「私が愛してやまない野鳥や自然の写真は、世界が穏やかで平和でなければ撮影することはできません。」
空へ誓う写真家の約束
福田啓人にとって写真は、名声や成功を求めて選んだものではありませんでした。大切な人を失ったことや自然への想い、両親が抱いていた夢と向き合うなかで、写真は少しずつ彼の生き方になっていきます。1973年に神奈川県横浜市に生まれた福田にとって、大きな転機となったのはカワセミとの出会いでした。「水辺の宝石」とも呼ばれるその鳥の姿は強く心に残り、やがて長く続く情熱へと変わっていきます。会社員として働きながらも七年にわたりカワセミを追い続けるうちに、写真は彼の生活の中心になっていきます。「後悔のない人生を生きろ」という父の最期の言葉と、写真家になる夢を叶えられなかった母の想いが、その決断を後押ししました。いまも両親の記憶は創作の支えとなり、喜びを感じる瞬間にも、病と向き合う日々のなかにも、静かに彼の背中を押し続けています。
福田は野鳥を撮影する際、動物に余計な負担を与えない距離を保ちながら、時間をかけて向き合います。野生の姿をただ記録するだけにとどめず、その場にある美しさや気配ごと写真に残そうとしています。羽を休める姿、水面をかすめる一瞬、空を横切る飛翔の場面。そうした短い時間の積み重ねが、簡潔な背景のなかで際立ちます。カワセミの撮影を出発点に、彼は次第にさまざまな野鳥と向き合うようになりました。石垣島での四年間にはカンムリワシやアカショウビンを追い、現在は北海道釧路に拠点を移し、タンチョウの撮影に取り組んでいます。
福田のレンズが捉えようとしているのは、目に見える姿だけではありません。その場に満ちる空気まで写真に残そうとしています。作品には、平和の尊さや自然や他者への思いやりを伝えたいという願いが込められています。写真を見た人が美しさに心を動かされ、この世界を大切にしたいと感じてくれること。それが彼の写真に託された希望です。
福田啓人:家族の想いを背負って
福田の創作を語るうえで、家族の存在は欠かせません。写真の道へ進む決断の背景には、両親の生き方が大きく影響していました。鉄道員として働いていた父と、児童養護施設の施設長を務めていた母。思いやりと誠実さを大切に生きるその姿を見て育った福田は、安定した仕事を離れることに長く迷いを抱えていたといいます。写真のために会社を辞めることが、両親の努力を裏切ることになるのではないかという思いがあったからです。転機となったのは、父が最期に残した「後悔のない人生を生きろ」という言葉でした。父を見送った後、母はかつて写真家を志していたことを明かし、新しい道を歩もうとする息子を支えます。そのときから福田は、自分の夢だけでなく、両親の想いも胸に抱きながら写真と向き合うようになりました。
病とともに生きる現在も、その支えは変わりません。貧血や痛み、聴力の低下、心臓の不調など、体調の影響で撮影を断念せざるを得ないこともあります。それでも福田は制作を続けています。写真は、両親から受け取ったものを形にしていくための手段でもあるからです。誠実さや思いやりを大切にする姿勢は作品にも表れており、国内外で発表の場を広げてきました。静けさのなかに強さを感じさせる画面には、彼が歩んできた時間がそのまま滲んでいるようにも見えます。
幼い頃に経験したいじめも、福田にとって忘れがたい記憶のひとつです。その出来事は、他者とどのように向き合うべきかを考え続けるきっかけになりました。その思いは人に対してだけでなく、野鳥や自然と接するときの姿勢にも表れています。撮影の際に無理に距離を詰めず、静かに時間をかけて向き合うのもそのためです。「誰もが安心して生きられる世界であってほしい」という願いは、彼が写真を続ける理由のひとつでもあります。傍らで支える妻は、よく彼のことを優しい人だと口にするといいます。
動と静のあいだにあるもの
