「素材そのものが作品づくりに生き生きと関わり、時間と手の動きの記憶をとどめていくのです」
芸術の伝統を受け継ぎ、自然に導かれて
フランスの画家アラン・シュルロー(Alain Churlaud)は、何世代にもわたって芸術を大切にしてきた家庭に育ちました。幼い頃から絵画が身近にあり、とりわけ家族の女性たちからは、技法を探究する好奇心と、芸術表現を深く尊ぶ心を受け継いでいます。19世紀には、曽祖母のマリー・ルイーズがジュネーブで磁器絵付けの一等賞を受賞しました。その創作の伝統を引き継いだ祖母レナは、油彩で風景や庭の情景を描き、自然との変わらぬ結びつきを作品に表しました。母ジャクリーヌもまた、日々の暮らしに芸術を取り入れ、モネのジヴェルニーの雰囲気に敬意を込めて家族の住まいを設計するなど、創造性に満ちた環境をつくりました。そんな家庭で育ったシュルローにとって、絵を描くことは日常から切り離されたものではなく、暮らしのごく自然な一部でした。身の回りのものを注意深く観察し、時間をかけて向き合い、何気ない日常の中に美しさを見いだす感性も、そこで育まれました。こうした幼少期の経験は、現在の制作の土台となっています。記憶や家族から受け継いだ知識、自然素材が持つ表現の可能性を大切にしながら、シュルローは自分ならではの表現を追求し続けています。
幼い頃に訪れた美術館での体験や、母親と並んで何度も風景を描いた時間は、独自の画風を確立するずっと前から、シュルローの観察眼を磨いてきました。そうした経験を通じて、誰かの描き方をまねるのではなく、目の前のものをじっくりと見つめる姿勢が育まれました。物の質感や光、周囲の空気感がどのように関わり合っているのか、その微妙な違いにも目を向けるようになったのです。自然は描く対象であると同時に、多くのことを教えてくれる存在でもありました。川や森、山々、田園の風景から学ぶことは尽きませんでした。そうした観察を重ねるうちに、絵画とは目に映るものをそのまま写すだけでなく、心が動いた体験を絵に置き換える手段なのだと、次第に理解するようになりました。簡素な表現を大切にする姿勢は今も変わらず、見慣れた風景の中で、記憶や感覚、描く際の身体の動きが重なり合っていきます。どの作品にも、こうした幼少期の影響が残されています。過去の体験は新しい表現への歩みを妨げるものではなく、制作上の選択を静かに方向づけているのです。こうして生まれる作品には親密な雰囲気が漂いながらも、見る人それぞれが自分の感情を重ねられる、普遍的な広がりがあります。
家族から受け継いだ芸術の伝統は、職人の技や素材そのものの持ち味を尊ぶ姿勢も育てました。シュルローにとって、画面に残る一つひとつの痕跡は、その瞬間のひらめきだけで生まれるものではなく、それまでに積み重ねてきた経験の表れでもあります。家族の影響によって、丁寧に観察する習慣とともに、忍耐強さや制作に向き合う規律、直感から生まれる発見を信じる姿勢も養われました。そうした考え方は、現在のアトリエでの制作にも生かされています。顔料の性質や凹凸のある画面の質感には、構図と同じくらい細やかな注意が払われます。制作の技術的な工程と感情表現を切り離すことなく、両者をともに深めながら描き進めることで、見る人が足を止め、画面の一つひとつに秘められた静かな力強さをじっくりと感じ取れる作品が生まれます。家族から受け継いだ伝統、自分自身を見つめる姿勢、そして自然を観察し続けてきた経験。それらを重ねながら、シュルローは独自の表現を築いてきました。過去を大切にしながら、新しい視覚表現の可能性を探る歩みは今も続いています。
アラン・シュルロー:素材と描き方から生まれる調和
アラン・シュルローにとって、画家への道を歩むことは、家族の伝統を受け継ぐと同時に、新しい表現へ踏み出すことでもありました。芸術に親しむ家庭で育ち、自然と創作の道へ進んだシュルローですが、従来の描写方法から離れ、実験的な表現に挑むには、自分自身の決断が必要でした。新たな表現を自由に試してみようと決めたことが、創作の大きな転機となったのです。そこから、抽象表現やミニマリズム、具象を思わせる要素、さらにはアール・ブリュットに通じる即興性まで、異なる特徴を一つの表現の中に共存させる道が開けました。特定の様式にこだわらず、さまざまな手法を柔軟に取り入れながら、それぞれの作品にふさわしいバランスを探っています。そこにあるのは、確かな答えを求めるよりも、好奇心を大切にする姿勢です。直感に従って手を動かしながら、構成をじっくりと考える。その両者が絶えず影響し合う中から、一枚一枚の絵が生まれていきます。
