「私の作品に表れているのは、本音です。心の奥にある感情や欲望を、目に見える形にします」
移動のなかで形づくられた、場所に縛られない自己
場所に縛られずに生きること、自らの判断で道を選ぶこと、そしてどこまでを他者に見せ、何を自分の内側に守るのか。デイヴィッド・ラ・ピオヴラ(David La Piovra)の創作は、そうした問いから始まります。ドローイング、写真、グラフィックデザイン、ファッション、映像編集のすべてを独学で身につけ、分野の境界にとらわれることなく、それぞれを組み合わせてきました。複数のヨーロッパ文化を背景に持ち、ヨーロッパとラテンアメリカの5カ国で多感な時期を過ごした彼は、文化が違えば、言葉やイメージの受け取られ方も変わることを早くから実感していました。新しい土地に移るたび、その場の空気を読み、表には現れにくい決まりを察しながら、自分が周囲とどう関わるべきかを考え直してきたのです。こうした経験を重ねるなかで、彼は、アイデンティティは決して固定されたものではないと考えるようになりました。身を置く環境を読み、自分なりの方法を選びながら、その都度形づくられていくものだと捉えています。インターネットはさらに視野を広げ、身近な場所では知り得なかったニッチなジャンルや、特有の美意識を共有する人々、さまざまな創作コミュニティとの出会いをもたらしました。なかでも日本のポップカルチャーから受けた影響は大きく、現在の作品には、西洋の文化的背景と日本の思想、そして移動を重ねるなかで抱えてきた個人的な体験が重なり合っています。
幼少期から思春期にかけて、デイヴィッド・ラ・ピオヴラにとって絵やイメージは、自分の内側を語るための言葉でした。複雑すぎてうまく説明できない考えや、人には話しにくい繊細な感情も、描くことで整理し、形を与えることができたのです。当時は誰かに見せる作品をつくるというより、つかみどころのない思いを、自分の目で確かめられる姿にするために手を動かしていました。やがて成人を迎える頃、彼は制作の手を止め、その空白はおよそ5年に及びました。その空白を経て再び創作を始めたとき、アートに求めるものは以前とは変わっていました。自分を見つめるためだけではなく、見る人に問いを投げかけ、外の世界へ思いを伝え、創作を仕事として続けていく仕組みまで築こうと考えるようになったのです。まずドローイングと写真を再開し、そこからグラフィックデザイン、映像、ファッションへと少しずつ領域を広げました。静止画から宣伝のための物語が生まれ、ひとつの図柄が衣服へと展開され、思想的な問いも異なる形で示せるようになりました。体系的な教育を受けたのではなく、表現したいことや現実的な必要に応じて技術をひとつずつ身につけてきたことで、現在の複合的な制作スタイルが形づくられています。
彼にとっての転機は、突然のひらめきではなく、自分にはすでに動き出す準備ができていると気づいたことでした。作品をつくる力だけでなく、人とのつながりを広げること、作品の届け方を考えること、調査や開発を進めること、商品を設計すること、限られた自己資金を無駄なく使うこと。そうした力を組み合わせられるようになり、制作だけに頼るのではなく、自らを支え、守りながら続けられる活動を思い描けるようになりました。その慎重な姿勢は、画面づくりにも表れています。ひとつの作品に使う原色や三次色は、合わせて4色以内に絞り、補色の組み合わせや明確な対比によって構成します。影、中間の明るさ、光の境界をはっきりと分けて緊張感を生む一方、細かな図柄をモザイクのように交差させることもあります。文字、ドローイング、デジタル写真、グラフィックデザイン、入念な画像編集が、ひとつの画面に重なる作品も少なくありません。制作では速さも重視しています。作品の出発点となった感覚を薄れさせないよう、できるだけ短い時間で完成させるためです。手法は変わっても、作品に繰り返し現れるのは、自らの判断で生きること、自由に動くこと、社会から押しつけられる期待を拒むことです。過去の流行が再びもてはやされても、新たな流行が生み出されても、それらに左右されず、自分の判断で社会と関わっていこうとする姿勢が貫かれています。