これまでに発表してきた作品のなかでも、福田にとって特別な意味を持つ一枚があります。飛翔の瞬間を捉えたカワセミの写真です。この作品は初の写真集の表紙となった一枚で、いまも最も大切にしている作品のひとつだといいます。当時はまだ技術的な試行錯誤の最中にあり、動きの速いカワセミを思うように撮ることができずにいました。羽を広げ、水しぶきが宙に浮かぶ一瞬を捉えたその写真は、大きな手応えとなり、写真家として歩んでいく決意を強める出来事にもなりました。正確なタイミングと画面構成の美しさが重なり合ったこの一枚には、彼の作風の核がすでに表れています。
もう一枚、転機となった作品があります。病を抱えるようになってから撮影したタンチョウの写真です。白い雪原を背景に、静かな佇まいを見せるその姿は、動きのあるカワセミの作品とは対照的な印象を与えます。福田は長い時間をかけてタンチョウの動きを追い、構図が整う瞬間を待ち続けました。簡潔な画面のなかで際立つその存在感は、見る者に深い静けさを感じさせます。この作品は国際的な写真コンテストでも評価され、彼の名前が広く知られるきっかけとなりました。それは受賞という結果だけでなく、病と向き合いながら制作を続けてきた時間の重みを映し出す一枚でもあります。
体調の変化は、作品の方向にも少しずつ影響を与えています。かつては飛翔の瞬間など動きのある場面に強く惹かれていましたが、近年は静かな佇まいに目を向けることが増えてきました。撮影の制約が増えたことで、構図や空気感をより深く考えるようになったともいいます。画面の余白やわずかな気配が、以前よりも大きな意味を持つようになりました。そこには、時間の有限さや生きることの脆さを見つめる視線も感じられます。苦しみのなかでどのように意味を見出していくのか。その問いは作品の底に静かに流れています。福田の写真は、見る者に立ち止まる時間をそっと差し出しているようにも思えます。
病とともに続く制作
病を患う以前、福田は理想の一瞬を求め、ほとんど毎日のように自然の中へ足を運んでいました。心を動かす光景は、いつ訪れるか分からないと感じていたからです。わずかなシャッターチャンスも逃さぬよう、ときには車中で夜を過ごすこともありました。そうして積み重ねてきた経験は、やがてキヤノンやタムロン、日経ナショナル ジオグラフィック日本版、日本野鳥の会などからの依頼へとつながっていきます。しかし生活のリズムは病によって大きく変わりました。現在は心臓の不調や慢性的な疲労、聴力の低下、手足の痛みなど、さまざまな症状を抱えながら生活しています。週に三度の通院が欠かせず、外出そのものが大きな負担になりました。それでも冬になると北海道に向かい、雪原でタンチョウの撮影を続けています。身体的な制約と向き合いながら生まれた作品は、海外でも評価を受けるようになりました。
病は制作の方法だけでなく、作品の空気にも変化をもたらしました。初期の写真に見られた動きの強さは、次第に静けさや余白へと重心を移していきます。自然の沈黙と向き合う時間を、以前よりも意識するようになったともいいます。死を身近に感じながら過ごすなかで、一枚の写真は祈りに近い意味を帯びるようになりました。病をきっかけに、他者の苦しみに思いを寄せる感覚も深まったといいます。いまは、見る人の心に静かな安らぎを残す作品を目指して制作を続けています。
今後の大きな目標は、主題として向き合い続けてきたタンチョウの作品を一冊にまとめることです。それと並行して、これまでの代表作を振り返る写真集の構想も静かに温めています。治療は現在も続いており、手術や臓器移植という選択を視野に入れながらの生活です。それでも与えられた時間を作品と平和への願いのために使いたいと語ります。活動をともに支え、歩んでいける協賛者やコレクターとの出会いを求めています。共同制作や発表の機会、作品の収蔵や発信の場の拡大など、そのかたちは問いません。写真を通して苦しみを抱える人に寄り添い、美しさが生きる力になることを伝えていくこと。それが福田啓人の願いです。




