「目にする風景やイメージを自分らしい表現へと落とし込む中で、日本社会の価値観や規範、特に女性やマイノリティの役割に対して問いを投げかけています。」
オランダの原点と東洋への転機
オランダ出身のタンヤ・ハウエルザイルは、自らを「フロンティア世代」と表現しています。彼女の両親は異なる分野で活躍し、父親は医師として多くの人々に寄り添い、母親はオランダで初期の女性判事としてその道を切り開きました。こうした家庭環境の中で育った彼女にとって、女性が自立し、社会に貢献することはごく自然な価値観でした。
タンヤは、アムステルダム大学でヨーロッパ研究を専攻し、その後法学の学位を取得しました。二人の子どもの母親として家庭を支えながら、夫の海外赴任にも寄り添い、多忙な日々を送っていました。
そんな彼女の人生が転機を迎えたのは2004年のことです。夫が東京で新たな仕事に就くことになり、タンヤはこれを機にキャリアをいったん手放し、日本での新しい生活を始めました。異文化の中での生活を通じて、日本社会に根付く伝統や女性に対する価値観の違いを肌で感じるようになり、その経験は彼女自身の考え方に大きな変化をもたらしました。この出来事が、彼女にとって新たな可能性を模索する第一歩となったのです。
タンヤ・ハウエルザイル:日本の対比が生んだ新たな芸術
日本の風景は、穏やかな美しさと荒れ果てた風景が同時に存在する、独特の魅力でタンヤを引きつけました。この対照的な世界に心を奪われると同時に、以前のキャリアを一旦離れたこともあって、彼女は芸術を通じて新たな自己表現の道を探し始めます。特に、日本社会における女性やマイノリティの役割をテーマに、社会的規範に挑む作品を制作するようになりました。
幼少期から知的な教育を重視する家庭で育ったタンヤですが、一方で、視覚的な表現や手を動かして創り上げる芸術にも心惹かれる部分がありました。胸の奥に眠っていた情熱が日本で花開き、彼女はまず写真を手がけることからその道を歩み始めました。初めてのカメラを手に、ポートレートやフォトジャーナリズムといった多彩なジャンルに挑戦し、その作品は少しずつ多くの人々の目を惹きつけるようになります。
さらに、コロナ禍初期に訪れた東京の美術館で出会ったコラージュ作品は、彼女に新たなインスピレーションを与えました。この体験が契機となり、彼女の創作はさらに広がりを見せていきます。
創造の源泉とアーティストのアトリエ
タンヤ・ハウエルザイルの創作は、その場のひらめきと直感に導かれています。彼女は心を動かすビジュアルに出会うと、その感覚を逃さず素早く作品へと落とし込みます。二重露光を用いた写真や、独特で印象的なイメージ、さまざまな素材を組み合わせたコラージュなど、彼女の作品には即興的で大胆な表現があふれています。特にコラージュでは、一度素材を貼り付けるとやり直しができないという緊張感があり、その制約が彼女の作品に独自の力強さと魅力を与えています。
彼女の創作の拠点は、自宅の地下にあるスタジオです。この静かで落ち着いた空間には、彼女を刺激するさまざまな素材が箱に整理されて並んでいます。その中で、静寂に身を委ねたり、アンビエント音楽を聴いたりしながら、彼女のアイデアと創作意欲が自由に広がっていきます。
タンヤの芸術に影響を与えたのは、鋭い美的感覚が際立つサラ・ムーンや、ミニマリズムを極めたソール・ライターの作品です。また、東京で出会った日本のコラージュ作家・岡上淑子の作品は、彼女に深い感銘を与えました。さらに、1950~60年代の日本のヴィンテージヌード雑誌が持つ独特の物語性も、彼女の創作の重要なインスピレーション源となっています。
タンヤ・ハウエルザイル:公共空間を彩るアートの未来
タンヤは、デジタル写真とアナログコラージュを主な手法として創作活動を続けています。かつてはアナログ写真にも挑戦していましたが、そのじっくり時間をかけるプロセスは、彼女が求める表現のリズムとは相容れませんでした。一方で、デジタル写真の即時性と手軽さ、そしてアナログコラージュで素材に触れながら形を作る感覚は、それぞれ異なる魅力を持ちながらも、彼女の創作の可能性を広げています。
最近では、彼女の作品がTシャツにデザインされたり、公共の場に展示されたりする機会が増えています。こうした活動を通じて、彼女は「日常に息づく芸術」を形にすることを目指しています。
今後、タンヤはさらに公共空間での活動を拡大することを計画しています。特に日本には特別な思いを抱いており、裁判所や病院といった多くの人が集まる場所に、自分の作品を届けることを夢見ています。家族から受け継いだ知的な背景を基盤に、芸術を通して社会に新たな視点を提供したい。これが、彼女が描く未来の姿です。