「構成しようとするのをやめる。行き詰まったり苛立ちを覚えたりしたとき、いつもそう自分に言い聞かせます。そしてまた制作に戻るのです。」
表層の奥に残るもの:西テキサスの風土が形づくった感覚
テキサス州オデッサの荒々しく乾いた土地で、シェイン・ブラントリー(Shayne Brantley)は育ちました。強い陽射しにさらされたこの街には、石油産業に支えられた現実の姿と、アメリカ西部の記憶をいまも感じさせる文化とが並んで存在しています。そうした環境が、彼のものの見方の土台となりました。オデッサは単なる背景ではなく、土地の手触りや広がりの感覚と結びついた出発点でもあります。記憶のなかの空にはポンプジャックの黒い輪郭が浮かび、その向こうには高原の静けさがどこまでも続いていました。対照的な風景が同時に広がるその光景は、いまも制作の直感のなかに残っています。また、先史時代の隕石衝突によって生まれたオデッサ・メテオ・クレーターの存在も、想像力のなかで大きな位置を占めています。突如として景観を変えてしまう力の記憶。かつて隕石が落ち、いまは油田労働者が地中を掘り進める。そうした時間の重なりのなかで育った経験が、異なるものが思いがけず出会う瞬間への関心へとつながっていきました。それはやがて制作の核となっていきます。
制作過程を重視するこの考えは、ミネソタ大学でMFA取得を目指した時期にさらに深まり、その後スコウヒーガン絵画彫刻学校での経験によって確かなものとなります。そこでは発想の広がりとともに、制作のスケールも大きくなっていきました。学業を終えたのち、彼はニューヨークへと拠点を移します。日中は制作に向かい、生活のためにタクシーを運転する。そうした日々の重なりは、現在の制作にも通じる緊張として残っています。彼は自らの作品を、皮肉や風刺に寄りかかるものではなく、率直なものだと考えています。作品は明確な意味を言い切るのではなく、静かな存在への問いをにじませます。意味は説明や物語を必要とせずに立ち現れると言う感覚が制作の底に流れています。
こうした相反する経験の重なりが、ブラントリーの制作の出発点となりました。自然の過酷さと美しさ、機械の無機質さと個人的な感情、身近な記憶と広大なスケールの感覚。オデッサの厳しい風土は、そこに存在しないものさえ強く意識させます。彼の作品には、色面と形態、具象性と質感とがせめぎ合う独特の緊張があります。それは、ものを見るという行為そのものを最初に教えた環境の記憶が別のかたちで現れているかのようです。用いられる素材は伝統的なものですが、その扱い方は独自の経験に裏打ちされています。対比への鋭い感覚は、美術史の知識というより、矛盾に満ちた現実のなかで培われたものだと言えるでしょう。
シェイン・ブラントリー:手放し、削り返すという制作
1980年代初頭、テキサス州シャーマンのオースティン・カレッジに入学したことが、ブラントリーの制作に転機をもたらしました。当初は固定された考えに縛られまいと、ゆるやかな姿勢で作品に向き合っていました。しかしその状態は長く続きません。やがて形式への関心が前面に出てくるようになります。そうした流れを変えたのが、指導教員ジョー・ヘイヴェルの一言でした。「構成するのをやめろ」。この言葉は助言というより、制作の見方を揺さぶる出来事となります。意図を整えてから手を動かすのではなく、手の動きのなかで次の展開を見つけていく。偶然を受け入れ、仕上げすぎないことを選び取る。そこから探究そのものを軸とする制作が始まりました。ドローイングや絵画は到達点ではなく、進みながら見えてくる過程として捉えられるようになります。消すことや失敗することもまた、精密さや統御と同じだけ意味を持つようになっていきました。
制作過程を重視するこの考えは、ミネソタ大学でMFA取得を目指した時期にさらに深まり、その後スコウヒーガン絵画彫刻学校での経験によって確かなものとなります。そこでは発想の広がりとともに、制作のスケールも大きくなっていきました。学業を終えたのち、彼はニューヨークへと拠点を移します。日中は制作に向かい、生活のためにタクシーを運転する。そうした日々の重なりは、現在の制作にも通じる緊張として残っています。彼は自らの作品を、皮肉や風刺に寄りかかるものではなく、率直なものだと考えています。作品は明確な意味を言い切るのではなく、静かな存在への問いをにじませます。意味は説明や物語を必要とせずに立ち現れると言う感覚が制作の底に流れています。
彼のスタイルの中心にあるのは、プロセスそのものへの関心です。絵具や鉛筆、インクを幾層にも重ね、それを削り取り、えぐり、取り除く。構築と解体が繰り返されるなかで画面は変化していきます。混乱や断絶のなかから思いがけず像が浮かび上がることもあります。彼はそうした過程のなかで、予想外に心地よい結果を見出します。削り出しのなかで残るイメージもあれば、痕跡だけをとどめて消えていくものもあります。ヒューストンの個人コレクションに収められている大作『Popcorn as Asteroid』や『Chick』は、意図と偶然の関係をよく示しています。一方、金属に描かれた小品『Teacup』は、小さな画面でも強い印象が生まれることを静かに示しています。
混沌、色彩、そして何度でも始めるという勇気
