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「もろく不安定な家は、社会や政治、文化の意味を幾重にも背負いながら、生きることや心のありよう、そして個人と社会のつながりを映し出す象徴でもあります。」

The Pulsating Room,” 2023
展示風景
クレジット: Liat Elbling

影をなぞるように:感情の設計図としての家

タル・アミタイ=ラヴィ(Tal Amitai-Lavi/@tal_amitai_lavi)は、ドローイング、彫刻、インスタレーション、絵画、映像といった複数の手法を用いながら、一貫して詩的な感性と静かな思索に根ざした作品を展開しています。彼女の関心は、個人の記憶と社会の記憶が静かに触れ合う瞬間にあります。作品の背景には、専門的な美術教育と教育活動、そして世界中の美術館やギャラリーでの豊かな展示経験が息づいています。素材の触感と思想が呼応しながら、観る人の感覚にそっと入り込んでくるその作品には、構想をただ「語る」のではなく、空間の中に「形づくる」という強さと繊細さが共存しています。

彼女の創作において、繰り返し現れるのが「家」というイメージです。それは単なる建築物ではなく、記憶や不確かさ、矛盾を抱えた象徴として扱われます。災害や戦争で傷ついた建物の痕跡を出発点に、アミタイ=ラヴィは緻密な描画やインスタレーションを構築します。透明なアクリル板に黒い糸を縫い込んで再現されるこれらの家には、ほつれた糸や不揃いな縫い目があえて残されています。そこに浮かび上がるのは、喪失の痕跡と、それでもなお消えずに残る記憶の存在。彼女の作品は、語りすぎることなく、糸と影、透ける素材を通して、そっと記憶の声を響かせます。

建築への親しみは、彼女の幼少期にまでさかのぼります。建築家であり、建設業にも携わっていた父のもと、彼女は工事現場を身近に感じながら育ちました。むき出しのコンクリートや、未完成の階段、即興で組まれた構造物——それらが、視覚の原風景となって今も作品に息づいています。さらに、父と出かけた釣りの思い出も、彼女の創作に深く結びついています。水平線へと静かに伸びる透明な釣り糸は、人と人とのつながりを思わせるモチーフとして、糸で描かれた階段や、空中に浮かぶ家のかたちへと姿を変えて現れます。そうした触感や光、記憶が交じり合った断片が、作品の中で繰り返し立ち上がり、観る人の心に静かな緊張感と、どこか胸騒ぎを残すのです。

Katrina“, 2007
パースペックスに糸、光 131×216×8 cm

タル・アミタイ=ラヴィ:儚さをめぐる素材と言語の詩学

アミタイ=ラヴィの作品世界は、素朴な素材に詩のような余韻を吹き込みながら、観る者の感覚に静かに訴えかけてきます。縫い糸や釣り糸、キネティックサンド、重曹、掃除機のベルトといった、ごくありふれた素材が、彼女の手によって記憶や感情を喚起する繊細な象徴へと変わっていくのです。ジャンルや技法の枠にとらわれず、伝統的な素材とそうでないものとのあいだを自由に行き来するその姿勢は、単なる表現の幅にとどまらず、私たちが見過ごしてきたものの意味に深く向き合う姿でもあります。彼女にとって「儚さ」とは、見た目の印象だけでなく、思考そのものを形づくるテーマなのです。

アミタイ=ラヴィの作品には、形と意味が強く結びついています。彼女は、素材をイメージの土台として使うのではなく、その素材そのものに語らせるようなアプローチをとります。特に大規模なインスタレーションではその特質が際立ちます。何千本もの透明なナイロン糸を用いて描かれるのは、幻のような家の風景。どこにもつながらない扉、行き先のない階段、輪郭だけが揺れるカーテン。こうした空間は、観る者の感覚や記憶を静かに揺さぶり、「家とは何か」「住むとはどういうことか」といった問いを呼び起こします。

彼女のインスタレーションは、単に家庭的な空間を再現するのではなく、その背後にある不確かさや喪失の感覚までも表現しています。透明な糸と緻密に計算された照明によって、観る者は「ここにあるようで、ない」空間へと足を踏み入れることになります。そこは記憶のなかにある風景であり、同時に、今はもう存在しない何かをめぐる場所でもあるのです。災害によって壊された家の記憶であれ、日常から切り取られた抽象的なかけらであれ、アミタイ=ラヴィは空間の記憶を身体で感じ取れる経験へと変えていきます。あえて壊れやすい素材を用いることで、「いつまでも在るはず」という私たちの前提を問い直し、個人の脆さや、社会のなかで居場所を失う痛みへと、そっと目を向けさせるのです。

