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「私の絵画は、可能な限り要素を削ぎ落とし、幾何学的なかたちへと還元していきます。音を、目に見えるかたちへと変えるためです。」

分野を横断する実践、その余韻

ウィーンを拠点に活動するデニス・ヤシン(Denis Yashin)の制作は、ひとつの領域に収まりきるものではありません。20年以上にわたり実験的なカルチャーと向き合ってきた積み重ねが、その根底に流れています。歴史と伝統が幾層にも重なる都市に身を置きながらも、過去の様式に依存することはありません。音とイメージ、理論、素材といった異なる要素がゆるやかに交わり続けるなかで、彼の表現はかたちづくられています。長期プロジェクト「Making Sound Visible」では、耳で捉えた感覚を、触れられる構造へと置き換える試みが続いています。ここでの絵画は独立したジャンルではなく、感覚を組み替えるための装置として機能しています。

ウィーン美術アカデミーでアートとデジタルメディアを学んだ経験は、現在の制作にも静かに息づいています。理論とメディア横断的な実践を重視する環境の中で培われた視点は、単なる技術にとどまらず、思考の枠組みそのものを形づくってきました。そうして積み重ねてきたものは、制作の場面ごとにかたちを変えながら現れます。時間をかけて考え抜くこともあれば、手を動かすなかで自然と判断が決まっていくこともあります。サウンドアートやメディアアートの現場での経験を通して、離れているように見える要素同士が、どこでつながっているのかを実感として掴んできました。

そうした感覚は、落ち着いた印象のなかに、見えない構造が折り重なるような作品へと結実しています。アクリルガラスにアクリル絵具を重ね、色調を揃えた3Dプリントのフレームを組み合わせることで、工業的な精度と内省的な気配が同時に立ち上がります。キャンバス作品においても、要素を徹底して削ぎ落とす姿勢は一貫しています。明快な素材の選択は、電子音やデジタル実験に由来する発想を、あえてアナログな手触りへと引き戻します。作品の記録写真には、ルドガー・パフラートやニュー・アンド・アブストラクト・ベルリンの名が添えられることもあり、制作を取り巻く協働の関係性もまた、その実践の一部となっています。

Denis Yashin – © Ludger Paffrath, New and Abstract Berlin
Background-Sound-(Transparent) 50×50

電子音から絵画へ、還元の思考

絵画へと軸足を移す以前、ヤシンの創作の中心にあったのは音でした。2000年代初頭、電子音楽家やDJとして活動し、Max/MSPやNative Instruments Reaktorを用いながら、生成的な音の仕組みを組み上げていきます。あらかじめ完成形を決めるのではなく、設定したルールに従って音が変化し続ける構造を扱う手法でした。このときに培われた、反復や変化、密度をコントロールする感覚は、その後の絵画にもそのまま引き継がれていきます。音が制作の中心から離れることはなく、いまも表現の土台として生き続けています。

そうした感覚は、ミニマルな画面構成へと結びついていきます。画面は幾何学的に整理され、色は慎重に選び抜かれたうえで配置されます。要素を削ぎ落としながらも、空虚にはならない。そのバランスを探ること自体が、この制作の核にあります。音がイメージへと変わる境界を見極めながら、その変換をあくまで手作業の中で引き受けていきます。波形は絵具へ、スピーカーは支持体へと置き換えられ、絵画は何かを写すものではなく、音を別のかたちへ移し替えるための行為として成立しています。

この考え方は、ライブペインティングの場面でよりはっきりと現れます。公開された空間で制作が進む点ではパフォーマンスにも近いものの、本人はそれを演じるものとは捉えていません。あくまで音と視覚のあいだをつなぐ役割に身を置いています。そこに観客が加わることで、偶然のやり取りや予測できない出来事が入り込み、制作の進み方が少しずつ変わっていきます。そうした変化は作品に静かに刻まれ、その場の時間や空気、人の気配を内側にとどめることになります。ひとつひとつの作品は、個人の手による成果というよりも、関わりのなかで形づくられた記録として残っていきます。

