「大切なのは、私が灯した火。それを覚えていてくれる人々と、その灯が誰かの心を照らすきっかけになったということなのです。」
人生の亀裂から孵化したビジョン
一見すると、イラヴァジ(Iravazi)の作品はこの世のものとは思えない趣をたたえています。繊細なモザイクがガラスの器に寄り添うように施され、大地を思わせる色合いが緻密な文様となって静かにきらめいています。しかし、その一片一片の背後には、ブルガリア出身のアーティスト、イリナ・カラムフィロヴァ=トゥルスノヴァが歩んできた人生の積み重ねがあります。1960年にソフィアで生まれた彼女の道のりは、決して平坦ではありませんでした。共産主義体制下のブルガリアでは、社会や政治の枠組みが進路を大きく左右しており、彼女も電子工学という技術分野へ進みます。若き日の彼女は、自由な選択が限られた時代を生きていました。民主化ののち起業し、自ら事業を営んでいましたが、2008年の世界的な経済危機によってその歩みは途絶えます。それは挫折ともいえる出来事でしたが、結果として彼女を創作の世界へと導く転機となりました。
「イラヴァジ」という名は、彼女自身の名前と象徴的な意味が重ねられています。「イラ」はイリナの愛称、「ヴァジ」はブルガリア語で花瓶を意味します。この名には、作り手である自身と、表現の舞台となる器とを重ねる思いが込められています。さらに特筆すべきは、その素材です。彼女が用いるのは、本物の鳥の卵殻。雛がかえった後、森の木の下に残された殻を丁寧に拾い集めたものです。アメリカをはじめとする各地の農家や支援者から届けられた殻も使われていますが、いずれも自然の営みのなかで役目を終えたものに限られます。人工的な着色は一切行わず、自然が生み出した微妙な色合いをそのまま生かして構成していきます。見つけた素材だけを用いるという姿勢を貫き、何よりも大切にしている命の循環を損なわないよう心を配りながら制作を続けています。
モザイクは何千年もの歴史を持つ表現ですが、イラヴァジの試みはきわめて独創的です。試行錯誤と忍耐の末に編み出した技法では、鳥の卵殻のみを素材とし、透明なガラスに文様を施します。そうして生まれた花瓶は、自然の静けさと時の重なりを宿し、凛とした佇まいを見せます。制作を重ねるなかで、彼女は卵殻が熱や湿気に強く、光によって色あせにくいという特性、さらには驚くほどの強度を備えていることに気づきました。その発見は、自然や宇宙とのつながりをいっそう確かなものとし、直感を頼りに続けてきた試みを裏づけるものでした。彼女が語るように、アリストテレスもまた卵殻について詳しく記し、その構造の不思議さに目を向けています。イリナは美術の専門教育を受けることなく、情熱と忍耐の末に、必要とひらめきに導かれ、芸術家の道へと踏み出しました。
イラヴァジ:自然の断片が紡ぐモザイク詩
卵殻のモザイク一つひとつの中で、イラヴァジの作品には、精神性と芸術性、そして自然の力が静かに息づいています。彼女の表現は、誰もがなぞれる技法に基づくものではなく、自然の精妙なかたちや古代から伝わる象徴を見つめるなかで、直感的に育まれてきました。美術の専門教育を受けてはいませんが、その作品は、美術教育を受けた作家にも劣らない複雑さをたたえています。彼女が築き上げた制作工程では、一辺一センチにも満たない卵殻の小片を、時計職人用のピンセットで丹念に貼り重ねていきます。仕上げには幾層ものラッカーを施し、手触りを損なうことなく作品を守ります。制作には膨大な時間と体力が必要で、殻本来の色合いを見分けられるわずかな自然光のもとでは、一日に進められるのは一~二センチほどが限界になることも少なくありません。
制作に向き合えるのは、やわらかな自然光が差し込む短い時間帯だけです。人工の光や強い日差しのもとでは、卵殻のかすかな色の違いが失われてしまいます。現在六十五歳となった彼女にとって、この精緻な作業は身体的にも容易ではありません。それでも彼女は、この時間のかかる工程を厭いません。そこにこそ、求める完成度の理由があるからです。年を重ねるごとにモザイクはさらに洗練され、作品ごとに忍耐と緻密さの限界へと挑み続けてきました。これまで幾度も購入の申し出を受けてきましたが、作品を売りに出したことはありません。イラヴァジにとって創作とは、あくまで個人的で精神的な営みであり、商業的な目的とは無縁のものなのです。
