「ニコルの絵に心を奪われ、忘れていた記憶が呼び起こされました…詩は、書き始めていくうちに、自然と形になっていったのです。」
イメージと言葉の交差点
鉛筆で引かれた一本の線が、詩を呼び起こすことはあるのでしょうか。ヴィジュアル・アーティストのニコル・フランシス・ヘンドルク(Nicol Francis Hendruk)と作家のヘレナ・ルニェニチコヴァー(Helena Lněničková)にとって、その問いへの答えは、作品そのものに表れています。人物を描いたドローイングと、それに触発されて綴られる詩。ふたつの表現が静かに響き合いながら、ページの上で、映像の中で、朗読のリズムの中で、ひとつの世界をかたちづくっていきます。はじまりは、一冊の本のカバーを手がけたことでした。そこから生まれた創作の対話は、やがて100篇を超える詩とドローイングを収めたアートブックへと広がり、限定作品や、映像とヘレナの朗読によるライブパフォーマンスへと展開していきます。
異なる世代や経歴を持ちながらも、ふたりには共通する文化的背景があります。ともにチェコの文化に根ざし、そして人間の感情、なかでも女性たちの内面世界を描きたいという深い思いを共有しています。ふたりの創作は、表現スタイルの一致というより、互いの感性が深く通い合う中で、自然と形になっていきました。ニコルが描く人物像には、繊細さとしなやかさがあり、身体の動きや気配が静かに息づいています。ヘレナの詩は、それらの絵から湧き上がる率直な感情から生まれます。思考よりも感覚に導かれるように綴られた言葉たちは、ニコルの作品と共鳴し、互いに語りかけるようにして並びます。ふたりの作品が描き出すのは、絵とも詩とも言い切れない、そのあわいにある領域――目に映るものと心に触れるもののあいだに生まれる、繊細な空間です。
展覧会や作品集、映像と朗読のパフォーマンスなど、発表のかたちはさまざまですが、そこに触れるとき、私たちは受け身の鑑賞者ではいられません。ふたりが築く内なる世界へ、そっと足を踏み入れるような感覚が芽生えます。ページをめくるとき、あるいは映像に重なるヘレナの声に耳を澄ますとき、私たちは、ふたりが紡ぐ静かな対話の中へと引き込まれていきます。言葉が音となり、かたちが語りかけるその瞬間に、削ぎ落とされた感情が、そのまま私たちの心に届くのです。
ニコル・フランシス・ヘンドルク & ヘレナ・ルニェニチコヴァー:かたちと感情の対話
ニコル・フランシス・ヘンドルクの創作は、いつも直感から始まります。1998年にアリゾナ州フェニックスでチェコ人の両親のもとに生まれ、複数の大陸を行き来して育った彼女のドローイングには、異なる文化の影響が重なり合い、繊細で多彩な感情がにじみ出ています。制作においては、構図を決めたり資料を参照したりすることなく、紙の上に手を走らせていきます。線が線を呼び、思いがけないかたちが現れてくる。それは計画的に描くというよりも、自然と手が動くままに、静かに集中が深まっていくような描き方です。現れる人物像は、しなやかで、ときに歪みながらも、常に強い感情をたたえています。とくに女性の身体を描くことへのこだわりは、自己の内面、欲望、そして脆さに向き合う、静かな対話でもあります。
1981年、チェコの田舎に生まれたヘレナ・ルニェニチコヴァーは、ニコルの絵との出会いをきっかけに、再び自らの創作と向き合うようになりました。英語学を学び、長く文学に親しんできた彼女は、もともと「読むこと」に深く関わってきましたが、やがて個人ブログや自伝的小説を書くようになります。そしてニコルの作品が、詩という新たな表現を導く原動力となったのです。下書きも構想もないまま、絵に触れた瞬間、奥底に眠っていた感情や忘れていた記憶が呼び起こされ、言葉が自然と湧き上がってきます。多くの詩はそのまま一気に書き上げられ、その後の翻訳もまた、単なる言葉の置き換えではなく、言葉の奥に潜む感情をもう一度すくい上げる、もうひとつの創作となっています。
ふたりの作品には、静かで確かな呼応があります。ニコルの描く人物からは、仕草や姿勢を通して、心の奥にある静かな感情がそっと伝わってきます。一方でヘレナの詩は、そうした感情の気配をすくい取り、言葉として形にしていきます。どちらの表現も、まず感覚のままに生まれます。そこに過度な手を加えることなく、その瞬間に感じたことをそのまま大切にしているのです。丁寧に整えるよりも、そのままの心の動きをすくい取ること――その姿勢こそがふたりの制作を支える土台となり、作品ひとつひとつに深く静かな感情を宿らせているのです。