Background-Sound-(Red) 50×50
Studio image – How it works

映像と美術、そして音の物理性

ヤシンの表現は、ひとつの分野にとどまることなく、さまざまな領域からの刺激によって育まれてきました。音の領域に目を向けると、カーステン・ニコライ、アレクセイ・ボリソフ、フランツ・ポマッスルといった作家たちの存在が、その思考の軸を支えてきました。なかでもポマッスルはアカデミー時代の指導者でもあり、音を空間として捉える感覚や、物理的な広がりとして扱う視点を強く印象づけました。そうした理解は、現在の作品にも通じる、構造的で秩序を備えた画面へとつながっています。

一方で、映像や美術からの影響も見逃せません。とりわけアンドレイ・タルコフスキーの作品に見られる、時間の流れの捉え方や、静けさのなかに宿る緊張感は、ヤシンの感覚に深く残っています。また、コンスタンツェ・ルーム、ダニエル・リヒター、ブリギッテ・コヴァンツ、ペーター・コグラー、キース・ヘリング、エルヴィン・ヴルムといった多様な作家たちも、それぞれ異なる角度から視野を広げてきました。特定の表現をなぞるのではなく、素材の扱い方やスケール感、鑑賞者との距離の取り方といった姿勢として、自身の制作へと取り込まれています。

そして何より、彼にとって最も大きな源であり続けているのは音そのものです。ただし、それは一般的な意味での音楽に限りません。旋律を持たない電子音、環境のなかに広がる気配、ノイズやサウンドスケープ、日常に潜むささやかな響きまでが、その対象に含まれています。音は多くの場合、何かしらの現象によって生まれます。その関係性は、かたちとして捉え直すこともできるものです。彼の作品に現れる線や面、色彩は、そうした音の痕跡が静かに定着したものとして立ち上がっています。

Untitled (Livepainting) 70×100
Background-Sound-(Orange) 50×50

プロセスと記憶、そしてこれから

ヤシンにとって重要な作品の多くは、ライブペインティングの現場から生まれています。人の目に触れる状況で制作することで、進め方そのものが大きく変わります。ひとりで向き合うときには、自分の限界を押し広げたり、素材の可能性を探ったりすることに集中しますが、公開の場では周囲とのやり取りがそのまま制作に入り込んできます。何気ない会話やその場の反応、ときには思いがけない中断が判断に影響を与え、作品の行方を少しずつ変えていきます。そうして生まれた絵画には、その場の時間や出来事の積み重なりが、そのまま刻まれていきます。

こうした制作には、あとから思い出される印象的な場面も多く残ります。完成前の作品をその場で購入したいと申し出る来場者が現れたり、選んだ色が偶然にも展示空間の色と響き合ったりすることもありました。ある作品では、多くの人が画面の中に女性の顔を見つけましたが、本人にはそのイメージはありませんでした。こうした食い違いは、作品が作者の意図だけで完結するものではなく、制作の過程や鑑賞者との関係のなかで形づくられていくことを示しています。そこには、予測できない要素への関心と、作者・プロセス・鑑賞者が関わり合う創作のあり方が見て取れます。

日々の制作は、一直線に進むというよりも、いくつかの流れが重なりながら進んでいきます。制作中は一枚の絵に集中しつつ、その合間で素材や技法の試行が続けられています。3Dプリントによるフレームは単なる支持体ではなく、画面の構成そのものに組み込まれています。キャンバスやアクリルガラスへの下地の工夫も、表現の幅を広げる要素となっています。そこには常に音があり、アナログとデジタル、電子音と環境音が行き交っています。現在は2026年に向けた展覧会やイベントの準備が進められており、複数の協働プロジェクトも動き出しています。その制作はこれからも、領域を横断しながら、新たなかたちを生み出していくはずです。

Background-Sound-(Champagne) 50×50
Sine Waves Livepainting Event 100×100