「私たちは、ありのままで十分なのです。」

記憶がつくる感情のかたち

ニリット・ゼル(Nirit Zer)は、これまで何十年にもわたり、自身の記憶や経験の断片を、強い感情を宿す作品へと変えてきました。そこに描かれるものは個人的な物語でありながら、決して彼女一人の人生にとどまりません。写真、テキスタイル、デジタルメディア、イラストレーション、立体作品と多彩な手法を用いながら、親密さや傷つきやすさ、美しさ、そして憧れを通して、女性として生きることを見つめています。一つひとつの作品には、その時々のゼル自身の感情や記憶が刻まれると同時に、「完璧でなければならない」という期待の中で生きる多くの女性たちにも通じる思いが重ねられています。人にどう見られるかを意識して自分を装うのではなく、自分自身に正直であること。それが彼女の制作の根底にあります。欠けているところや不完全さを失敗として隠すのではなく、それもまた自分を支える強さとして受け入れる。きわめて個人的な経験から生まれながら、多くの人が自分自身を重ねられるところに、ゼルの作品ならではの魅力があります。

ゼルの表現を形づくるうえで、1990年代に過ごしたニューヨークでの日々は今も大きな意味を持っています。22歳でスクール・オブ・ビジュアル・アーツに学ぶため渡米した彼女にとって、この街との出会いは、自分に何ができるのかという可能性を大きく広げるものでした。街にあふれる音、人々の動き、ファッション、そして創作への熱気。そのすべてが、芸術とは自由であるという彼女の感覚と深く結びついていきます。なかでも重要だったのは、既成の枠に収まらない生き方や個性が、周囲の目を過度に気にすることなく存在できる環境でした。人からどう判断されるかを恐れず、自分らしさや創造性を素直に表現できたことを、ゼルは当時の大きな解放感として振り返っています。その経験は現在の作品にも息づいています。自分の中にある矛盾や不安を隠すのではなく、それも含めて受け入れていいのだと、見る人にそっと語りかけるような作品へとつながっているのです。

本格的に美術を学ぶよりずっと前から、創作はゼルにとって心を落ち着け、自分自身に戻るための大切な時間でした。学校から帰ると自分の部屋の扉を閉め、音楽を流しながら、夢中になって何かをつくる。そんな子ども時代の記憶が、その後の制作を支える原点になっています。一方で、当時は写実的な絵を描く技術を身につけておらず、自分がアーティストになれるとは思っていませんでした。その思いを大きく変えたのが、美術学校での経験です。さまざまな素材や表現方法に触れたことで、創作の世界が一気に開けていったとゼルは語っています。そこで気づいたのは、芸術とは技術を見せることだけではなく、制作の中に深く入り込み、直感に従い、感情を解き放つことでもあるということでした。何かをつくることに没頭し、時間の感覚さえなくなっていく。その感覚は今も変わらず、さまざまな表現方法を横断するゼルの制作を動かす大きな力になっています。

ニリット・ゼル:時間を刻む、変わりゆく自己の肖像

ゼルの制作を特徴づける大きな要素の一つが、時間との向き合い方です。作品には完成した年月日がそのままタイトルとして付けられ、それぞれが彼女の歩みを記録する一つの節目となっています。そのため、作品群全体は単なる制作記録ではなく、長い時間をかけて綴られていく視覚的な日記のようにも見えてきます。なかには、何十年もの時間を経て完成する作品もあります。ある時期の感情をきっかけに始まり、数年後に再び手が加えられ、さらに別の時期を経て完成に至る。たとえば1997年に始まった作品が2010年に手を加えられ、2023年にようやく完成することもあります。一枚の作品の中に、異なる時期の記憶や感情が幾層にも重なっていくのです。そうして生まれた作品には、過去と現在の自分が同じ画面の中に共存するような、独特の時間の厚みがあります。

使う素材や表現方法も、そのときの感情に応じて柔軟に変化します。写真にデジタル加工を加えたり、スケッチブックを大きく引き伸ばしたり、テキスタイルや既製品を組み合わせたりと、特定のジャンルにとらわれることはありません。実験を重ねながら、必要に応じて異なる手法を選んでいくのがゼルの制作です。たとえば《16.6.12》では、FBIカードやパスポート用の写真をスキャンして大きく引き伸ばし、アイデンティティや個人を記録する仕組みへの関心を表しています。《16.9.99》や《18.7.99》のように、スケッチブックの一部を拡大した作品では、個人的に描き留めていた思考の断片が、拡大されることで、強い存在感を持つ作品へと変わっています。写真は彼女の制作を通して繰り返し登場する重要な手段ですが、単なる記録として扱われるわけではありません。写真でありながら、そこには絵画を思わせる豊かな情感が感じられます。

こうしてさまざまな表現方法を行き来する姿勢は、ゼルが繰り返し見つめてきた「自分とは何か」という問いとも重なっています。彼女の作品は、整いすぎた美しさよりも、その瞬間に生まれた感情の生々しさを大切にしています。《28.6.20》や《11.9.18》といったデジタル作品では、現代的な手法を取り入れながらも、自身の経験を起点とする親密さは失われていません。一方、《1.7.99》《16.3.13》《5.9.19》などの写真作品には、そのときにしか存在しなかった感情の一瞬が残されています。どの表現を選んでも、個人的な経験が多くの人に届くのは、派手な演出によってではなく、自分の弱さや揺らぎを隠さずに見せているからです。ゼルは自身の経験を作品へと変えることで、見る人の中にも似た記憶や感情を呼び起こします。彼女の作品と向き合うことは、ときに、自分自身の過去を静かに見つめ返すことにもつながっていくのです。

