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「アーティストになるのに、何十年もの訓練や特別な“才能”は必要ありません。必要なのは、勇気と好奇心、そして始めてみようという気持ちです。」

創造性とともに育つ

アレナ・レザノヴァ(Alena Rezanova)は、幼いころから音楽や芸術に囲まれて育ちました。絵を描くことも、いつも身近にあるものでした。しかし、アートを職業にするという考えは、現実的な仕事が重んじられる環境では現実味のないものに感じられていたといいます。彼女はまず広告の世界に入り、その後プロダクトフォトグラフィーの分野へと進みました。この仕事にはすでに15年以上携わっています。彼女にとって、写真の仕事は単なる撮影や編集の技術ではありませんでした。光の使い方やデジタルレタッチは、自分の表現をかたちにするための重要な手段だったのです。彼女は自身の仕事をよく「光で描くこと」と表現します。フォトショップを筆のように使いながら、一枚一枚のイメージを丁寧に作り上げてきました。

転機が訪れたのは三年前でした。デジタル上でイメージを作るだけでなく、実際の素材を使った制作へと立ち返ろうと決めたのです。こうして彼女は、大きなキャンバスに向き合う油彩制作を始めました。そこから、内省と試行錯誤を重ねながら、自分の感情や内面と向き合う新しい制作の時間が始まります。この決断は、商品を魅力的に見せる仕事から、自分自身の表現を築く制作へと踏み出す大きな転機となりました。同時に彼女は心理学、コーチング、神経科学、アートセラピーを学び、人の心への理解を深めていきます。こうした学びは、彼女の視点だけでなく作品にも影響を与えています。内面にある感覚や思考を見つめ、それを絵画として表していくことが、現在の制作の大きな軸となっているのです。

振り返れば、アレナの歩みは決して一直線ではありません。しかし、その経験の一つひとつが、現在の制作へとつながっています。ビジュアルマーケティングの仕事も、神経科学を通して人の無意識のパターンを学んだ時間も、いずれも彼女の表現を形づくる要素となりました。絵画への本格的な転身も、突然生まれたものではありません。これまでの経験が積み重なり、自然な流れのなかで現在の制作へと結びついていったのです。そうした背景があるからこそ、彼女の作品には独特の奥行きがあります。長年培われた視覚的な感覚、手を使った制作の経験、そして人の感情への理解。それらが重なり合いながら、キャンバスの上で一つの表現として結実しています。

アレナ・レザノヴァ:内なる鼓動を描く

アレナ・レザノヴァにとって、アーティストになることは「選ぶ」ものではありませんでした。それは、いずれ表に現れる時を待っていた、自分の中のもう一つの姿だったのです。彼女は長いあいだ、創作を公にすることなく続けてきました。情熱は、広告やプロダクトフォトグラフィーの仕事を続けるかたわらで静かに育っていきます。本格的に自分の表現に向き合うと決めたとき、彼女は明確な意志をもって準備を進めました。美術史を学び、アーティストステートメントをまとめ、自分がどのような作品を生み出したいのかを整理していきます。その過程で見えてきたのは、「何を描くのか」だけではありません。「なぜ描くのか」「誰に向けて描くのか」という問いでした。

当初は、インテリア空間に調和する作品を意識し、視覚的な美しさを中心にした構成を試していました。画面の質感や素材、技術的な仕上がりを重視した絵画です。しかし制作を続けるうちに、それだけでは物足りなくなります。作品には、もっと意味や物語が必要だと感じ始めたのです。やがて制作は、鑑賞者に思考を促すようなコンセプト重視の方向へと移っていきました。装飾としての美しさよりも、感情や内面の経験を表すことを大切にするようになったのです。そうした探求のなかで、彼女は抽象表現に自分の言葉を見つけました。抽象は何かを隠すためではありません。言葉ではとらえきれない内面の感覚を表すための方法でした。彼女の絵画は、思考や感情を映し出す場となり、それぞれの作品が言葉にならない感覚に近づこうとする試みとなっていきます。この変化は単なるスタイルの転換ではありません。彼女にとって、「作品をつくるとはどういうことか」を改めて考え直す出来事でもありました。

やがてアレナは、自分の歩みそのものが他の人にも意味を持つかもしれないと気づきます。彼女は絵画だけでなく、自身の経験を通してその考えを伝えるようになりました。彼女の歩みが示しているのは、アーティストになるために長い専門教育や特別な才能が必ずしも必要ではないということです。必要なのは、心を開くこと、決意、そして好奇心です。いま彼女は、人が自分の迷いを越え、創造したいという気持ちに向き合うことの大切さを伝えています。彼女の言葉と作品が示しているのは、アーティストを決めるのは「始める」という行為だということです。探り、挑み、つくる。その一歩が、アーティストを形づくるのです。

