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「私は自分の国にいながら、どこかよそ者のように感じてきました。その感覚から生まれる脆さや感受性を、作品の中で用いています。」

言語、アイデンティティ、そして境界に生きるという経験

デンマークとドイツの国境に近い南ユトランド地方で育ったキルステン・ハモンド・アナセン(Kirsten Hammond Andersen)は、言語と文化が交差する土地で幼少期を過ごしました。この地域の歴史的な背景は、彼女の自己認識に静かに影響を与え、のちの表現にもつながっていきます。デンマーク語とドイツ語が日常のなかで混ざり合う環境は、単に二つの言語を話すという経験にとどまりませんでした。国籍とは何か、自分はどこに属しているのか、言葉は人と人をどのように結びつけるのか——そうした問いが、早くから彼女の内に芽生えていきます。この地域の方言はドイツ語の語彙や響きを多く含み、標準デンマーク語とは大きく異なります。その違いは、ときに目に見えない距離として現れました。こうした小さなずれの積み重ねが、自国にいながらもどこか輪の外に立っているような感覚を残していきます。

やがてこの「完全には属しきれない」という感覚は、創作の核となっていきます。学校では標準語(リグスダンスク)を学びながら、家庭では方言で思考し語る日常は、自分の声の居場所を探し続けるような経験でもありました。文化と言語のあいだを行き来するなかで育まれた感受性は、次第に視覚表現へと向かっていきます。帰属と表現のあいだで揺れる感情は、作品を生み出す力となりました。重なり合うアイデンティティの感覚は、選ばれる主題だけでなく、画面に漂う緊張や感情の密度としても現れています。

こうした文化のあいだに生まれる感覚を、アナセンは制約とは考えていません。むしろ想像力を刺激するものとして受け止めています。複数の言語や歴史に触れてきた経験は、自然と表現の幅を広げてきました。そのため関心はしばしばデンマークの外にある文学や詩へと向かいます。なかでも英語で書かれた作品は、これまで感じてきた期待や評価から少し距離を取れる場所のように感じられるのかもしれません。そうした読書体験は作品の質感や物語性へとつながり、視覚表現に思いがけない広がりをもたらしています。

キルステン・ハモンド・アナセン:視覚的物語への回帰

芸術への関心が強まったのは十代の頃でした。高校の美術史の授業をきっかけに視覚表現に惹かれはじめ、その思いは次第に深まっていきます。十六歳頃には技法や過去の作品への興味がさらに広がり、この時期の経験が後の創作へと静かにつながっていきました。また、アメリカで三年間働くなかで、フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーにも通い、制作を学びました。それでも自分は独学で歩んできた作家だと語ります。学校で得た基礎と、手探りで積み重ねてきた経験。その両方が、いまの自由な表現につながっています。

しばらく制作から離れていた彼女は、やがて再び制作に向き合うようになります。それは単に制作を再開するというより、自分の内側に残っていた感覚を取り戻していくような経験でした。幼い頃、幻想的な場所や人物を描くことに夢中になっていた記憶がよみがえります。紙の上にもう一つの世界を生み出す感覚は、今も変わらず続いていました。そうした想像の力は、現在の作品にも奥行きをもたらしています。抽象であっても具象であっても、彼女の画面にはどこか別の世界を感じさせる要素が現れます。それは幼少期から続いてきた探究の延長にあるものです。

当時彼女を芸術へと導いた驚きや内省の感覚は、いまも制作に影響を与え続けています。一つひとつの制作は、知覚や記憶、そして見過ごされがちな細部に目を向ける時間でもあります。アナセンにとってドローイングは、単に像を描くためのものではありません。自分自身や過去、言葉にならない感情と向き合う行為でもあります。これまでの歩みは決して一直線ではありませんでしたが、その都度、自分の感覚に従いながら制作を続けてきました。新しい作品に取り組むたびに見せるしなやかな強さと尽きることのない好奇心が、彼女の創作を支えています。

イメージと意味がかたちになるまで

制作はゆっくりと進みます。線のあり方や画面の組み立てを確かめながら、粘り強く手を動かしていきます。ミクストメディアによる作品の多くは、描き重ねられるスケッチから始まります。完成を急ぐことはなく、画面の中のイメージが自然に立ち上がるのを待つように制作は進みます。まず、キャンバスや紙の上に大まかな輪郭が直接引かれます。それらの線は完成形を示すものではなく、後に重ねられていくかたちの手がかりとなるものです。消しては描き直す作業を繰り返すなかで、像は少しずつ定まっていきます。

こうした進め方には、正確さは反復の中で育まれるという考えが表れています。一枚のドローイングに一週間を費やすこともありますが、それが必ずしも最終作品へと結びつくわけではありません。むしろ描こうとしているイメージを確かめていくための時間です。展示されることのない習作は、思考を整える場でもあります。手を動かしながらアイデアを試し、かたちがどのように変わっていくのかを見つめていきます。ドローイングという行為は、感情の動きと深く結びついています。スタジオで過ごす時間のなかで、脆さや直感が自然に表に現れてきます。

制作環境にも強い意識が向けられています。集中を保ち、制作の流れに身を置き続けるために、音は欠かせない要素です。音楽やホワイトノイズなど、長く制作に向き合うための音の環境を整えます。こうした音は、制作に集中するための助けになります。気が散ってしまうときも、音に耳を傾けることで再び画面に向き合うことができます。そうして制作の流れを取り戻していきます。

キルステン・ハモンド・アナセン:影響、理想、そして未完の夢

美術史は時代や様式を越えて、制作の大きな支えとなっています。特に影響を受けた存在として、ミケランジェロ、ヒエロニムス・ボス、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックを挙げます。なかでもミケランジェロのドローイングには特別な思いがあります。緻密でありながら感情の気配を帯びた線、人体の構造を的確にとらえる力。そこに芸術的な優雅さの極致を感じています。力強さと儚さをあわせ持つ彼のスケッチは、一つひとつの線に感情を込めようとする自身の姿勢とも重なります。彼の作品を手にしてみたいと思うこともあるといいますが、それは名声のためではなく、そこに宿る純粋な美しさに惹かれているからです。

幻想的で、ときに不穏さを帯びた世界を描いたボスにも強く心を動かされてきました。象徴に満ちた複雑な世界を描いたボスにも強く惹かれてきました。自身の作品がその様式を直接受け継ぐわけではありませんが、想像上の空間を築いていく姿勢には通じるものを感じています。一方ロートレックは、カリカチュアや人物研究、挿絵的な表現などを自在に行き来した作家です。その柔軟さは、彼女が理想とする表現のあり方の一つでもあります。異なる領域に関わりながらも独自の表現を貫いた点に、敬意を抱いています。

こうした影響に加えて、これからさらに深めていきたい関心もあります。それが遠近法のドローイングとカリグラフィーです。どちらも創作の初期に取り組んできた分野であり、単なる技術としてではなく、見るという行為そのものに関わるものとして惹かれてきました。文字のかたちや空間の構成への関心は以前からあり、それらを自らの視覚言語に取り入れていきたいと考えています。重なり合う文字や建築的な構造、あるいは想像上のアルファベットといったかたちで、その発想はこれからの作品の中に現れてくるかもしれません。