シュルローの絵画を語るうえで、素材の選び方も欠かせません。制作には顔料をそのまま用い、なかでも本物のカドミウムレッドオレンジを特に好んでいます。その鮮烈な色彩は、作品が見る人の感情に訴える力を高めています。顔料には砂やおがくずといった自然素材を混ぜ合わせ、画面に豊かな凹凸を生み出します。こうしてキャンバスは、従来の絵画以上に素材そのものの手触りを感じさせるものになります。制作ではパレットナイフやローラー、筆を使い分け、それぞれの道具が異なる表情を生み出します。手の動かし方や加える力を変えながら、幾層にも素材を重ねていくのです。シュルローが大切にしているのは、隅々まで整えられた完璧な仕上がりよりも、飾らない表現です。不規則な凹凸や制作中に残された痕跡も、作品の一部として積極的に取り入れています。触覚に訴えるこうした質感は、絵画と風景の結びつきをさらに深めています。砂やおがくずも、表面を飾るための材料にとどまらず、作品を形づくる重要な役割を担っているのです。画面には手の動きや制作中の一つひとつの判断、時間の積み重ねが刻まれています。完成した作品は、視覚的な美しさに加えて、素材そのものの質感を強く感じさせます。
均衡を探り続ける姿勢も、シュルローの芸術を特徴づけています。直感に任せる自由さと、細部まで考え抜かれた構図。その両方を大切にしながら、制作中に偶然生まれた表情も、画面全体のまとまりを損なわないように取り入れています。作品を見る際には、描かれた物語をすぐに読み解こうとするよりも、色彩や質感のわずかな変化、画面の中での空間的な関係に目を向け、時間をかけて味わうことができます。水や山、森、田園の風景は、作品に漂う情感を生み出す着想源となることが多いものの、それらが具体的な姿のまま描かれることはほとんどありません。むしろ、自然から受けた印象を手がかりに、抽象表現を用いて静けさやリズム、感情の記憶を探っています。何かを連想させる要素を残しながらも、見る人の解釈を限定しない。その繊細なバランスによって、作品はさまざまな受け止め方ができるものとなり、感覚に訴える豊かさと、じっくりと思索を深められる奥行きをあわせ持っています。それでいて、どの作品にもシュルローならではの個性がはっきりと表れています。
静かな画風を形づくるもの
アラン・シュルローの創作には、過去の画家たちから受けた刺激と、自身が積み重ねてきた経験の両方が生かされています。特に敬愛する画家の一人、ジョルジュ・ブラックには形を自由に捉え直す発想を、ワシリー・カンディンスキーには、目に見えるものをそのまま描かずとも色彩によって感情を伝えられる力を見いだしています。また、ニコラ・ド・スタールの作品では、絵具を厚く塗り重ねた画面の繊細ではかない美しさに惹かれ、ゲルハルト・リヒターからは、絵具が偶然生み出す予測できない表情を受け入れる姿勢に刺激を受けています。ただし、彼らの作風をそのまま取り入れているわけではありません。それぞれの画家が持つ独自の手法を参考にしながら、自分自身の表現の幅を広げています。素材の扱い方や構図、感情の表し方について異なる視点に触れることで、特定の様式を模倣するのではなく、自らの経験を大切にした制作を深めてきました。こうした多様な影響を糧に、空気感や質感、抑制の効いた表現を大切にする独自の画風を、今も磨き続けています。
自然の風景もまた、シュルローにとって欠かせない着想源です。水や山の頂、森、田園の風景は、絶えず目と心に新たな刺激を与えてくれます。そうした場所では、静けさも単なる空白ではなく、それ自体が確かに感じられるものとなります。シュルローは自然の中で感じ取ったリズムを抽象的な構図へと置き換え、風景の姿を忠実に描くことよりも、そこで得た感覚を表現することを大切にしています。光や天候、地形が見せるさまざまな表情も、具体的な形を再現することなく絵画に取り入れています。そのため、見る人は描かれた場所を見分けるだけでなく、その土地ならではの情感を味わうことができます。自然を見つめる姿勢には、家族から受け継いだ観察力や芸術の伝統への敬意も息づいています。風景から受けた印象と自身の記憶が重なることで、作品には技法や形式の探究にとどまらない、率直な感情が表れています。
