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「ときに、暗い出来事が、美しく創造的なものを生み出すことがあるのです。」

トラウマ、アート、そして生き抜くための言語

ジャミール・ハイアット(Jameel Haiat)は、矛盾や変化、そして回復への力強い意志を胸に、アーティストとしての道を歩んできました。ロサンゼルスで生まれ、現在はタイ・チェンマイに拠点を構える彼は、複雑な幼少期の記憶を、自らの感情を込めた抽象表現へと形にしています。その作品は、既存のどのカテゴリーにも収まらない独自の存在感を放っています。幼いころのハイアットは、傷つけられ、次には急に優しくされるという、矛盾した両親との関係の中で育ちました。感情の混乱と身体的トラウマが交錯した幼少期は、彼の表現の基盤となっています。理不尽さと戸惑いが繰り返されるなかで、感情のやり場を見失っていった彼は、その記憶を押し殺すことなく、むしろ作品の中でまっすぐに向き合おうとしてきました。破れた紙の端や打ち込まれた釘のひとつひとつに、幼い自分が抱えていた思いが静かに息づいています。彼の作品は、ただ傷を描くのではなく、それを隠さず見せることで、人の内側にある複雑さを浮かび上がらせます。苦しみを飾り立てるのではなく、そのままのかたちで差し出すようにして表現する。そこに、彼の作品が持つ誠実さと、静かな力強さがあります。

ハイアットの作品に通底するのは、「壊すこと」と「つくり直すこと」のあいだにある緊張です。紙や段ボールを引き裂き、それらを新たに組み直していくという行為は、彼にとって癒やしのプロセスそのものでもあります。ばらばらになった記憶を拾い集め、創造という手段でつなぎ直す。その行為には、過去に対する主導権を取り戻すという意思が込められています。ハイアットの作品は、トラウマを題材として描くだけでなく、それを制作の原動力として扱っています。段ボールや水彩紙など、使い古された素材の中から、壊れたものの奥にある美しさや力がにじみ出る。彼にとってアートは、内面を見つめる手段であり、そこから解き放たれるための道でもあるのです。それは抽象画というよりも、積み重ねた経験の上に築かれた、感情のかたちそのものです。

現在、ハイアットはタイ北部の田園や山々に囲まれたスタジオで制作を続けています。デジタル機器を排し、紙や段ボール、接着剤、スプレーペイント、水彩インクといった最低限の道具だけをそろえた空間で、静かに創作に向き合っています。その静けさは、彼の内面に渦巻く感情と対照的でありながら、それを形にするための余白となっています。紙を破り、素材を重ね、ひとつずつ構成していく。手の動きの一つひとつが、彼にとっては再構築の儀式であり、自分自身の真実や、芸術家としてのあり方と深く結びついているのです。

ジャミール・ハイアット:自由な創作への転換点

創作することは、ジャミール・ハイアットにとって、ずっと身近な営みでした。ただ、それを本格的に外に向けて表現するようになったのは、ずっと後のことです。アートは彼にとって、生まれつき備わった資質であり、自分自身そのものともいえる存在でした。しかし長いあいだ、情熱よりも現実的な選択が重視される社会の空気の中で生きてきました。大学への進学も、自分の意志というより、周囲の期待に応えるかたちで決めたものでした。それでも、何かをつくりたいという気持ちは消えませんでした。やがて彼はテーマ型エンターテインメント業界に入り、アートディレクターやプロダクションデザイナーとして25年間働きます。創造力を仕事に活かすことはできましたが、その表現はあくまで、クライアントの指示や商業的な枠組みの中にとどまっていました。

そうした枠から自分を解き放ったのは、ごく最近のことです。これまでの安定したキャリアを手放し、先が見えないながらも、自分にとって本当に満たされる道を選びました。商業アートのように締め切りや要求に縛られることなく、今の彼は、自分の内面と対話しながら、作品を生み出しています。それは単なる職業の転換ではなく、生き方そのものを変える決断でもありました。市場の動向に左右されることなく、心から湧き出るものをそのまま形にできるようになったことで、彼の表現にはこれまでにない深さと率直さが生まれています。安定を手放し、感情をさらけ出すような表現に向かうことは、大きなリスクも伴いました。それでも彼は、それこそが芸術家として、そして一人の人間として、不可欠な選択だったと感じています。

直感に従うようになってから、ハイアットの創作は新しい段階に入りました。他人のビジョンや仕事の枠組みに左右されることなく、自分にとって意味のある素材やかたちを探求できるようになったのです。現在の主要な素材である破れた紙や段ボールとの出会いも偶然でしたが、それは彼にとって大きな転機となりました。最初は、ただ紙を破ってみるという小さな試みでしたが、それがやがて彼の表現の核となっていきます。重ねられた紙の層やざらついた質感が、これまで使ってきたどの素材よりも、自分自身の体験を語ってくれるように感じたのです。油絵から拾ったものでつくる彫刻まで、これまでさまざまな手法を試してきた彼ですが、この偶然の出会いをきっかけに、自分にとってもっとも正直に語れる視覚表現にたどり着きました。そこには、壊すことと美しさとが繊細に結びついています。

