「芸術を創ることは自己発見である――それは描き手だけでなく、観る者にとっても同じことだ。」
文化と創造が交わる場所
シャンタル・ヘディガー(Chantal Hediger)は30年近くにわたり絵を描き続け、アーティストとしてだけでなく、メンターとしても活動してきました。スイスと南アフリカという異なる文化の影響を受けた彼女の作品には、スイスの精緻な構成と南アフリカの伸びやかな表現が共存し、独自の世界が広がっています。
ヘディガーにとって、絵を描くことは単なる創作ではなく、人生や人間そのものを見つめる手段です。「絵を描くことは自己発見の旅」と語り、その作品を通じて鑑賞者もまた、自らの内面に向き合うきっかけを得るのではないかと考えています。
幼少期から異なる文化の中で育った経験は、自由と独立を大切にする価値観を育みました。その精神は作品にも色濃く表れ、固定観念に縛られない表現を追求し続けています。趣味として始めた絵は、やがて彼女の生きる軸となり、プロのアーティストとしての道へとつながりました。スイスの秩序だった造形と南アフリカの有機的な躍動感が交差する彼女の作品は、二つの文化を背景に持つからこそ生まれるものです。直線と曲線、構築と流動が共鳴するその表現には、彼女自身の自由への探求が映し出されています。
シャンタル・ヘディガー:ピカソに惹かれ、自らの表現へ
ヘディガーは芸術に囲まれた家庭で育ちました。母親もアーティストであり、幼い頃から創作が日常の一部でした。現在はカリフォルニアで活動する母ですが、幼い彼女にとっては、色や形の面白さを教えてくれる存在でした。
そんな環境にありながら、彼女が本格的に絵を描き始めたのは、意外にもピカソの作品に触れる機会がなかったことがきっかけでした。彼の絵を見たくても見ることができなかった。そのもどかしさが、やがて自分で筆を取るきっかけとなりました。とはいえ、すぐにアーティストの道を歩み始めたわけではありません。テレビの司会やモデル、客室乗務員、アートセラピストなど、さまざまな仕事をしながらも、絵を描くことはずっと続けていました。ロサンゼルスで3年間、演技を学んでいたとき、改めて自分にとって一番大切なのは絵を描くことだと実感します。それからは、迷うことなく創作に向き合うようになりました。
そんな彼女の表現に大きな変化をもたらしたのが、メンターの存在でした。指導を受けるうちに、より大胆な表現に挑戦するようになり、自分らしいスタイルが形になっていきました。今では、自ら創作するだけでなく、ほかのアーティストの指導にも携わり、それぞれが持つ表現を引き出す手助けをしています。
人間の本質を探る芸術
ヘディガーの作品は、具象と抽象が交錯する「フィギュラティブ・アブストラクション」に分類されます。アクリル絵具を主に用いながら、ギリシャのデルポイ神託の言葉「汝自身を知れ」に着想を得て、人間の内面を描き続けています。直感を頼りに幾重にも重ねられた筆致が、夢や現実、記憶が交錯する世界を生み出し、鑑賞者に自身を見つめる時間を与えます。
制作はテーマごとのシリーズとして展開され、表現の幅は作品ごとに異なります。これにより、単なる視覚的な美しさを超え、感情や精神の奥深くまで踏み込んだ作品が生まれます。そこには、明確さと曖昧さ、有機的な形と幾何学的な構造、肉体と精神といった相反する要素が共存し、独特の調和を生み出しています。
なかでも『リビング・ネイチャー』シリーズの『ダフネ』は、彼女の芸術の本質を象徴する一作です。長い構想を経て、短期間で完成させたこの作品は、ギリシャ神話に登場するダフネが木へと姿を変え、自由を得る物語をもとにしています。自らを知ることが変化を生み出す力になる――この作品には、ヘディガー自身のそんな思いが込められています。
シャンタル・ヘディガー:創造の聖域
ヘディガーにとって、アトリエは思考を整理し、創作に向き合うための大切な空間です。そこでは、計画を立てて描くこともあれば、感覚の赴くままに筆を動かすこともあります。下絵を描いて構想を練る日もあれば、記憶や感情に導かれながら即興的に表現することもあります。制作に集中するため、電話やSNSは最小限にし、静かな環境を整えています。
アクリル絵具を主に使うのは、乾きが早く、重ね塗りを活かした表現がしやすいためです。ただ、それにこだわることなく、ドローイングや異なる素材にも積極的に挑戦しています。アトリエ内には、作品の特性や制作の流れに応じて適した環境を選べる工夫が施されており、ときには愛猫がそばに寄り添い、穏やかな空気をつくり出してくれることもあります。
影響を受けた画家には、エドヴァルド・ムンク、エゴン・シーレ、ジェニー・サヴィルなどが挙げられますが、それ以上に大きなインスピレーションの源となっているのは、自然や人間そのものです。創作は自己を見つめ、人生を深く探る手段でもあります。ヘディガーの作品は、ただ鑑賞するものではなく、観る人に問いを投げかけ、それぞれの内なる感情や思いを引き出す力を持っています。