すのではなく、自ら考え、何かに気づく余地を残します。金融の世界で得た知識や実感は、こうしてユーモアと辛辣さを併せ持つ作品へと生かされています。
近年の作品を見ても、90歳を迎えた現在まで制作を続け、テーマを掘り下げていることがわかります。《Riding》の2025-036、2025-033、2025-030には、以前から関心を寄せてきた動きや自転車での旅、空間を移動するときのリズムが表れています。《Tohuwabohu》の2025-024と2025-025は、混沌や衝突、そこから生まれる活力を思わせる作品です。また、《Worms》の2025-014と2025-013では、目には見えにくい仕組みや、不穏な変化を寓意的に描く表現が引き継がれています。こうした作品からも、単発で制作するのではなく、テーマごとにシリーズを展開していることがわかります。90歳になった今も作品に番号を付け、発想を練りながら一つのテーマをさらに発展させています。一方、制作する時間を特に決めているわけではなく、描きたいと思ったときに自然に仕事を始めるといいます。何十年もの制作を通して培った規律がすでに身についているからこそ、決められたスケジュールに頼る必要がないのでしょう。長年磨いてきた感覚に従い、そのときに生まれた衝動をそのまま制作へとつなげています。
ウェーバーは、サルバドール・ダリ、パブロ・ピカソ、ジグマー・ポルケ、サム・フランシス、アンゼルム・キーファー、イヴ・クライン、デイヴィッド・ホックニーなど、多くの作家から刺激を受けてきたことを率直に語っています。その顔ぶれは幅広く、シュルレアリスムの想像力、大胆に表現を変えていく姿勢、絵画の勢い、歴史への重いまなざし、鮮烈な色彩、遊び心のある明快さまで、さまざまな要素に及びます。ただし、彼らの表現をそのまま取り入れたわけではありません。ウェーバーが学んできたのは、新しいことを試す大胆さや、実験を続ける姿勢、そして一つの様式にとどまらないことです。自身の長い制作活動でも、常に表現の方法を変えてきました。近年は、重く厳粛な色調よりも明るい色を好むと語っています。それは単に画面を明るく見せるためではなく、長年にわたって形と向き合い、試行錯誤を重ねるなかで生まれた軽やかさでもあります。ユーモアも、彼の作品には欠かせません。微笑みを失った芸術では、ものごとの本質まで見通すことはできないと考えているからです。90歳を迎えた今も、関心は「次にどこまで削ぎ落とせるか」「次にどんな矛盾が見つかるか」「次にどんな素材を使えるか」「次にどんな問いが生まれるか」にあります。この言葉ほど、ハンス・ルドルフ・ウェーバーという作家を端的に表すものはないかもしれません。一つの答えに落ち着くことなく、まだ知らないものを見つけ続けること。それが、現在まで一貫している彼の創作姿勢なのです