脆さとまなざしのあいだで
感情のありのままを見つめること。特にそれが、女性という存在に向けられるときにこそ、ニコルとヘレナの作品に共通する深いテーマが現れてきます。ふたりが描き出そうとしているのは、象徴や理想としての女性ではなく、内側にある葛藤や迷い、言葉にならない感情そのものです。ニコルが描くのは、主に女性の姿です。彼女の関心は、完璧なかたちよりも、そのときどきの感情にあります。仕草や姿勢、そしてときには大胆に崩した線を通して、喜びや絶望、官能、不安といった感情の揺れが描き出されているのです。その人物像は、あるひとりを描いていながら、観る人の心を映し、そっと寄り添うような存在でもあるのです。
ヘレナの詩は、そうした絵から着想を得て紡がれます。それは単なる描写ではなく、感覚の翻訳とも言えます。一つのポーズが、心の傷や自己発見、母性との葛藤といった記憶を呼び覚ますこともあります。ヘレナの言葉は、ただ絵に応えるだけではなく、そこに流れる感情のリズムを受け止め、それを言葉へと変換していきます。ふたりの創作は即興のように見えますが、その背後には深い信頼関係があります。だからこそ、言葉にしづらい感情にも、まっすぐ向き合うことができるのです。
『AUREOLE(アウレオール)』という作品には、ふたりのこうした姿勢が明確に表れています。プラハでアルフォンス・ミュシャの展覧会を訪れた際、彼の描くロマンティックで神秘的な女性像に刺激を受けて生まれたものです。ニコルとヘレナは、その雰囲気を詩と絵によるかたちで再構成し、女性の頭部を囲むように詩を円形に配置することで、まるで光輪のような視覚的構造をつくりあげました。それは単なるオマージュではなく、古典的な美を、現代の感覚でもう一度見つめ直した作品でもあります。絵と詩は対象を美化することなく、その複雑さや人間らしさを、あるがままに受け止め、静かにかたちにしています。
ニコル・フランシス・ヘンドルク & ヘレナ・ルニェニチコヴァー:ひらかれる未来、広がる表現
最初の共作以来、ニコルとヘレナは、活動の枠組みと表現のかたちを少しずつ広げてきました。展覧会と自主出版のアートブックから始まり、その後は詩の構造をドローイングの輪郭に合わせて配置する、視覚と言葉のレイアウトに工夫を凝らしたプリント作品へと展開しています。そして、視覚と文字の関係は、今なお進化を続けています。最新の取り組みである、映像投影と朗読によるライブ・パフォーマンスは、ふたりの創作がパフォーミング・アートへと大きく踏み出したことを示すものです。静かに「観る」だけだった体験が、動き・音・言葉が交わる没入的な空間へと変化を遂げました。
創作の出発点にある即興性はそのままに、ふたりの取り組みはさらにスケールを広げようとしています。現在構想中の次なるプロジェクトは、短編映画。映像と詩を融合させた作品として、より多くの人々に届く表現を目指しています。まだ初期段階ではありますが、構想されているのは、アニメーションとパフォーマンス、朗読を融合させた新しい表現です。それは記録のための映像ではなく、線や言葉の奥にある感情へと、観る人が深く入り込んでいけるような体験を目指しています。
ふたりのコラボレーションが他にない魅力を持っているのは、役割を分けず、感覚に導かれるままに響き合っているところにあります。ニコルは今も、鉛筆や水彩、ペン、パステルなどさまざまな画材を使いながら、技術に頼ることなく、その瞬間に感じたままを描き出しています。かつてはニコルの絵に触発されて詩を書いていたヘレナも、いまでは記憶や孤独、愛といった自身の感情から、ことばを紡ぎ出すようになりました。創作の方向はそれぞれに広がりながらも、ふたりは今なお深く影響し合っています。一枚の絵が詩を生むこともあれば、一篇の詩が人物の見え方を変えることもある。その関係は、あらかじめ決められた方法ではなく、「感じること」、そして「その感情を誰かと分かち合いたい」という衝動から生まれているのです。