ブラントリーの制作を支えているのは、素材と意味への尽きない関心です。その関心は、思いがけない瞬間にふと動き出します。美術史に名を連ねる画家や既存の様式だけが出発点になるわけではありません。風雨にさらされた家の壁に残る色の鈍い光や、物の表面に落ちる光のわずかな違和感が、新しい仕事のきっかけになることもあります。そうした移ろいやすい印象に感覚を開いておくことで、取るに足らないように見える細部であっても制作の流れを変えてしまう力を持つものとして受け止めています。彼は制作を途中で引き戻し、何度でもやり直します。それは苛立ちからではなく、方法として選び取られた行為です。ドリルに取り付けたワイヤーブラシで絵具の層を削り取り、下に残った痕跡や質感を再び表面へと浮かび上がらせていきます。消すことは失敗ではなく、新しい展開の入口になります。作品はその都度、思いがけない方向へと動き出します。
ブラントリーの仕事を語るうえで、サミュエル・ベケットの言葉がしばしば引き合いに出されます。「挑戦したか。失敗したか。それがどうした。もう一度挑戦しろ。もう一度失敗しろ。よりよく失敗しろ。」彼にとって失敗は終わりではなく、制作が進んでいくための過程です。一つひとつの作品には崩れてしまうかもしれない危うさと、思いがけない発見の可能性とが同時に含まれています。その危うさが自由を生み、制作を支えています。明確な様式や主題へと収束していく作家が多いなかで、ブラントリーは流れのなかに身を置き続けます。主題が繰り返し現れることはあっても、それが固定されることはありません。観念はあらかじめ決められるのではなく、対置や矛盾のなかから少しずつ形をとっていきます。そのため彼の作品は断定を示すものというより、見る者に解釈の余地を差し出します。重ねられた層は、それぞれ異なる入口となって視覚や感情に働きかけます。
ブラントリーの制作を特徴づけるもう一つの点は、作者性や意味に対する距離の取り方にあります。彼は個々の作品に最終的な説明を与えようとはしません。絵画やドローイングの重要性は、その成立の背景ではなく、見る者の知覚とどのように関わるかにあると考えています。ここではメディウムそのものが語りかけてきます。それは理論としてではなく、制作のなかで確かめられる感覚として現れるものです。巨大なキャンバスであれ一枚の紙であれ、彼の作品が向き合っているのは存在の手触りです。色彩や素材、身振り、そして時間がそこに積み重なっているという実感です。完成された結果よりも過程を重んじ、自らの仕事に驚かされることを受け入れる姿勢が、制作に独特の深みとしなやかさを与えています。
シェイン・ブラントリー:作品が作家を見出す場所
ブラントリーにとってスタジオでの時間は、計画や制作の区切りに沿って進むものではありません。制作は日々のなかに溶け込みながら続いていきます。そこにはいつも、もう一度始める余地が残されています。その開かれた感覚が、彼の創作を支えています。次にどのような作品に取り組むのかを前もって組み立てたり、主題の一貫性を整えたりすることもありません。仕事は、それぞれにふさわしいタイミングで自然に姿を現してくるものだと考えています。作品が準備できたときに現れるというよりも、自分自身がそれを受け取れる状態に近づいたときに出会う。そう言った方が実感に近いのかもしれません。こうした向き合い方によって、制作は一つの形に固まることなく続いていきます。厳密な工程表が先にあるわけでも、大きな構想がすべてを導くわけでもありません。彼にとって芸術とは、日々手を動かすなかで少しずつ深まっていく営みです。同じ行為を繰り返しながらも、その都度わずかな変化が生まれ、そこから新しい展開が開けていきます。
そのプロセスは予測しがたいものですが、だからといって気まぐれに進められているわけではありません。むしろ素材の反応や画面の変化に目を凝らし続ける集中が求められます。紙や木材、キャンバス、金属といった支持体に向き合うときも、完成した姿を先に思い描くことはありません。手を動かしながら、そこにどのような変化が生まれるのかを確かめていきます。使われる道具は単純で直接的なものが多く、制作のなかでは手の延長のように働きます。絵具は塗り重ねられ、削り取られ、ふたたび画面へと戻されていきます。その都度の操作は、直前に画面に現れた変化に導かれるように生まれてきます。作品が思いのほか早くまとまることもあれば、長い時間をかけて手を入れ続けることもありますが、そうした時間の違いが制作の流れを止めてしまうことはありません。むしろ予測できない変化に向き合う余地が広がっていきます。ブラントリーはそうした状態を無理に整えようとはせず、そのまま作業を続けていきます。
これからどのような作品が現れるのか、具体的な方向は定まっていません。しかし先が決まっていないこと自体が、彼にとっての期待でもあります。問いに答えを出すために制作するのでも、最終的な結論を示そうとするのでもありません。彼の仕事は、関わり続けることで保たれていく長い対話のように展開していきます。次の作品がどのような姿をとるにせよ、それは構築と削除、存在と不在、偶然と意図とのあいだを行き来する直感的なやり取りのなかから現れてくるでしょう。彼自身の言葉を借りれば、作品はそれを見出したときに向こうから現れるものです。そうした往復の積み重ねが、変化を続ける制作を支えています。




