「もしかすると私はずっと、母がどんな人だったのかを探し続けてきたのかもしれません。」

水辺と移動、観察が育てた人生

ウィム・デ・フロート(Wim de Groot)の原点は、オランダの田園地帯にあるアールストです。川や水路、移り変わる風景に囲まれて幼少期を過ごしました。厳格な宗教を重んじる家庭に生まれ、9人きょうだいの一人として育った彼は、幼い頃から生活環境が何度も変わりました。父親が教育関係の仕事に就いていたため、一家はオランダ各地を何度も移り住み、そのたびに友人や慣れ親しんだ環境と別れなければなりませんでした。そんな日々の中で、絵を描くことは次第に単なる遊び以上のものになっていきます。自分が見た世界を理解し、自分なりの物語をつくり、環境が変わっても変わらず持ち続けられるものが、彼にとっての絵だったのです。自転車で訪れた港や水辺、働く人々のいる風景は、想像力を刺激すると同時に、心を落ち着けられる場所でもありました。そこで身についた、身の回りをじっくりと見る習慣は、のちの制作にも深くつながっていきます。

本や音楽も、デ・フロートの世界を大きく広げました。父親は教育関係の資料や百科事典、レコードなどを数多く所蔵しており、彼は家庭にいながら、自分の身近な生活をはるかに越えた世界に触れることができました。インターネットもなく、画像や情報が今ほど簡単に手に入らなかった時代、画集に掲載された作品や文学、さまざまな文化の歴史を夢中になって読み込みました。美術館を訪れることも新しい発見の機会となり、美術書を開けば、何世紀にもわたる芸術の世界へ入り込むことができました。そうした経験を重ねるなかで、形や色、構図によって、作家がどのように思いや意味を伝えているのかに強く惹かれるようになります。アーティストになりたいという思いも次第に強くなっていきました。それを育てたのは、誰かに教えられたこと以上に、自ら知りたいと思い、調べ、見続けた経験でした。若い頃から彼にとって、美術を知ることは、人や人生について知ることとも深く結びついていたのです。

その後、夜間の美術講座や美術学校で専門的に学ぶ機会も得ましたが、そこでの教育はデ・フロートが求めていたものとは異なっていました。決められた枠組みの中で学ぶ方法は、自分自身で進む方向を見つけたいという彼の考えには合わなかったのです。それでも、アーティストを志す気持ちは変わりませんでした。むしろ、自ら学び続ける道を選び、それを生涯続けていくことになります。身の回りを観察し、本を読み、旅をし、実際に手を動かしながら試してみる。そうした積み重ねが、学校に代わる彼自身の学びとなりました。長い年月をかけて身につけたものは、確かな技術に支えられながらも、決まった型に縛られない表現へとつながっています。特定の流派や運動に従うのではなく、美術や歴史、そして人間そのものを見つめ続けてきたこと。それが、現在のデ・フロートの作品を形づくっています。

ウィム・デ・フロート:修復と創作のあいだで

デ・フロートの歩みに大きな影響を与えたのが、保存修復家としての仕事です。制作を続けながら生活を支える道を探すなかで、主に紙作品の修復に携わるようになりました。修復には、並外れた忍耐力と正確な技術、そして美術史への深い理解が求められます。その仕事を通して、彼は何世紀も前の優れた作品に直接触れ、当時の作家たちがどのように作品をつくり上げていたのかを間近で学ぶ機会を得ました。単に作品を保存するだけではなく、そこに残された技法や判断、制作意図まで読み取っていく。そうした経験によって、時代を越えて受け継がれていく芸術のつながりを、より深く意識するようになっていきます。

なかでも大きな経験となったのが、ゴーダの聖ヨハネ教会にあるステンドグラスのために描かれた、大型の下絵の修復です。16世紀の画家ディルク・クラベスとウーター・クラベスによるこれらの大型作品を通して、オランダ美術の優れた成果に直接触れることになりました。巨大な下絵を扱う作業には、集中力と根気が求められ、華やかな注目を集めることのない、孤独な仕事でもありました。しかし、その経験がデ・フロートに与えた影響は大きなものでした。何世紀もの時を越えて残る作品に向き合うなかで、当時の作家たちの高度な技術や構想力、制作にかけた情熱を実感することになります。そうした先人たちの仕事は、彼にとってもう一つの学びの場となり、技術への理解を深めるだけでなく、芸術をつくる意味について考えるきっかけにもなりました。

活動の場はオランダ国内にとどまりませんでした。コペンハーゲンのデンマーク国立美術館では北欧の美術に触れ、それまでとは異なる伝統や表現に目を向けるようになります。さらにヨーロッパ各地を巡り、美術館や資料館、ギャラリー、歴史的なコレクションを訪ねながら、多くの作品を実際に見てきました。そうした場所は、彼にとって学校とは別の大切な学びの場でした。時代も文化も異なるさまざまな作品に触れることで、特定の作家や流派に偏ることなく、多くのものから学ぶ姿勢が育っていきます。過去の芸術から得た知識と、今の自分自身の感覚を自然に結びつけていく。その柔軟さは、現在のデ・フロートの制作にも深く根づいています。

