「椅子は、私の思いや感情を映し出す、日記のような存在です。」
自然を核に:科学と芸術に根ざした人生
生命のミクロの世界と、雄大な自然の景観。その両方に親しみながら、リリス・スノーデン(Lyris Snowden)は制作を続けてきました。微生物生態学と科学教育に携わってきた経験は、現在の表現にも深く結びついています。オーストラリア・サンシャインコースト内陸の農場で暮らす彼女のまわりには、草花やさまざまな生きものの姿があり、それらが日々の制作の土台となっています。幼い頃から、骨董を好む親族や建築に関心を持つ家族に囲まれ、道端の野の花に足を止めたり、原野を歩いたりする時間が自然と身近にありました。そうした経験が、見過ごされがちなものにも目を向ける感覚を育てていきます。このまなざしは、現在の制作にもそのまま息づいています。
生きものを描いた図やスケッチに触れたことも、大きな影響を与えました。見たものを細かく描きとめる行為は、その存在を確かにとどめることでもあります。やがて彼女は自然史の描写へと関心を深め、自宅の敷地で見つけた植物や昆虫を繰り返し描くようになります。その積み重ねの中で、日常の中にあるわずかな変化や気配にも目を向けるようになっていきました。人が見落としたり、不要と判断したりするものにも関心は広がり、植物や昆虫にとどまらず、古い家具や装飾品にも目が向けられます。人の手を離れたそれらの品も、彼女にとってはまだ役目を終えたものではありません。捨てられた椅子もまた、かつて木として生きていたものとして、新たなかたちで使い直されていきます。
こうした流れの中で、彼女は家具に絵を描くという方法にたどり着きました。古い家具に手を加え、その表面に描くことで、そこに新たな時間や感覚が重なっていきます。単なる修復ではなく、家具は別の意味を持つものへと変わっていきます。鮮やかな色彩が目を引く一方で、その表面には生きものや自然への関心が丁寧に描き込まれています。
リリス・スノーデン:絵具と木が語る物語
スノーデンが視覚芸術の道に進んだのは、はじめから意識していたわけではありません。科学と直感、そして偶然が重なるなかで、現在の制作へとつながっていきました。幼い頃から絵を描いてきた彼女は、当初は科学的な図や日常のスケッチを描いていました。そこに見られる細かな線や繰り返しの模様には、後の制作につながる感覚がすでに表れています。やがて壊れた椅子が道端やリサイクルショップから自然と集まるようになり、それらに描くことが制作のきっかけとなりました。友人に勧められ、これまでのドローイングを大きな面に描くようになったこと、さらにチョークペイントでは表現しきれないと感じたことを機に、彼女はアクリル絵具で椅子に描き始めました。ここから制作の方向が大きく変わっていきます。椅子に描くなかで、思考や言葉、感覚が自然と表れ、それぞれの作品には内面がにじむようになっていきました。
その作風は、ひとつの型に収まることがありません。有機的な模様や流れるような構成を軸にしながらも、描きながら画面を整えていきます。花や昆虫、菌類、月、銀河といったモチーフは繰り返し現れますが、それぞれが意味を持ちながら画面の中で関係し合っています。花は時間の移ろいを感じさせ、月は現実と内面の両方を照らし出します。銀河は、人がどこから来たのかという感覚を呼び起こします。昆虫や菌類もまた、その形や役割に目を向けることで、あらためてその存在が意識されるようになります。家具の裏や内側といった見えにくい部分にも手が加えられ、言葉が書き込まれることもあります。塗られていない木肌や刻印が残ることで、家具がたどってきた時間もまた、作品の一部として現れます。
制作の途中で浮かんだ言葉や詩も、作品の中に書き込まれていきます。それらは作品を形づくる要素のひとつです。椅子の上では、色や線、言葉が重なり合い、一つの画面が形づくられていきます。彼女は主題を切り分けることなく、生物学的な視点と内面的な感覚を行き来しながら制作を進めています。それぞれの作品には、自然への関心と人の感覚が重ねられています。
キャンバスとしての家具:意志を宿す変容の実践
スノーデンの制作は、使われなくなった家具との出会いから始まります。道端で拾ったヴィンテージの椅子やテーブル、あるいは中古店で見つけた家具は、年月を経て傷みが残り、見た目を整えるだけでなく修理も必要になります。彼女は絵を描く前に、まず家具を丁寧に手入れし、使える状態へと整えていきます。この工程の中で、それぞれの家具にどのような表現が合うのかを見極めていきます。椅子やテーブルはすぐに描き始めるのではなく、しばらくアトリエに置き、形を見ながら時間をかけて考え、どのように描くかを少しずつ決めていきます。
準備が整うと、彼女はアクリル絵具で木の表面に直接描いていきます。下絵は用いず、描き進めながら画面を組み立てていきます。モチーフは日々の暮らしの中で目にしている自然から生まれます。庭に面したアトリエで制作を続ける中で、外の風景や気配がそのまま画面に取り込まれていきます。葉の上を走る虫、樹皮の手ざわり、ふと現れる菌類などが、形を変えながら描かれていきます。画面の中では、草花や生きもののかたちが重なり合い、落ち着いた色合いと強い色彩が並んでいます。
なかでも重要な作品のひとつが、『イカと月』(2025年)です。ヴィンテージの木製椅子に描かれたこの作品では、マリンスターと呼ばれる菌類が種子のようなものを生み、それを巨大なイカが運んでいく様子が描かれています。本来は地上に生える菌類ですが、ここでは海の生物のように表されています。イカは未知の領域へ向かう存在として描かれ、画面に独特の広がりをもたらしています。この作品には、生命の始まりや変化、人の理解が及ばないものへの関心が表れています。
リリス・スノーデン:芸術とつながりの新たな地平へ
スノーデンの制作は、絵具と家具にとどまらず、表現の方法そのものを広げながら、人との関わりも深めていこうとしています。現在進行中の企画でもヴィンテージ家具を用いた制作を続けており、今後はサイドテーブルや装飾性の高いサイドボードにも取り組んでいく予定です。より広い面を持つ家具では、描き込める内容も増え、重なり合うイメージや複雑な構成がさらに広がっていきます。家具は一つとして同じものがなく、その都度、新しい制作が始まります。しかし、使われなくなったものに手を入れ、新たな価値を見出していくという姿勢は変わりません。こうした制作は、ものとの向き合い方そのものを問いかけています。
アトリエでの制作と並行して、活動の場も広がろうとしています。オーストラリアを離れて各地を訪れ、異なる環境や芸術コミュニティに触れることで、自身の制作を見つめ直していきます。土地や人、そこにあるものとの関係に目を向ける中で、新たな発想が生まれていきます。そうした経験は、今後の展覧会へとつながり、作品をより広い場所へ届けていくことにもつながっていきます。
なかでも大きな目標のひとつが、自身のギャラリーを持つことです。それは作品を並べるだけの場所ではなく、人が集まり、言葉を交わし、新たな制作が生まれていく場です。異なる分野の作り手たちが関わり合いながら、新しい表現が生まれていきます。そこには、これまでの制作にも通じる考え方が流れています。生命への関心や、見過ごされてきたものに目を向ける姿勢は変わりません。アトリエで制作に向き合うときも、展覧会や旅を通して人と関わるときも、彼女は観察と記憶を手がかりに、目に見えるものを丁寧に見つめながら、その意味を探っています。




