「気候変動や生物の絶滅が進む今だからこそ、自然がいかに唯一無二で、色彩豊かで、命にあふれているかを伝えることが、ますます大切なのです。」
失われゆく世界に、もう一度自然へのまなざしを取り戻すために
アートと自然、そして静かな意志。その交わりの中で生まれるイヴォンヌ・プレーガー(Yvonne Praeger)の作品は、派手な主張ではなく、色彩の深みと繊細な筆づかいで静かに語りかけてきます。1973年にドイツ・エッセンで生まれたプレーガーは、幼い頃から自然への親しみを育み、その感覚を原動力として創作を続けてきました。グラフィックやデザイン、コミュニケーションの分野で培った経験は、彼女の作品に明晰さと情感を兼ね備えた独自の視覚表現をもたらしています。2008年にスイスへ移住してからは油彩を中心に制作し、ミレイユ・デロシュに師事したのち、ウーバーリンゲンの自由美術アカデミーでさらに学びを深めました。2020年からはフリーランスの画家として、日々の暮らしの中にひっそりと息づく植物や動物たちの姿を描き続けています。
「自然は本当に多くのことを教えてくれます。ただ、それに気づこうとするだけでいいのです。」この言葉は、プレーガーの創作の核であり、彼女の作品そのものが私たちへの静かな呼びかけになっています。変化の速い時代だからこそ、少し足を止めて身近な自然を見つめ直してほしい——そんな思いが、絵の隅々にまで込められています。気候変動や生態系の危機といった現実にも、彼女は感情を煽ることなく、光と色の繊細な表現で静かに応えます。観る者の心に自然の息づかいを感じさせるその筆致には、確かな優しさと、揺るがぬ信念が息づいています。
プレーガーのまなざしは、作品のスケールにも表れています。壁一面を覆うような大作から、手のひらに収まる小品まで、そのすべてに対象への真摯な眼差しが注がれています。植物や小さな生き物たちが見せる一瞬の輝きを、ただ写し取るのではなく、生命への賛歌として描き出しているのです。その絵は、時間の流れをゆるやかにし、観る者の感覚を静かに解きほぐしていきます。
イヴォンヌ・プレーガー:光の精度と自然の脈動
プレーガーが主に用いるのは油彩です。乾燥に時間がかかる特性と、豊かな色の深みは、緻密で丁寧な彼女の制作スタイルにぴったりと寄り添います。筆を重ねるごとに、わずかな光の揺らぎや形の移ろいが浮かび上がり、画面には静かな感情の層が積み重なっていきます。古典絵画に学んだ光と影の対話へのこだわりは、彼女の作品に写実を超えた奥行きと緊張感をもたらしています。
彼女が描くのは、花や植物、小さな野生動物たち。どれも偶然に選ばれた題材ではなく、それぞれに儚さと力強さが宿っています。ひとつひとつを丁寧に見つめ、色や光の変化を捉えることで、対象は生命を帯びて画面の中に立ち上がります。そのリアリズムは単なる技術ではなく、観る人の心に寄り添う温度を持っています。プレーガーの絵は自然を再現するものではなく、自然への敬意を込めた祈りのような表現なのです。
油彩を中心にしながらも、彼女はパステルによる制作も楽しんでいます。柔らかな発色と、指先でそっとぼかせる質感が、より繊細な表現を可能にします。パステル鉛筆では、線のリズムと色の重なりが溶け合い、デッサンと絵画の境界がやわらかくほどけていきます。この柔軟な手法は、作品の幅を広げながらも、彼女が大切にしてきた明確さと精密さを損なうことはありません。油彩でもパステルでも、彼女が目指すのは「似せること」ではなく、その内側にある本質的な美しさを描き出すことなのです。
巨匠たちとの静かな対話
プレーガーの創作には、時代を超えて受け継がれてきた美へのまなざしが息づいています。ルネサンスやバロックの巨匠から現代の作家まで、幅広い影響を受けながら、それらを自らの感性の中で溶かし込んできました。とりわけ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒト・デューラー、カラヴァッジョ、レンブラントといった名画家たちの卓越した技法には深い敬意を抱いています。彼らが確立した「キアロスクーロ(明暗法)」は、形を描き出すだけでなく、感情や物語、緊張をも内包する表現の革新でした。プレーガーもまた、この光と影の思想を自身の作品に取り入れ、花や風景に静かなドラマを宿しています。彼女の描く影は、単なる効果ではなく、絵そのものの物語を紡ぐ要となっているのです。
一方で、彼女の視線は過去にとどまりません。サルバドール・ダリの夢のように揺らめく世界、ウィリアム・ターナーの光と空気の表現、エドワード・ホッパーの静けさの中の感情。そうした近代から現代にかけての画家たちの感性にも心を寄せています。古典的な技法と現代的な感覚が交わることで、プレーガーの作品には独自の響きが生まれています。伝統を受け継ぎながらも、その語り口は今を生きるアーティストとしての確かな視点に支えられているのです。
創作の過程で、プレーガーは多様な表現に心を開きながらも、自らの軸を失うことなく表現を磨いてきました。彼女のキャンバスには、技法と感情、観察と解釈が静かに呼応し合う、深い対話の時間が流れています。
イヴォンヌ・プレーガー:アトリエから広がる壮大なヴィジョン
プレーガーの創作は、今もなお静かに進化を続けています。構想中の夢のひとつは、縦横5メートルにもおよぶ大作の花の絵。色彩と形が見る人を包み込むような体験をめざしたこの作品は、単なるスケールの拡大ではなく、これまで描き続けてきた「見過ごされがちな自然の壮麗さ」をさらに鮮やかに伝えようとする挑戦です。ひとつの花束を大きく拡張することで、私たちが見慣れた植物の姿に新しい視点と感動をもたらそうとしています。
同時に、彼女は現在、『FLOWERGARDEN by Yvonne Praeger ART』というシリーズにも力を注いでいます。40センチ四方のキャンバスにそれぞれ異なる花を描き、それらを並べてひとつの壁面作品として構成するプロジェクトです。組み合わせによって表情を変えるこの形式は、自然が持つ多様さや豊かさを象徴しながら、各作品が独立しても存在感を放ちます。花々が連なり生む調和と個々の生命の輝き。その両方を描くことで、自然の中にある繰り返しと変化の美しさを映し出しています。
こうした試みからは、プレーガーの表現が新たな広がりを見せていることがうかがえます。細部へのこだわりを保ちながらも、より大きな空間と感覚の世界へと歩みを進めているのです。作品のスケールが大きくなっても、彼女の絵は親密さを失うことなく、むしろ感情の奥行きと視覚の力をいっそう強めています。どの作品にも、自然への敬意と、それを見つめ続ける穏やかなまなざしが息づいており、小さな花びらから壮大な風景まで、すべてが等しく輝く世界をそっと開いてくれます。