人の姿に映る、謎と内面

デ・フロートの作品を長年支えてきた大きなテーマの一つが、人の姿、とりわけ女性像です。その関心は若い頃から始まり、やがてアイデンティティや傷つきやすさ、美しさ、感情の複雑さを見つめる、生涯にわたる探求へとつながっていきました。ティツィアーノやベラスケスをはじめ、本や美術館で出会った多くの作家から刺激を受けながら、美術の歴史の中で女性の身体がどのように描かれてきたのかにも強く惹かれていきます。しかし、彼にとって女性像を描くことは、単なる美術史的な研究ではありません。そこには、自分自身が抱えてきた問いや記憶、人と人との関係について長く考え続けてきたことも重なっています。デ・フロートにとって絵を描くことは、対象を写すこと以上に、何かを探し続けるための行為なのです。

そうした関心がよく表れている作品の一つが、1997年に制作したポール・セザンヌの《Five Bathers》をもとにした作品です。この一作は、敬愛する巨匠へのまなざしと、自身が長く向き合ってきたテーマとが重なる作品として、彼の歩みの中でも特別な位置を占めています。セザンヌの作品と向き合うなかで、デ・フロートは女性たちを理想化された存在としてではなく、自然な姿のまま、無防備さを持つ一人ひとりの人間として捉えました。水辺にいる女性たちは、誰かに見られている存在でありながら、同時にそれぞれが自分自身の世界にいるようにも見えます。その二つの感覚が、画面に静かな緊張を生み出しています。過去の名作を学びながら、それを自分自身の問いへと引き寄せて考える。こうした姿勢からも、時代を越えて作品と向き合うことが、彼にとって今も大切な創作の源になっていることがわかります。

女性像への関心の奥には、さらに個人的な記憶があります。デ・フロートは、自分がなぜこれほど女性の姿に惹かれるのかを考えるなかで、母親との関係や、他者の心の内を本当に理解することの難しさに思い至ったと語っています。その問いは、2025年に完成した《Woman in Turtles Trance》のような近年の作品にも続いています。そこでは、強さと繊細さ、意識、そして簡単には捉えきれない人間の内面が、一つの画面の中で重なり合っています。女性の姿を描きながら、彼が見つめてきたのは女性だけではありません。一人ひとりの違いを大切にしながら、人が誰かと関わり、感じ、理解しようとすることそのものを探ってきました。そこから生まれる作品には、観察するまなざしと他者への共感、そして自分自身を見つめ直す姿勢が、静かに重なっています。

ウィム・デ・フロート:直感と技術、その先へ続く制作

現代の技術も便利な道具として取り入れながら、デ・フロートが今も大切にしているのは、油彩、パステル、鉛筆、チョークといった昔ながらの画材と、手を使って作品をつくることです。制作では、直感に任せる部分と、長年培ってきた技術の両方を重視しています。ふとした印象から始まった一枚が、何度も手を加えられ、考えや発見を重ねながら少しずつ形を変えていくこともあります。なかには、完成に至るまでに大きく姿を変える作品もあります。それでも、本人にとって「完成」は必ずしも終わりを意味しません。数か月後、あるいは数年後に新たな気づきが生まれれば、再び手を入れることもあります。生きながら学び続けるように、作品もまた変わり続けるものだと考えているからです。

実際のモデルを前にして描くことも、現在まで続く大切な習慣です。定期的に人物デッサンの会に参加し、年齢や体格、背景、アイデンティティの異なるさまざまな人々を描いています。そこで見ているのは、身体の構造だけではありません。姿勢やしぐさ、その人がそこにいるときの雰囲気からも、何かを感じ取りながら描いています。こうした直接的な観察は、最小限の表現に大きな意味を込める芸術にも通じています。デ・フロートは、たった一つの線や筆跡に強い意味を持たせるアジアの表現にも惹かれてきました。よく見ることと、直感に従うこと。その二つは相反するものではなく、互いに支え合うものだと考えています。

60年以上にわたって制作を続けてきた現在も、デ・フロートは新しい作品に取り組む一方で、過去の作品にも再び目を向けています。近年の絵画には、以前よりも明快で写実的な表現へ向かう傾向が見られますが、その根底にある直感は、若い頃から変わっていません。社会で起きていることや自身の経験、年齢とともに変化するものの見方も、今の作品に影響を与えています。また、制作と並行して、自身のウェブサイトを通じて、これまでの作品をまとめたカタログの制作も進めています。長い制作活動を自らの手で記録し、見る人がその全体像に直接触れられるようにする試みです。そこには、長年続けてきた仕事への誇りと、自分の手でその歩みを伝えていこうとする姿勢も表れています。学び、修復し、描き続けてきた60年以上の歳月を通して、芸術をつくることで人生を理解しようとする姿勢は、今も変わっていません。