Homage to Hokusai“, 2019
キネティックサンド、木製引き出し 32×40×5 cm

脈動する部屋:不在と幻影に命を吹き込む

タル・アミタイ=ラヴィの近作『The Pulsating Room』(2023)は、彼女の思索と素材に対する探究心が結晶した、ひとつの到達点とも言えるインスタレーションです。三つの部屋から構成されるこの作品には、カーテン、暖炉、カーペット、階段、窓という5つの要素が登場します。いずれもプロジェクションとナイロン糸を用いてかたちづくられ、観る者の空間感覚を静かに揺さぶります。展示は、床に映し出されたカーペットの映像から始まります。装飾的な模様がゆっくりと現れては消えていく映像が、繰り返し静かに再生され、その柔らかなリズムが空間全体の空気をつくっていきます。「家」という場に流れる時間と、絶え間ない変化——そんな感覚が、この作品世界への入り口となります。

次の部屋では、金属の細いフレームにナイロン糸を張ってつくられた階段が、黒い壁の前にふわりと浮かび上がります。その存在はあまりに繊細で、登ることも、行き先を知ることもできません。隣の空間には、アニメーションで描かれた暖炉が現れます。暗い背景に白い線が煉瓦模様をなぞり、ほのかに赤い残り火が揺れますが、そこには熱も実体もありません。あたたかさを感じさせながらも、それはあくまで触れることのできない幻想です。床から天井まで垂直に張られた糸のカーテンには、投影された光が揺れ、まるで見えない風にそよぐような気配をまといます。いくつもの要素が折り重なりながら、懐かしさと遠さが同居するような空間が、立ち上がっていきます。

そして最後の部屋には、圧倒的な透明感が広がります。鉄枠の窓の代わりに、ナイロン糸のみで構成された2つの開口部が現れ、内と外の境界をそっとほどいていきます。そこに街の風景はなく、映し出されるのはむしろ内なる世界。床には映像が投影され、渦を描くように静かに波打ちながら、まるで誰かの呼吸のように空間にゆるやかな生命感をもたらします。ささやかで、反復的で、それでいて確かに生きている——そんな気配が、静かに満ちていきます。『The Pulsating Room』が描いているのは、単なる家のイメージではありません。そこには、暮らしの記憶や、かすかな不在感、そして「家」とは何かという問いが織り込まれています。親しさと違和感のあいだに浮かぶこの空間は、観る者自身の記憶や感覚と響き合いながら、私たちの内にある「居場所」の感覚を静かに揺らしてくれるのです。

The Pulsating Room,” 2023
展示風景
クレジット: Liat Elbling

タル・アミタイ=ラヴィ:これからの建築へ

タル・アミタイ=ラヴィは今なお、素材と空間をめぐる表現を探り続けています。次回作『Choreography of a Line』では、音と映像を軸にした新たなインスタレーションに取り組み、これまでの作品世界に静かな変化をもたらそうとしています。ナイロン糸の代わりに用いられるのは、アニメーションによる線の動き。アニメーターや音楽家との協働によって、線と音が呼応し合い、かたちを成しては消えていく。そんな反復のリズムが、仮想の建築空間を生み出します。白い線が想像上の構造物を描き出し、線の動きとともに響く音がその軌跡をなぞるように広がっていく。視覚と聴覚が交わることで、構造と感覚が溶け合うような没入感が立ち現れます。

この作品は、音という要素に本格的に取り組んでみたいという、彼女の長年の願いから生まれました。実体のある糸ではなく、光でできた線が空間を描き、描かれた建築がすぐに消えていく——そんな光景を、彼女は長い時間をかけて思い描いてきました。完成した映像作品は、まもなく公開されます。これまでの作品でも一貫して取り上げてきた「儚さ」「幻」「記憶」といったテーマが、今回は音と映像の交錯によってさらに拡張され、視る、触れる、聴くという複数の感覚を通して、空間そのものがほどけていく体験へと昇華されていきます。

こうした表現の変化の背景には、彼女が長年にわたり教育の現場に身を置いてきたことも影響しています。美術大学で教鞭をとるなかで、素材との向き合い方や分野を越えた実践の面白さ、そして作品に思想を宿すことの意味を若い世代に伝え続けてきました。その経験は、彼女自身の創作にも静かに影響を与えています。糸であれ、映像であれ、音であれ、アミタイ=ラヴィの表現の根底にあるのは、「アートを通して、何が見えるのか」という尽きることのない問いかけです。私たちが暮らす空間のかたち、胸の奥に残る記憶、そしてそれらを理解するために編み上げてきた小さな幻。そうしたものの輪郭を、これからも彼女は丁寧に描き出していくことでしょう。

“The Pulsating Room,” 2023
展示風景
クレジット: Liat Elbling