触覚と思考のあいだ

アレナ・レザノヴァの制作は抽象表現を軸にしていますが、その背景にはきわめて個人的で心理的な関心があります。彼女の作品が見つめているのは、人の内面の動きです。意識と無意識のあいだで揺れ動く感情や感覚を、画面の中で探ろうとしています。精神分析の考え方を手がかりにしながら、彼女が描こうとしているのは、私たちがどのように世界を受け取り、どのように感じ、そしてその経験によって変化していくのかという内面の働きです。彼女の制作を支える言葉に、「中心は、私がいる場所にある」というものがあります。この考え方は作品の大きな軸となり、人はそれぞれ自分自身の経験の中心に立ち、内側から現実を形づくっていく存在だという視点を示しています。

その考え方は、制作の方法にも表れています。アレナはしばしば筆を使わず、指で絵具を広げながらキャンバスに直接触れて描きます。手で触れながら制作することで、作品にはどこか彫刻的な感覚が生まれます。絵具を直感的に動かしながら形をつくっていくその過程は、粘土を扱うときの感覚にも近いものです。さまざまな素材を試した末に、彼女が最終的に選んだのは油彩でした。レリーフ状の表面表現やアルコールインクなども試しましたが、油絵具の豊かな質感と柔軟さ、そして感情を表す力に強く惹かれたのです。油彩は修正がしやすく、時間をかけて色や奥行きを変化させていくことができます。さらに彼女はエポキシ樹脂も作品に取り入れています。流れ方が予測できないその性質に魅力を感じたからです。意図してコントロールできるものと、思い通りにならないもの。その対比は、彼女が作品の中で扱う心の二面性とも重なっています。

彼女の制作にはテクノロジーも重要な役割を果たしています。ただし、それは、作家の手を置き換えるものではなく、制作の発想を広げるために取り入れられています。アレナは制作の過程でAIを取り入れており、それを人類の経験が蓄積された大きなアーカイブのようなものとして捉えています。その考え方は、カール・ユングが語った「集合的無意識」にも通じるものです。彼女にとってAIは、個人の洞察と人々の記憶を結びつける橋のような存在です。抽象的な発想を、具体的な形へと導く役割も果たしています。こうしてアナログな素材とデジタルの技術が組み合わさることで、彼女の作品には多層的な表現が生まれます。それは、私たちが生きる現代の感覚とも重なっています。アイデンティティや感情、経験は、物理的な世界とデジタルの世界のあいだで同時に広がっているからです。

アレナ・レザノヴァ:色の夢、絵具の呼吸

アレナ・レザノヴァの制作の中でも、とくに重要な位置を占めるのが「DreamScapes」シリーズです。この作品群は、彼女と芸術との向き合い方を大きく変えるきっかけになりました。制作が始まったのは、感情をうまく感じ取れなくなっていた時期でした。何をしても手応えがなく、心がどこか遠くにあるような状態だったといいます。そんな中でこのシリーズに取り組むことは、彼女にとって一種のセラピーでもありました。最初のイメージを作り始めたとき、彼女は久しぶりに「満たされる感覚」を取り戻します。何かをつくることに喜びを感じる、その感覚です。この経験をきっかけに、彼女にとって絵を描く意味そのものが変わっていきました。絵画は、見た目の美しさのためだけに描くものではありません。移ろいやすい感情の瞬間を画面にとどめるための行為になっていったのです。

「DreamScapes」の作品は、それぞれが感情の一瞬をとらえた記録のような存在です。アレナはこの制作を、すぐに消えてしまう感覚をつかまえておこうとする試みだと語ります。とくに、ふと訪れてはすぐに消えてしまう、一瞬の満足感です。作品の中では、大胆な抽象表現と強い触覚的な質感が組み合わされています。鑑賞者は作品を見るだけでなく、キャンバスに表れた感覚を自分の感覚として感じ取ることができます。色や形、そして表面の質感を通して、彼女は感情を視覚的な断片として表しています。それぞれの作品は、何かを感じること、失うこと、そして再び意味を見つけることについて静かに考えさせます。

このシリーズは、彼女に新しい構想ももたらしました。アレナは「DreamScapes」を、五感で体験するインスタレーションへと発展させたいと考えています。AIによって作品が動き、空間には音が広がり、香りや触感が加わる環境です。ドバイの「AYA Universe」のような体験型空間に着想を得ながら、鑑賞者が作品を見るだけでなく、その中に入り込める場を思い描いています。そこでは、人々が作品の感覚を体験しながら、自分自身の感情と向き合うことになります。彼女の構想は、訪れた人が作品の世界に入り込み、自分自身の感覚を見つめ直すような空間をつくることです。自分自身を取り戻していく過程から生まれたこのビジョンは、いまその体験を他の人にも開こうとしています。