「幻想や魔法のようなものには、昔から強く惹かれてきました。」

暗室から始まったイメージの探究

ヴィト・カルタ(Vito Carta)が写真の世界で仕事を始めたのは、ミラノの写真エージェンシーでした。写真家として撮影を行う一方、プリントも手がけるなかで、光や明暗、構図を細やかに見極める感覚を身につけていきます。しかし、関心は商業写真の仕事だけに向けられていたわけではありません。次第に惹かれていったのが、暗室での作業によって写真が別の表情へと変わっていく面白さでした。薬品の使い方や露光時間を変えながら試行錯誤を重ね、それらを単なる現像の手順ではなく、作品の印象を決める表現の一部として扱うようになります。正確な技術を求められる仕事と、自由な発想による実験。この二つを同時に経験したことが、その後のカルタの表現を支える土台になりました。やがてデジタル技術が普及しても、それまで培ってきたアナログの手法を手放すことはありません。新しい技術もまた、自らの探究をさらに進めるための手段として取り入れ、写真を一度完成したら動かないものではなく、手を加えながら変化させていけるものとして考えるようになっていきました。

デジタル技術を取り入れたことは、それまでの制作方法を捨てることではなく、できることをさらに広げるきっかけになりました。画面の質感に手を加えたり、複数の断片を組み直したり、異なる印象を重ねたりすることで、写真により深い心理的な感覚を持たせることが可能になります。一方で、暗室時代に身につけた慎重で正確な仕事の進め方は、その後も変わりませんでした。従来の写真技法とデジタルによる加工を組み合わせることは、やがてカルタの制作を特徴づける重要な要素となります。実際にそこにあったものを写した写真でありながら、手を加えることで現実には存在しない光景へと近づいていく。その両方を行き来できることが、カルタの作品の大きな特徴です。彼にとって写真は、目の前の出来事をそのまま記録するだけのものではありません。一枚のなかに記憶やものの見え方、想像の世界を重ね、そこから新しいイメージを生み出すことのできる表現手段なのです。

1999年、カルタは写真エージェンシーとの仕事を終え、自らの作品を中心とした展覧会活動へと進みました。その最初の大きな一歩となったのがチュニスでの個展です。そこで発表されたのは、暗室でさまざまな実験を重ねながら制作した一連の作品でした。この展覧会を境に、依頼された写真を制作する仕事から、自分自身の関心を追いかける表現活動へと軸足を移していきます。自ら展覧会を開くことで、何をどのように見せるのかを自分で決め、自身の作品をより広い文化的な場へと送り出しました。チュニスという新しい土地で作品を発表したことは、それまでとは異なる環境で自らの考えを試す機会にもなりました。観客が目にしたのは、現実の光景を出発点としながら、そこに内面的な感覚が重なり、現実と心の中のイメージとの境目が見えにくくなった写真です。こうした初期の個展を通して、カルタならではの作風が少しずつはっきりと形になっていきました。

ヴィト・カルタ:記憶と幻想の詩学

カルタが一貫して大切にしてきたのは、写真というイメージそのものと密接に向き合うことです。写真が現実を記録する手段として発展してきた歴史から距離を置くのではなく、むしろその性質に正面から向き合い、写されたものはどこまで信頼できるのか、写真はどこまで現実を正確に伝えられるのかを問い続けています。とりわけ関心を寄せているのが、記憶の曖昧さと、ときに事実を別の姿へと変えてしまうその性質です。カルタの作品に現れる光景は、記憶をたどるときのように、鮮明さとぼやけた感覚のあいだを行き来します。現実の風景にはわずかな変化が加わり、やがて夢の一場面を思わせる空気を帯びていきます。見慣れたものも確かな輪郭を失い、どこか捉えきれない存在へと変わります。そんな記憶の感覚が、画面のなかに静かに立ち現れます。カルタはこうした表現を通して、記憶がどのように残り、またどのように姿を変えていくのかを見つめています。

その探究において、人物の存在は重要な役割を担っています。カルタ自身、具象的なイメージを好み、多くの作品では一人の人物が画面の中心に置かれます。繰り返し登場するこの人物は、変化する周囲の光景のなかで物語の軸となり、見る人の視線をつなぎ止める存在です。同時に、その人物は、日常の見え方からわずかにずれた世界を見つめる者であり、その世界の一部でもあります。人物を中心に据えることで、アイデンティティや記憶、幻想といった主題も、その存在を通して少しずつ浮かび上がってきます。単に風景の中に配置されているのではなく、作品に込められた感情や意味を引き受ける存在なのです。姿勢や身振り、画面のなかでの位置によって、目の前の現実と記憶のなかに残る像との繊細な隔たりが表されます。そこには、確かな身体の存在と、そこから遠ざかっていく内面の感覚との緊張も生まれています。

カルタの作品に漂う夢のような感覚は、華やかな演出によってつくられるものではありません。見る人を圧倒するような明白な幻想世界を提示するのではなく、日常のなかにごく小さなずれを持ち込むことで、見慣れた感覚を静かに揺さぶります。色やさまざまな印象、画面を構成する要素が重なり合い、時間が止まったかのような空気が生まれます。そこには、記憶が過去の経験をそのまま保存するのではなく、ある部分を薄れさせ、別の部分を鮮明にしながら形を変えていくことへの関心があります。カルタのイメージもまた、そうした記憶の働きを思わせるように、夢の断片に似た姿へと組み立てられています。すぐに意味を読み取らせるのではなく、見る人がその場にとどまり、ゆっくりと考えるための余白を残しているのです。そこでは、幻想によって現実が否定されるのではなく、現実そのものが別の角度から捉え直されます。明確な答えのないその空間で、見る人は自らの記憶のあり方と向き合い、確かだと思っていたものが、いつの間にか曖昧な印象へと変わっていることに気づかされます。

