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「若いアーティストへの私のアドバイスは、アドバイスを求めないことです。多様な芸術やその歴史に触れるのは大切ですが、それに縛られたり影響を受けたりしてはいけません。もし従うべき相手がいるとしたら、それは自分自身です。」

デヴィプラサード・C・ラオ:直感と瞑想が生み出す抽象の世界

デヴィプラサード・C・ラオ(Deviprasad C Rao)は、マーケティングや広報、フリージャーナリストとして活躍していた20年以上前、偶然にも創作の道に足を踏み入れました。1990年代後半、人生の困難に直面した彼は、精神性を深く探求し始め、瞑想の一環として絵を描き始めます。最初から「アーティストになりたい」という野心があったわけではありません。ただ、描くことで自分を癒し、満たされる感覚を得ることが目的だったのです。

そんな中、キネシオロジーのセラピストから「ポール・クレーの作品を思わせる」と評されたことが彼の視野を広げるきっかけとなります。さらに友人からは「ジョアン・ミロのようだ」と言われ、ラオは彼らの作品に触れるようになります。当時、ラオは西洋美術やその歴史についてほとんど知識がありませんでしたが、この出会いが彼の中で眠っていたアーティストとしての情熱を呼び覚ますことになります。その後、ジャクソン・ポロック、ブライス・マーデン、イヴ・タンギーといった抽象表現の巨匠たちの作品にも出会い、彼らの影響を受けながら自身のビジョンを深めていきました。

2002年、ラオはついにバルセロナを訪れ、ミロ財団美術館でジョアン・ミロの原画を鑑賞します。ミロの作品に直接触れたことは、ラオにとって忘れられない体験となり、アーティストとしてのアイデンティティを確立する大きな転機となりました。この旅の後、ラオはマーケティングのキャリアを手放し、創作に専念する決意をします。同年、ニューデリーで初の個展を開催し、アーティストとしての道を正式に歩み始めました。

また、ラオが精神的な探求を続ける中で、指導者であるオショから受けた「客観的芸術」の教えが、彼の表現スタイルに深い影響を与えました。瞑想を創作の中心に据えたアプローチは、彼の作品に唯一無二の深みを与えています。それから21年、ラオはアートと向き合い続け、独自の表現を追求し続けています。その作品は、単なる抽象画ではなく、観る者に内なる静けさや洞察をもたらす、深い精神性を持ったアートとして評価されています。

デヴィプラサード・C・ラオ:直感と瞑想から生まれるアートの美学

ラオは抽象表現を軸に活動するアーティストで、アクションペインティングや、抽象とリアリズムの融合にも取り組んでいます。彼の作品は直感に基づいており、各線や点、形、図形は事前に計画されることなく、自然に発展していきます。ラオの作品には、インクやペンを使ったドローイング、水彩で描かれた小型のミニチュア画、アクリル絵具を使ったキャンバスの絵画があり、サイズも小さいものから大きいものまで幅広く制作されています。また、ワイヤーを使った彫刻や、時にはサイトスペシフィックなインスタレーションも手掛けています。

ラオにとって、創作における理想的な環境は物理的な空間ではなく、心の状態にあります。「無条件の幸福感」に包まれているとき、創作意欲が湧きますが、逆に不安や悲しみを感じると、創造力が抑制されてしまいます。彼はリラックスした状態で意識を高めることによって最良の作品を生み出します。このような無条件の内的な喜びを感じているとき、どんな環境でもインスピレーションを得られると感じています。

彼の創造的な工程は3つの段階に分けられます。第一段階は「リラックスした気づき」の状態を作り出すことです。これには、内なる自己と周囲への意識を高め、判断を加えないで観察状態を維持することが含まれます。この段階で得られる創造的なインスピレーションは、彼の頭の中で「絵を描く」プロセスとして記録されます。

次に、即興的で直感的な表現を通じて視覚的な語彙を発展させます。線や点が無意識のうちに描かれ、それらがやがて彼の「視覚的辞書」と呼ばれるスケッチブックに記録されます。この辞書は、新しいシリーズを始める際の重要なインスピレーションの源となります。

最後の段階では、実際の作品制作に取り掛かります。彼はまず形を描き、それに色を重ね、パターンや線、点を使って詳細を加えていきます。作品がバランスよく密度があり、視覚的に豊かだと感じたとき、完成と見なされます。

視覚言語の探求:「Language of The Secrets」におけるラオの挑戦

ラオの芸術的アプローチは、扱うテーマによって異なります。都市風景を描く際には、彼は事前に構想を練り、計画的に制作を進めます。しかし、抽象や幻想的な具象作品を手がけるときは、その方法論から外れ、即興的な表現が中心になります。

ラオは現在、「Language of The Secrets」という野心的なプロジェクトを構想しています。このプロジェクトでは、ギャラリーの空間をキャンバスとして使用し、即興的に抽象的なカリグラフィー作品を制作します。展示期間中、彼はギャラリーに住み込み、観客と意味不明な言葉で交流しながら作品を完成させていきます。

このプロジェクトの核となるのは、行為そのものが作品となる「アクションペインティング」です。来場者は、空のギャラリーがラオの手によって徐々にアートで満たされていく様子を目撃します。最終日には、完成した作品が一堂に展示され、その後、写真や映像を通じてパフォーマンスの振り返りも行われます。このユニークなプロセスは、ラオの「アートとは何か」という問いかけを具現化したものです。

ラオにとって、すべての作品は特別な意味を持ち、「お気に入り」を挙げることはありません。創作過程自体が喜びであり、個々の作品との関係を語るのは難しいのです。もし作品が自分に響かない場合、ラオはそれを作為的なものとみなし、最終的には破壊します。アートは観客との対話を生み出すものであり、その反応が肯定的でも否定的でも構いません。作品が何らかの反応を引き起こせば、たとえそれが破壊行為であっても、目的は達成されたと感じます。反応が得られなければ、創作方法を見直すべきだと考えています。

デヴィプラサード・C・ラオ:挑戦と自己表現の軌跡

ラオの人生は、彼の作品同様に多くの挑戦に満ちており、数々の困難を乗り越えてきました。1970年にインドで生まれたラオは、農業や教育に従事する家庭で育ちました。家族には教育者が多く、父親や祖父たちも教育の職に就いていました。家族の期待に応え、ラオは簿記と会計学を学び、その後、ITソフトウェアのマーケティング職に就きましたが、やがて広報に転職し、最終的にはフリーランスのジャーナリストとして活動を始めました。

ラオは幼少期に多くの困難に直面しました。父親がラオを養育できなかったため、両親と離れて過ごし、養育を担当した人物から虐待を受けるとともに、てんかんという病とも戦っていました。それでも彼は、充実した幸福な人生を願い続けましたが、その道は簡単には開けませんでした。やがて精神的な探求とアートに出会い、自己表現を通じて真の喜びを見出しました。

ラオは、若いアーティストたちに「自分自身を追随せよ」というメッセージを送り続けています。既存のアートやその歴史を知ることは大切ですが、他のアーティストに影響されることなく、自分自身の直感に従い、独自の道を歩むことが重要だと考えています。他者の後を追うのではなく、独自の視覚的な言語を築くことが、真の芸術家への道だと信じています。