デイヴィッド・ラ・ピオヴラ:規律と戦略、自らをつくるということ
デイヴィッド・ラ・ピオヴラは、西洋と日本の思想家や表現者を重ね合わせながら、自身の考えを深めてきました。最初に挙げるのは、ニッコロ・マキャヴェッリと三島由紀夫です。どちらも、自分の意志で人生を切り開き、自らを形づくるための手がかりとなっています。とりわけ『君主論』に表れたマキャヴェッリの考えから受け取ったのは、他者に頼らずに立つ姿勢と、人生を戦略的に捉える視点でした。前へ進むには、目標を定め、自分の一手を慎重に選びながら、権力がどのような仕組みで動いているのかを理解する必要があります。一方、三島の『太陽と鉄』が示すのは、鍛錬によって肉体と精神を自らつくり上げる生き方です。古代ギリシャの理想とも結びついたその美学では、人間の成長は自然に任せるものではなく、意志を持って取り組む営みとして描かれています。ラ・ピオヴラは、こうした二人の考えを、自らの自由を手にするための実践へと取り入れました。彼にとって創作は、内面を表す行為であると同時に、目的に向かって着実に動くための手段でもあります。また、社会のルールをよく見極めれば、他者を傷つけることなく、既存の枠に縛られない道を探すこともできると考えています。自由は、ただ望むだけでは得られません。周囲を冷静に見つめ、自分を律し、十分に備えることで、少しずつ築いていくものなのです。
次に結びつくのは、オスカー・ワイルドと漫画家の荒木飛呂彦です。ワイルドから受け取ったのは、ダンディズムを生き方として演じる姿勢、意識して磨き上げられた艶やかな身振り、そして危うい領域まで美を追い求める感覚でした。『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』では、退廃や完璧さへの執着、美に取りつかれることが悲劇を招きます。そこに描かれた結末は、理想の自分をつくり上げようとするとき、人は何を代償として差し出すのかという、ラ・ピオヴラの関心をより深めました。荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』からは、それとは異なる、遊び心に満ちた大胆な力を受け取っています。誇張された肉体を持つ登場人物たちは、しばしば性別の境界を越えるような魅力をまとい、西洋の前衛的なファッションや大衆文化から多くの要素を取り入れています。しかし、ラ・ピオヴラが惹かれるのは、目を奪う外見だけではありません。その奥に流れる思想や、人間という存在そのものを大らかに肯定するまなざしにも共鳴しています。三つ目に挙げるのは、マルキ・ド・サドと映画監督の園子温です。虚無的で自己中心的なド・サドの思想では、人間は神に選ばれた特別な存在ではありません。自由な意志を持つと信じながら、実際には定められた力に動かされる機械のような存在として描かれます。園子温は、そこに通じる逃れがたい運命への感覚を、暴力やグロテスクな映像、官能的な緊張、そして既成の価値観を揺さぶるエクスプロイテーション映画の手法によって映像へと変えています。
こうした影響は、ストア哲学と、日本の「建前」と「本音」から形づくられた彼自身の生き方にも表れています。本音とは、心の奥にある感情や偽りのない欲望であり、建前とは、周囲に向けて見せる表向きの顔です。ラ・ピオヴラにとって作品は、本音を目に見える形で表すためのものです。そこには、自分の最も偽りのない部分に属する考えや感情が映し出されています。一方、建前には、その内面を守る役割があります。仕事上の務めや社会生活、本名で暮らす一人の市民としての顔と、創作のなかでさらけ出す自分とを切り分けるためです。「デイヴィッド・ラ・ピオヴラ」という名義も、素の自分を守るために設けられています。