シュルローの制作には、音楽も欠かせません。アトリエに流れる音楽は、その場の雰囲気を整えるだけでなく、絵を描く際のリズムにも影響を与えています。アンビエントやネオクラシカルの音楽がつくり出す穏やかな環境の中で、着想は少しずつ形になり、筆の運びや画面の質感も、一つひとつ丁寧に考えながらつくり上げられていきます。イアン・ホーグッド、ウィル・ボルトン、エンリコ・コニーリオ、ヴァルゲイル・シグルズソンらの楽曲は、豊かな音の広がりによって制作中の感情の流れに影響を与えますが、作品の仕上がりを決めるものではありません。彼にとって音楽は、単なる背景音ではなく、集中力や忍耐強さを支え、表現に微妙な変化をもたらしてくれる大切な存在です。穏やかな音のリズムに合わせるように色彩がキャンバスに広がり、絵を描くこと自体が、深く考えながら没頭する時間となっていきます。音楽と素材、そして自然が互いに影響し合うことで、シュルローの制作を特徴づける、瞑想にも似た静かな雰囲気が生まれています。
アラン・シュルロー:キャンバスを超えて広がる絵画
2026年に完成した《The forest》(森)は、アラン・シュルローのこれまでの制作の中でも、とりわけ大きな意味を持つ作品です。キャンバスにアクリル絵具や顔料そのもの、実際のおがくずを組み合わせた混合技法で制作され、自然素材の質感や物質的な魅力に惹かれ続けてきた彼の姿勢がよく表れています。描こうとしているのは、森の景色そのものではありません。抽象的な表現によって、森に漂う深い静けさや神秘、豊かな手触りを伝えようとしています。パレットナイフや専用の道具を使って画面に凹凸をつけることで、質感そのものが作品の意味と深く結びつき、目で見るだけにとどまらない鑑賞体験を生み出しています。シュルローにとって、素材には制作中の手の動きや時間の記憶が刻まれています。そして、見る人の感じ方によって作品は新たな表情を見せ続け、まるで生きているかのような豊かさを帯びるのです。自身の思いを深く反映したこの作品は、自然素材の持つ性質を生かしながら、抽象表現によって心の奥にある確かな感情を伝えられることを示しています。
《The forest》は、アンビエント音楽のアルバムのジャケットにも採用されました。シュルローは、絵画と音楽には、似た雰囲気や感情を伝えながら、互いの表現を豊かにする力があると考えています。《The forest》の静かな力強さはアンビエント音楽ともよくなじみ、絵と音が重なることで、静けさを味わい、じっくりと思いを巡らせるような鑑賞体験が生まれます。彼にとって、絵画と音楽はそれぞれ独立した表現でありながら、異なる方法で感情の動きを伝え、互いを補い合えるものです。今回の協働は、そうした考えを具体的な形にした重要な節目となりました。一枚の絵画が本来の静かで思索的な魅力を保ちながら、音楽とも結びつき、これまでとは異なる形で人々に届けられるようになったのです。
シュルローの日々の制作にも、作品に通じる落ち着いたリズムが息づいています。アトリエでは、顔料や質感を出すための自然素材を使って自ら絵具を調合し、厳選したアンビエント音楽を流しながら制作に集中します。パレットナイフやローラー、筆を使い分け、直感と綿密な構成を行き来しながら、画面に調和が生まれるまで少しずつ描き進めていきます。これまでにフランス各地をはじめ、ローマ、ヴェネツィア、バルセロナ、ベルリンなどで作品を発表し、SingulartやArtsperなどのプラットフォームでも作品を公開してきました。現在は、絵画と音楽の結びつきをさらに深めることに目を向けています。作曲家エンリコ・コニーリオと「The Gentle Flow – From Peaks to Canals」で協働した経験を足がかりに、今後は質感豊かな絵画と、その展示のために特別に作曲されたアンビエントやネオクラシカルの音楽を組み合わせた、没入型の展覧会を実現したいと考えています。絵画と音楽を一緒に味わうことで、訪れた人々が思索を深め、心の安らぎや感情的なつながりを感じられる空間を目指しています。