なかでも最も大切にしている作品が『バランス』です。そこに描かれているのは、神話に登場する不死鳥フェニックス。再生の象徴であるその姿は、彼女自身の人生と深く重なります。夫との死別、そして営んでいた事業を失った時期に制作されたこの作品で、フェニックスは単なる主題を超え、生き抜く意志と再生の宣言となりました。彼女はこれを、自らが「イラヴァジ」へと生まれ変わった証しだと語ります。『バランス』に込められた象徴は、エジプトの図像やギリシャ・ローマ神話など、さまざまな文化から着想を得ています。それは個人的な回復の物語であると同時に、古代の物語が現代においてもなお息づいていることを示しています。イラヴァジは、普遍的な主題が素朴な素材によって表される、その橋渡し役でありたいと考えています。
日常のなかに無限を見つめて
イラヴァジにとって、インスピレーションは追い求めるものではなく、ふと気づくものです。彼女の芸術観の中心にあるのは、自然との深い結びつきです。緑豊かな庭に囲まれた家に暮らし、トマトや花々、果樹の世話に多くの時間を費やしています。土に触れ、季節の移ろいを感じる日々が創作の力となり、作品の主題にも自然と反映されていきます。彼女にとって自然は単なる風景ではなく、命を宿した存在であり、耳を澄ませば語りかけてくるものです。種が土を押し上げて芽吹く瞬間や、雲が空をゆっくりと流れていくさまなど、多くの人が見過ごしてしまう光景のなかにこそ、美しさと万物のつながりを感じ取っています。
作品の主題は、夜明けとともに訪れる夢のように、前触れなく心に立ち現れます。ある朝、ひとつの形やイメージが浮かび、それを手がかりに神話や考古学、地理などを調べ始めます。構想が次第に輪郭を帯びてくると、下絵を描き、卵殻をガラスに重ねていく長く静かな工程へと入ります。この自然な流れに身を委ねる方法は、芸術とは機械的な作業ではなく、直感や自然、あるいは目に見えない大きな存在との対話であるべきだという彼女の信念を映し出しています。あらかじめ細部まで設計しすぎないことで、象徴やかたちは無理なく立ち上がり、作品には素直な息づかいが宿ります。
最大の着想源はやはり自然界ですが、彼女は同時に「存在そのものの奇跡」にも心を寄せています。彼女にとって自然は、この世界の真理を映す存在です。その感覚が作品の底流にあります。庭に芽吹く命も、銀河の広がりも、彼女にとっては同じ原理のもとにあります。秩序と神秘が折り重なりながら、生命はかたちをとっていきます。彼女は自らを控えめに語りますが、作品からは思想の深みが感じられます。イラヴァジの創作は、視覚を通した瞑想のような営みです。壮大さを誇るのではなく、見過ごされがちなものへの敬意を通して、永遠を静かに語っているのです。
イラヴァジ:卵殻とガラスに宿る小宇宙
現在取り組んでいるなかでも、とりわけ力を注いでいるのが、宇宙を主題とした新しいシリーズです。それは単なる作風の変化ではなく、これまで彼女を支えてきた考えを、さらに押し広げていくものです。彼女は、私たちの身体を形づくる原子と宇宙に広がる銀河とが、どこかで響き合っていると考えています。小さなものと大きなものは切り離された存在ではなく、同じ理のもとにあるという思いです。「上にあるものは下にもある」という古くからの思想にも通じるその考えが、近年の制作を支えています。新しい作品では、宇宙の広がりを見つめながら、そのなかに生きる人間の姿を描こうとしています。取るに足らないほど小さく、それでも確かな意味を持つ存在としてです。
構想はまだ初期段階にありますが、自然のかたちと宇宙を思わせる模様とを組み合わせ、地上と天空を結ぶ世界を表そうとしています。有機的な素材で星々を想起させる主題に向き合うことで、物質と精神を分けて考える見方を超え、異なる尺度のあいだに通う命のつながりを示そうとしています。このシリーズも、これまでの制作の延長線上にあります。宇宙に働く力だけでなく、日々の暮らしのなかにひそむ小さな輝きにも目を向ける姿勢は、これまでと変わりません。宇宙という主題も、庭にも銀河にも同じ原理を見いだしてきた彼女のまなざしから、自然に導かれたものです。
壮大な主題を扱いながらも、イラヴァジの言葉は気負いがありません。二人の息子や住まいのこと、生きものを育てる喜びを、穏やかに語ります。モザイク制作は日常から切り離された特別な営みではなく、暮らしの延長にあります。ひとつひとつの花瓶には、移ろう季節や静かな時間、そして年月を経た手が丁寧に積み重ねてきた工程が刻まれています。すべてがつながっているという彼女の信念は、完成した作品のなかに具体的なかたちで表れます。こうしてイラヴァジの芸術は装飾にとどまらず、静かに思索を促す器となります。小さな場所にも確かに美が息づいているという、確かな思いがそこに込められています。
イリナ・カラムフィロヴァ=トゥルスノヴァは、「イラヴァジ」の名のもと、卵殻に洞察や忍耐、静かな気品を重ねながら作品を生み出しています。宇宙は大きな声で語るのではなく、ささやくように私たちに届きます。そのささやきを形にすること。それが彼女の創作です。