その名はアーティストとしての活動を示す顔であり、思想を託す器であり、創作する自分と日常を生きる自分との間に距離を保つための境界でもあります。その二つを冷静に使い分けるための支えとなっているのが、ストア哲学です。見る者には、目の前にいるのが慎重に身を守る日常の彼なのか、作品を通して姿を現す本来の彼なのか、簡単には見分けられません。その曖昧さを残すことが、彼の表現には欠かせないのです。自分を率直に表しながらも、私生活まですべて明け渡す必要はありません。内面を見せることと、自らを守ること。その両方を成り立たせる距離を、彼は意識して保っています。
変容を映す墨の内側へ
デイヴィッド・ラ・ピオヴラにとって、最も個人的な意味を持つ作品が、2022年に完成した《エル・プルポ・エン・ス・ティンタ(墨のなかのタコ)》です。写真のコラージュとドローイングを組み合わせたデジタル作品で、制作には画像編集ソフトのギンプ、ペンタブレット、スマートフォンのカメラ、スキャナーが使われました。抽象表現、シュルレアリスム、サイケデリック・アートが入り交じる画面ですが、そこに用いられた素材の多くは、彼自身の体験に結びついています。作品の随所に見られるのは、本人が所有していたコロンビアの硬貨や紙幣をスキャンした画像です。さらに、ボゴタで撮影した写真も取り入れられています。黄金博物館に展示されていた金色の巻き貝や、街の舗道で光るタールの写真もその一部です。画面に現れるコロンビアは、観念的なイメージではなく、彼自身が現地で目にした風景や、そこで得た記憶から生まれています。コロンビアへの愛着と、現地で過ごした日々が、作品に旅の高揚感を与えています。一方、タコと人物像はすべて想像から描かれました。実際の記憶の断片と架空の世界を重ねることで、作品には強い心理的な緊張が生まれています。
画面を形づくる中心的なモチーフは三つあります。最も大きく描かれているのは、淡く光を放つ半透明のタコです。歪ませたコロンビア紙幣が皮膚を覆い、目と吸盤にはペソ硬貨が使われています。その腕に抱かれているのは、透き通るような金色の巻き貝です。殻の内側では、青い大理石の男性像と赤い大理石の女性像が性交しています。タコが表しているのは、いくつもの考えを同時に処理する、ラ・ピオヴラ自身の頭のなかです。金銭で覆われた身体には、当時の彼が最も強く求めていた経済的な安定が表れています。同時に、コロンビアの通貨は旅の記憶も呼び起こし、金銭をめぐる不安と、自立や新しい場所を求める気持ちを結びつけています。男女の像が示すのは、また別の内面的な課題です。次の変化へ進むために、自分のなかにある男性的な面と女性的な面を、長く保てる均衡へと導こうとしていました。二体が主導する側と受け入れる側を入れ替えることで、シリーズのなかでも最も強い動きが生まれています。その一方で、タコと巻き貝は静けさを保っています。揺れ動く内面を受け止めながらも、それにのみ込まれず、冷静さを失わないための力が示されています。
水中を思わせる舞台は、作品をより私的で閉ざされた空間にしています。幾重にも広がる紫色の墨は、目に見える思考のさらに奥で、無意識が動き続けていることを思わせます。ほとんどの要素が画面の内側へ意識を向けており、相反する考えや不安を、自分自身で見つめているようです。外へ視線を向けているのは、画面の外側にある何かを見つめるタコの目だけです。当初、この作品は8点からなるコラージュ・シリーズの一部として構想されていました。ひとつの画像が次の作品へと次々に変わっていくアニメーションも、あわせて制作する予定だったといいます。また、同じ題名は、2021年に書かれた未発表の連環ソネットにも使われています。作品の構想は視覚表現だけにとどまらず、文学へも広がっていたのです。これらを合わせて見ると、この一連の試みは、彼が大きく変わろうとしていた時期を残した抽象的な記録として浮かび上がります。2022年に生まれたこの作品は、彼の創作が一つの段階から次へ移る転換点を示しています。活動の方向性や中心となる考えが明確になる前の作品でありながら、そこには後の制作を導く要素がすでに表れていました。経済的な自立、個人の意思を貫くこと、状況を戦略的に見極めること、そして自由を失わずに生きていける自分を築くことです。