文学の余韻とシュルレアリスムの影響

カルタの作品を読み解くうえでは、美術だけでなく文学から受けた影響も重要です。なかでも大きな存在がルネ・マグリットです。日常的なものを思いがけない状況に置き、現実の見え方そのものを問い直したマグリットの作品には、カルタの感覚と通じるものがあります。カルタもまた、写真が捉えた現実を組み替えることで、見慣れた光景に別の意味や印象を生み出しています。ただし、特定のモチーフを模倣しているわけではありません。彼が受け継いでいるのは、イメージが何を表し、何を意味し得るのかを問い続ける姿勢です。その関心は絵画にとどまらず、文学にも広がっています。とりわけ惹かれているのが、20世紀のエルメティズモの詩人たちによる、簡潔でありながら強い余韻を残す言葉です。わずかな言葉に複雑な感情を凝縮するその表現は、一枚の写真のなかに空気や意味を集約しようとするカルタの制作にも重なります。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスやアレハンドロ・ホドロフスキーによる幻想的な物語も、カルタの想像力を育んできました。精密に組み立てられた構造のなかで、迷宮のように複雑な思考を展開するボルヘスの物語は、いくつもの要素が重なり合うカルタの画面にも響いています。一方、神秘主義と象徴を交差させるホドロフスキーの世界は、魔術的なものや説明のつかないものへの関心をさらに深めました。こうした文学から受けた刺激は、写真を論理と幻想が交わる場所として捉えるカルタの考え方にも息づいています。その影響は、文学作品の場面や物語を直接写真に置き換えるようなものではありません。むしろ、すべてを説明せず、見る人の想像に委ねる姿勢として表れています。こうした背景を持つカルタの作品は、曖昧さや想像力による変容を重んじてきた、より広い文化的な流れとも結びついています。

幻想的なものへの強い関心は、長年にわたってカルタの制作を導いてきました。ただし、それは奇抜で華やかな演出として前面に現れるものではありません。現実のなかにわずかな違和感を忍ばせることで、確かだと思っていた感覚を静かに揺さぶります。美術と文学の双方から得たものを取り込みながら生み出される写真は、視覚による詩のようでもあります。すぐに答えを示すのではなく、見る人に立ち止まって考えることを促すそのあり方は、少ない言葉に意味と余韻を凝縮するエルメティズモの詩にも通じています。作品に漂う魔術的な気配も、強く主張されることはありません。むしろ画面の奥に静かに潜み、現実には目に見えているものだけではない別の側面があることを感じさせます。こうしたさまざまな影響が重なり合うことで、カルタにとって写真は単なる再現の手段を超え、ものの見方や想像力そのものを探るための、哲学的かつ詩的な表現へと広がっています。

ヴィト・カルタ:断片から未来のイメージへ

カルタの考え方をよく表している作品のひとつが《Alice》です。この作品では、確かな存在と、捉えきれないものとの対比が鮮明に示されています。画面に写る手は現実のものとしてはっきりとした存在感を持つ一方、人物の顔は輪郭を失い、誰であるのかさえ判然としない姿へと溶けていきます。確かな手と、消えかけた顔。その対照によって、異なる二つの世界がひとつの画面のなかで結ばれながら、同時に隔てられているようにも見えます。そこには、ある細部だけが鮮明に残り、別の部分は次第に曖昧になっていくという、記憶の不確かさが表れています。カルタはこの構成によって、存在しているものと失われていくものとの微妙な関係を視覚化し、記憶が何かを浮かび上がらせる一方で、別の何かを覆い隠してしまうことを伝えています。

こうした作品の制作方法にも、イメージを組み立て、変化させていくカルタの姿勢がよく表れています。まず複数回の撮影を行い、被写体だけでなく、さまざまな印象や色彩を写真として集めていきます。そこから得られた要素は、新たな画面をつくるための素材となり、次の作品へ向けて組み替えられていきます。集められた素材は一種の実験の場となり、そのなかから断片を選び、重ね合わせ、形を変えながら、新しい構成を探っていきます。この制作方法には、イメージは完成した瞬間に固定されるものではなく、変化を続けるものだというカルタの考えが反映されています。一度の撮影で決定的な一瞬を捉えるのではなく、複数の要素を蓄積し、それらを再構成することで一枚の作品をつくり上げていくのです。最終的な画面には、それぞれの断片がもともと持っていた痕跡が残りながら、そこからさらに新しいイメージの可能性が開かれていきます。

現在も、カルタの活動は新たな展覧会の機会を通して広がり続けています。On The Fringe galleryでのグループ展への参加からも、カルタが現在のアートの流れと関わりながら、活動を続けていることがうかがえます。さらに6月には、ニューヨークのMoMAで映像作品の上映が予定されており、国際的に知られる場で作品を紹介する重要な機会となります。こうした展開からも、その制作がひとつの場所や形式にとどまることなく、常に新たな方向へと広がっていることがうかがえます。写真の伝統や技術を深く理解しながらも、自らの表現にふさわしい新しい発表の場や方法を探し続けているのです。これまで積み重ねてきた実験と、これから生まれる表現は別々のものではなく、ひとつの探究の流れとしてつながっています。記憶、幻想、変容という主題を、変化し続ける表現のなかで追い続けること。その一貫した探究こそが、カルタの過去の実践と未来への視線を結びつけています。