自分を肯定する言葉を縫い込んで

ゼルがこれまで手がけてきた多彩な作品のなかでも、テキスタイル作品《17.9.25》は、彼女にとってとりわけ大きな意味を持っています。光を反射する素材を用いた布地で制作され、クロームのフレームと透明なパネルで仕上げられた大型の壁掛け作品には、「U R Enough(あなたはそのままで十分)」という言葉が大きく描かれています。明るく華やかな印象の作品ですが、その背景にあるのは、完璧であろうとする苦しさや、自分自身の価値をめぐる葛藤、そして女性に向けられる過剰な期待です。もっと美しく、もっと成功し、もっと賢く、才能にあふれ、欠点のない人間でなければ、愛されたり認められたりする価値がない。そう思わせる社会の価値観に対して、ゼルはこの言葉を投げかけています。本人にとって「U R Enough」は単なる装飾ではなく、自分自身にどうしても必要だった言葉なのです。

その言葉を光を反射する布地に縫い込んでいく過程は、ゼル自身にとっても心をいたわるような時間になりました。彼女はこの言葉を、自分で自分を抱きしめるようなものだと語っています。作品に独特の力があるのは、そこにこうした率直な思いが込められているからです。《U R Enough》が伝えるのは、強さを演じたり、前向きなメッセージを掲げたりすることではありません。疲れや弱さを抱えたときに、自分自身へそっと向ける言葉です。大きなサイズと光を反射する素材によって、そのメッセージはいっそう強く目に届きます。ゼル自身が「きらめくハグ(shiny hug)」と表現するように、柔らかな布と輝き、そして肯定の言葉によって、作品は見る人を包み込みます。絶えず自分を責め続けるのではなく、一度立ち止まり、今の自分にも優しい目を向けてほしい。そんな思いが込められています。

この作品の根底には、ゼルが大切にしている一つの考えがあります。それは、成長することと、今の自分を受け入れることは両立できるということです。人は精神的にも感情的にも変わり続けることができます。それと同時に、今この瞬間の自分にもすでに価値があると認めていいのだと、彼女は考えています。愛されるために完璧である必要はありません。不完全さや失敗、ときに後戻りしてしまうことや心がくじけることも、人間である以上避けられません。とりわけ、失敗することさえ許されにくいほど多くの期待を背負わされている女性にとって、それは決して無縁のものではありません。《U R Enough》でゼルが示しているのは、向上心を持ちながらも、自分自身に優しくあるという考え方です。努力することや変わろうとすることを否定しているわけではありません。いつか理想の自分にたどり着いたときだけ自分を認めるのではなく、その途中にいる自分にも「これでいい」と言葉をかけ続けること。その大切さを、この作品は伝えています。

ニリット・ゼル:セルフラブという表現を広げて

ゼルが今後思い描いている展開は、《U R Enough》で形になった思いをさらに広げていくものです。光を反射する素材を使った大型作品をシリーズとして展開し、女性たちに向けて、自分自身を肯定する言葉や前向きな感覚を届けていきたいと考えています。人と比べたり、自分に厳しい目を向けたりすることが当たり前になりがちな日常の中で、自分の価値を思い出すきっかけになるような作品をつくることが目標です。ただ美しいものを生み出すのではなく、それを見た人が自分自身に向ける言葉や態度を、少しでも変えられるような体験をつくりたいと考えています。大きさや素材の質感、光、そして言葉を組み合わせながら、女性が自分の強さとやわらかさの両方にもう一度目を向けられるような空間を生み出そうとしているのです。

こうした作品へと向かう姿勢は、ゼルがこれまで見つめ続けてきたものと深くつながっています。彼女は長年にわたり、他者からどう見られるかということと、自分自身が実際にどう感じているか、その間に生まれるずれを見つめてきました。写真、デジタル加工、スケッチブックの拡大、テキスタイルによるインスタレーションなど、手法は変わっても、女性が外から向けられる視線と、内側に抱えている感情とのあいだにある隔たりへと繰り返し立ち戻っています。作品が強い説得力を持つのは、抽象的な理論ではなく、ゼル自身が実際に経験してきたことから生まれているからです。そこには、弱さや変化、不安、母親であること、欲望、そして何度でも立ち上がろうとする力が、長い年月を通して刻まれています。彼女の作品群は、そうした感情の軌跡を視覚的に記録したものでもあります。

ゼルの作品が印象に残る理由の一つは、美しさと複雑な感情を切り離して考えていないところにあります。グリッターのような輝き、柔らかな素材、ファッションからの影響、装飾的な表面も、見た目を華やかにするためだけのものではありません。それらは、痛みや迷い、満たされない思いと向き合うための表現へと変えられています。テキスタイル作品の明るく光る表面には、祝福するような華やかさがある一方で、その奥にある人の傷つきやすさにも目が向けられています。多様な素材ときわめて個人的な物語を重ねることで、ゼルは見る人の感情に直接届きながら、今という時代にも強く響く作品を生み出してきました。セルフラブをめぐる彼女の探求が多くの人に共感されるのは、そこに普遍的な問いがあるからです。周囲から絶えず別の基準を突きつけられる中で、それでも自分自身の価値を信じることができるのか。ゼルの作品は、その難しさに静かに向き合い続けています。