「作品は、見えるものと感じられるもの、表層と深層のあいだに生まれる対話です」
色彩のことば:感情を視覚へひらく
カテリーナ・ツィツェラ(Katerina Tsitsela)は、現代美術のなかでひときわ強い存在感を放つ作家です。制作の中心にあるのは色彩であり、その重なりのなかに内面の動きがにじみ出ます。画面に現れるのは、単なる色やかたちではありません。言葉になる前の感覚や、まだ輪郭を持たない感情が、そのままのかたちで立ち上がってきます。目に映るものと、心に残る感覚。その距離が、静かに近づいていきます。色の選び方にも、筆の動きにも、そのときの状態がそのまま表れます。生まれてくる像はきわめて個人的でありながら、見る者の記憶にもふと重なります。表面的な美しさにとどまらず、経験の積み重ねのなかでかたちを得た感情が、画面に刻まれていきます。鑑賞者はただ眺めるのではなく、自分自身の感覚を通して作品と向き合うことになります。そこには、静かで個人的な関係が生まれます。
幼い頃から、色と感情の結びつきに敏感だったツィツェラは、やがて直感を軸とした表現へと進みます。彼女にとって絵を描くことは、内面の動きを外にあらわす行為でした。ペルージャ美術アカデミーとテッサロニキ・アリストテレス大学での学びは技術の基盤となりましたが、表現の核を形づくったのは、自身の内側を見つめ続ける姿勢でした。直感に導かれながらも、扱う主題は心理に深く関わるものです。自由でありながら張りつめた感覚を伴う制作のなかで、作品は見る者に問いを投げかけます。その問いは記憶や感情を呼び起こし、自分自身と向き合う時間へとつながっていきます。
こうした姿勢は、『Pain』と題されたきわめて私的な作品に端的に現れています。人生の困難な時期に制作されたこの油彩作品では、強い色彩によって脆さと強さの両方が浮かび上がります。絵具の厚みや質感は生々しさを帯び、感情の深い層に直接触れてきます。この作品はツィツェラにとって大きな転機となりました。芸術が持つ癒やしの力を、自らの実感として確かめる契機でもあったのです。制作は自分自身との対話でもありました。率直に表現することが、人と人とを結び、支えとなり、やがて乗り越えていく力になる。その確信がここに刻まれています。
カテリーナ・ツィツェラ:内面を風景として描く
ツィツェラの作品では、心の内側と現実の風景が静かに重なり合います。彼女が語る「内なる風景」は、誰もが抱えている感情のあり方を、目に見えるかたちとしてすくい上げたものです。そこに現れるのは外の景色ではなく、記憶や内省、そしてこれまでの経験のなかに残ってきた感情です。画面は風景を描くというより、感情の流れをたどる場として立ち上がります。悲しみや欲望、不安、変化といったものが、色や質感の重なりとなって現れてきます。作品は感情を説明するのではなく、そのまま画面のなかにとどめ、見る者に差し出します。
その画面には、壊され、またつなぎ直されていくような痕跡が幾重にも残されています。セメントモルタルや刻み込まれた線、コラージュといった素材が重なり合い、触れられそうな質感を生み出しています。こうした物質の存在感は、人の内面を映し出す手がかりとなります。とりわけロックダウン前後の経験に結びつく孤立や痛みを扱った作品では、その印象がより強く現れます。削られ、重ねられていく画面には、内面の葛藤がそのまま刻み込まれています。一つひとつの痕跡が、感情の傷や記憶のように残されています。
素材へのまなざしは、記憶の扱いにも深く関わっています。身ぶりと素材が重なり合うことで、消えゆく感覚がかろうじて画面にとどまります。断片的な記憶や揺れ動く感情、ふと立ち上がる気配。そうしたものが、かたちを変えながら残されていきます。土を思わせる色合いと荒々しい質感は、整えられた美しさではなく、むき出しの感覚へと向かっています。そこにあるのは、ただ眺めるための絵ではありません。見る者が自分自身の感覚を通して入り込んでいくための場です。ツィツェラの作品は、内面の奥行きへと静かに導いていきます。
色と質感が生む緊張
ツィツェラの絵にある緊張は、物語や人物の対立から生まれるものではありません。色と素材が重なり合うことで、画面そのものに現れてきます。強い色とコントラストがぶつかり合い、静けさのなかに不安定さが差し込みます。彼女の絵は、じっとしていません。感情が揺れ、溜まり、にじみ出るように、画面の上で変化し続けています。色もまた、固定されたものではなく、広がり、混ざり、見る者の感覚に直接触れてきます。
セメントの粉と絵具が混ざることで、画面には重さと軽さが同時に現れます。ざらついた部分と流れるような部分が共存し、触れられそうな質感をつくり出します。その感触は視覚だけにとどまらず、身体にまで伝わってきます。見ているうちに、重みやざらつきを感じているような感覚に変わっていきます。ツィツェラの絵は、目で理解するものというより、感覚で受け止めるものです。
こうした感覚は、ロックダウン以降の作品でよりはっきりと現れています。孤独や疲れ、途切れてしまった日常の感覚が、画面ににじみ出ています。それでも、画面のなかには光がわずかに差し込んでいます。ところどころに差し込む光が、わずかな抜け道のように残されています。その光は強くはありませんが、確かにそこにあり続けます。人が孤立のなかでも完全には閉じないこと、その感覚が静かに示されています。ツィツェラの作品は、感じることそのものを、あらためて問い返してきます。
カテリーナ・ツィツェラ:あふれ出す真実のかたち
ツィツェラの制作を貫いているのは、彼女が語る「あふれ出す真実」という感覚です。それは、まだかたちを持たない感情のあり方に深く関わっています。整理されることなく、あふれたまま画面に現れてくるものです。大きな画面や自然素材を用いた制作のなかで、関心は絵画という枠を越え、つくるという行為そのものへと向かいます。画面に刻まれる動きには、そのときの時間と感情がそのまま残ります。
この制作において、身体の感覚は欠かせません。ツィツェラにとって描くことは、自分と画面とが直接向き合う行為です。画面はときに思うように応じず、ときに思いがけないかたちで応えてきます。とりわけ、セメントと顔料、油が混ざり合う瞬間、素材は彼女の動きに敏感に反応します。そのやりとりのなかで、感情はためらいなく画面に刻まれていきます。そこに現れるのは完成された像ではなく、変化し続ける表面です。感情と身体の動きが、そのまま画面に刻まれています。何が描かれているか以上に、どのように現れてきたのかが強く意識されます。
ツィツェラはこれまで、国際的な場で評価を重ねてきました。パヴィアのパラッツォ・コンテンポラリー・アート・プライズや、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ国際賞への参加をはじめ、ビザンティン文化博物館やボストンのジョン・F・ケネディ・センターにも作品が収蔵されています。こうした評価が示しているのは、彼女が感情に正面から向き合い続けてきたということです。そこには、脆さから目をそらさず、自分の内面と向き合い続ける姿勢があります。ツィツェラの作品は、明確な答えを示すものではありません。見ること、思い返すこと、そして記憶すること。そうした時間へと、見る者を静かに導いていきます。