立体的な言語:花と弾丸のあいだで

ハイアットの作品は、ひとつのジャンルにすんなり収まるものではありません。抽象表現、彫刻、コラージュ──さまざまな要素が交差しながら、作品は平面を超えて空間そのものへと広がっていきます。紙や段ボールといった素材は、裂かれ、折られ、穴が開けられ、その「傷」そのものが作品の一部として生きています。こうした立体的な構造は、見た目の変化にとどまらず、作品の根幹をなす要素です。ハイアットは、トラウマと癒やしというテーマを、ただ描くのではなく、「もの」として立ち上がらせます。爆発や銃弾を思わせる激しさと、草花のようなやわらかさが同じ画面に共存し、攻撃性と優しさがせめぎ合う視覚的な対話を生み出します。観る者はそこに、人間の中にある二つの感情──傷ついた記憶とそこから立ち上がろうとする意志、崩壊と回復──のあいだを行き来することになるのです。

釘、裂け目、盛り上がった紙の起伏など、彼の作品に繰り返し現れるかたちは、偶然ではなく、意味を込めたモチーフです。それぞれが、心のひび割れや、そこから立ち直っていく身体のプロセスを象徴しています。重ねられた素材の層は、視覚的な奥行きを生むと同時に、感情の回復をたどるような深さも与えます。段ボールや紙といった、日常では壊れやすく、使い捨てられる素材が、彼の手を通すことで「持ちこたえる力」や「変化を受け入れる強さ」の象徴へと変わっていくのです。ありふれた素材が、記憶を刻んだ碑のように立ち現れます。そこに込められた静かな力は、「人はどうやって生き延びるのか」という問いを、観る者にそっと投げかけてきます。

そうした彼の哲学がもっとも色濃く現れているのが、彫刻作品『Ovoo(オボー)』です。モンゴルで旅の安全や幸運を祈って積まれる石塚にちなんだこの作品は、破かれた段ボールや、喉頭がんの療養中に用いた素材によって構成されています。中央には、植物性プロテインの空容器が並びます。胃ろうによる栄養摂取に頼っていた彼にとって、それは命をつなぐ手段でした。『Ovoo』には、壊れやすさと回復力の両方が刻まれており、精神的な祈りと肉体的な現実がひとつの形として重ねられています。この彫刻は、病と向き合った身体の記録であり、光を求めて歩み続ける彼自身の姿を映し出す、終わりのない旅の証でもあるのです。

ジャミール・ハイアット:断片から築く未来

山々が連なり、森が果てしなく広がるチェンマイの地で、ジャミール・ハイアットは制作と向き合う日々を送っています。この土地の静けさに身を置くことで、彼は自然の風景だけでなく、自らの創作のこれからにも、少しずつ確かな手応えを感じ始めています。彼のスタジオは、自然に囲まれた隠れ家であり、実験室でもあります。そこで彼は、これまでにないスケールのインスタレーション作品を構想しています。破いた段ボールや重ねた紙、突き出した釘など、彼の象徴的な素材を使って、実際に人が中に入って体験できる空間をつくり出そうとしているのです。作品の中を歩き、触れ、感情とともに移動していく──それは、彼が一作ごとに通ってきた「トラウマと向き合う道のり」を、観る者自身も身体でたどる体験となるでしょう。

こうした構想の根底には、「見せる」のではなく「ともに感じる」ことへの強い思いがあります。ハイアットは、観る者が作品と直接関わることで、より深い共鳴が生まれると信じています。その空間は、ただ美しく飾られるのではなく、心と体の両方に訴えかける場所となるはずです。彼の作品に込められた「壊れること」や「再び築くこと」といったテーマは、観客自身の歩みとも重なり、ギャラリーという空間が、静かな対話や内省、そして癒やしの場へと変わっていきます。そこにあるのは、芸術の枠を超えた、人と人とがつながり、変わっていくことへの根源的な願いです。

ハイアットが影響を受けた作家には、ルイーズ・ネヴェルソン、アイ・ウェイウェイ、草間彌生、ジャクソン・ポロック、ジャン=ミシェル・バスキア、アンディ・ウォーホル、コーネリア・パーカーといった名だたるアーティストたちがいます。なかでも、拾い集めた素材を使い、モノクロームの立体作品を手がけたネヴェルソンの存在は、物質に意味を宿らせるという考え方において、大きな影響を与えました。しかし、そうした影響を出発点としながらも、いまの彼の作品は、明確に彼自身の声をもつものへと成熟しています。彼にとって創作とは、誰かに捧げるオマージュではなく、自分自身の複雑な人生を語るための唯一の言葉です。裂かれた紙のかけらや、貼り重ねられた形の一つひとつが、過去を越え、未来を築くための言葉となっているのです。