デイヴィッド・ラ・ピオヴラ:あらゆる表現に自由を組み込む
デイヴィッド・ラ・ピオヴラは、自分の道具だけを使い、場所に縛られず制作できる環境を整えています。一般的なスタジオは持たず、使用するのはすべて自ら所有する持ち運び可能な機材です。そのため、制作だけでなく、宣伝や販売に関わる作業まで、世界のほとんどどこにいても進めることができます。中心となるのはノートパソコンで、その周囲には必要な機材をすぐ手に取れるように配置しています。最も集中できるのは、発想が活発になる夕方から深夜にかけてです。一人で仕事を進めることも、彼の活動を支える基本方針の一つです。作品づくりだけでなく、調査や開発、発表、広報、人脈づくり、販売前後の対応まで、活動に関わるすべてを自ら担っています。制作上の判断から技術的な準備、販売計画に至るまでを一つの流れとして管理することで、「デイヴィッド・ラ・ピオヴラ」という活動全体を自分の意志で動かしているのです。その自由と引き換えに、作品を生み出し、世に出し、届けるまでの責任もすべて引き受けています。
作品の着想は、一年を通して続ける観察と記録のなかから生まれます。旅や観光、博物館、ギャラリー、映画、食、音楽、コンサート、講演など、日々のさまざまな体験が素材になります。そこで目にしたものや感じたことを、ドローイング、写真、録音によって残し、集まった記録のなかに共通するテーマが見えてくるのを待ちます。その後、素材を内容ごとに整理し、伝えたい考えに最もふさわしい表現方法を選びます。各プロジェクトにはあらかじめ制作期間を設け、作業が際限なく続かないよう、予定のなかに明確な区切りをつくっています。特に集中しやすいのは、ラマダンの期間と、死者の日の前後にあたる短い時期です。ラマダンでは、規律を守り、善い行いを心がけ、快楽から距離を置きます。そうした過ごし方が、彼の求める集中状態と重なるのです。死者の日の前後もまた、制作に意識を向けやすい時期だといいます。作品の完成を判断する条件は三つあります。自身の美意識を満たし、個人的にも納得できること。発表先や応募先が求める技術的な条件を満たしていること。そして、関連するデジタル媒体を通じて、「デイヴィッド・ラ・ピオヴラ」の活動を広く伝えるための素材にもなることです。
現在、彼が最も力を注いでいるのが、2026年末から2027年初頭にかけて発表予定の、自主制作によるファッションとアクセサリーのライン《ステートメンツ!》2026/27年版です。ファッション、グラフィックによる統一されたイメージ、スローガン、宣伝映像を組み合わせた、これまでで最も規模の大きな複合プロジェクトとして構想されています。コレクションは8種類で、それぞれ異なる2色のグラデーションを採用。各デザインには、シンプルでありながら考えを促す8つのスローガンから一つが選ばれ、デイヴィッド・ラ・ピオヴラを象徴するタコのロゴが添えられます。目指しているのは、アートを単なる装飾にとどめず、身につけることのできる意思表示へと変えることです。衣服やアクセサリーは言葉とロゴを載せるキャンバスとなり、それを選び、身につける人も作品に関わる存在になります。何を選び、身につける人の身体にどう重ね、どのように見せるかによって、そこには新たな自己表現が加わります。さらに、映像と音を用いたデジタルキャンペーンによって、コレクションの表現は衣服の外へと広がっていきます。作品、商品、宣伝、そして身につける人が関わり合うなかで、ラ・ピオヴラは自由について語るだけでなく、自らの意思で活動を成り立たせる仕組みを、制作のあらゆる段階に組み込もうとしています。




