「私の絵は、アーティストとして日々を過ごすなかで受けてきた影響が、そのまま表れたものだと思っています。」
思いがけない出発点:料理の現場から抽象絵画へ
ニューヨーク州北部のハドソンバレーを拠点に活動する抽象画家ジョン・マッカーシー(John McCarthy)は、一般的な美術の道筋とは少し異なる経歴を持っています。彼が最初に創作と向き合ったのはキャンバスではなく、厨房でした。シェフとして働くなかで、絵を描くことは料理の現場の緊張から離れ、気持ちを落ち着かせるための時間でもありました。はじめは忙しい仕事の合間に筆を取る程度でしたが、その時間はやがて本格的な制作へとつながっていきます。新型コロナウイルスの流行によって飲食業界が大きな打撃を受けると、マッカーシーはそれまで以上に絵を描くようになりました。こうして料理の仕事から少しずつ離れ、現在では制作を中心に活動しています。料理人としての経験は、今も彼の作品のなかに息づいています。画面に重ねられる質感や構成への意識には、一皿の料理を丁寧に仕上げるときの感覚にも通じるものがあり、それぞれの要素が重なり合いながら一つの感覚的な体験を形づくっています。
マッカーシーの作品には、勢いのある抽象的な表現と、慎重に組み立てられた構成の両方が見られます。油彩、アクリル、コラージュなど複数の技法を用い、それぞれを異なる表現の手段として取り入れています。なかでもアクリルと和紙は作品のなかでよく使われ、そこに加えられる墨の流れが画面に独特のリズムと奥行きをもたらします。こうした表現の背景には、さまざまな影響が重なっています。日本の美意識に通じるやわらかな感覚、アメリカの表現主義の鮮やかな色彩、そして音楽の持つ直感的なエネルギーです。歌詞や旋律、ときには一つの音が、色彩や筆の動きに影響を与えることもあります。彼は外界から切り離された場所で制作しているわけではありません。視覚や音、身の回りの環境から受け取る刺激がそのまま画面へと流れ込み、キャンバスは感覚が重なり合う記録のような場になっていきます。
マッカーシーの制作には、土地の環境も大きく関わっています。彼はニューヨーク市での都市生活と、ハドソンバレーの自然豊かな環境の両方のなかで日々を過ごしています。この対照的な環境が、制作に新しい着想をもたらしています。都市では、角ばった建築や抑えられた色調が画面に構造や緊張感を与えます。一方、ハドソンバレーでは、季節ごとに移り変わる鮮やかな色彩や自然の質感が、より自由で温かな表情を生み出します。マッカーシーはこうした二つの環境から受け取る感覚を作品のなかで重ね合わせています。都市のエネルギーと自然の静けさが交差することで、彼の絵画には動きと静けさ、秩序と混沌の両方が同時に息づいています。
ジョン・マッカーシー :身振りと構造のあいだに生まれる調和
マッカーシーの絵画では、絵具の厚みや筆の動きそのものが画面の表情をつくり出しています。彼にとって絵を描く行為は、身体の動きと強く結びついたものでもあります。勢いよく走る筆致にはジャズのソロやドラムのリズムのような感覚があり、制作の瞬間の感情がそのまま画面に現れています。作品の前に立つと、まるで作家がアトリエで筆を動かしていた気配が残っているかのようです。とくにアクリル作品では、厚く盛られた絵具が画面に強い起伏を生み、平面でありながら彫刻のような存在感を帯びます。そうした質感は視覚だけでなく想像力にも働きかけ、鑑賞者は画面の量感やリズム、密度を感じ取りながら作品と向き合うことになります。
しかし、この力強さがそのまま無秩序へと流れていくわけではありません。マッカーシーの作品では、自由な筆の動きと画面の構成とがバランスを保っています。いくつかの作品には格子状の構図が見られます。はっきりと現れる場合もあれば、画面の奥にほのかに感じられる程度のこともありますが、その構造が色や形の動きに静かな秩序を与えています。この姿勢は、ゲルハルト・リヒターやサイ・トゥオンブリーの抽象表現にも通じるものです。激しい表現と画面構成とが同時に存在することで独特の緊張が生まれ、鑑賞者は立ち止まり、視点を変えながら作品を見直すことになります。こうした自由と制約の関係は、都市と自然という二つの環境のあいだで生活する彼の状況ともどこか重なります。
マッカーシーの作品では、色彩も重要な役割を担っています。色は単なる装飾ではなく、表現そのものの一部です。日本の色彩研究者・和田三造がまとめた配色から強い影響を受け、彼は直感と計算の両方を頼りに色を選びます。黄土色や赤茶、深い緑といった落ち着いた色調に、シアンや紫のような鮮やかな色が差し込まれ、画面には安定感と緊張感が同時に生まれます。こうした色の選択には、そのときの感情や、ある瞬間に耳にした音楽、周囲の環境から受けた印象が反映されています。ここには彼の音楽への関心もはっきりと表れています。ジャズの演奏者がリズムや不協和を試すように、マッカーシーも色の対比を通して親しみと意外性の両方を引き出します。こうして一枚一枚の絵画には、音楽を思わせるリズムと広がりが生まれています。
感情の痕跡:記憶、音、そして場所がもたらすもの
マッカーシーは、特定の一枚を代表作として挙げることをあまりしません。彼にとって大切なのは、作品が誰かと出会う瞬間に生まれるやり取りです。絵画の意味は、完成した作品がそこに残ることだけにあるのではなく、それが誰かの心に届くときに生まれると考えています。作品が人の手に渡るとき、それは単なる売買ではありません。そこには、作家の内側に生まれた感情や、ふとよみがえった記憶が、時間や距離を越えて誰かへ伝わる出来事があります。こうした人と人とのつながりへの意識は、彼の作品が持つ私的で日記のような性格とも深く関わっています。制作のときに流れていた音楽や、そのときの気分によって強く印象に残る作品もありますが、作品の意味が広がるのは、それを手にした人のもとに届いたときでもあります。
彼の制作は、日々の積み重ねのなかにあります。できるかぎり毎日筆を取り、制作を続けています。絵を描くことは観客に見せるための行為ではなく、自分の感覚と向き合い続けるための営みでもあります。身の回りの風景や気分の変化、さらには天候までもが、画面の色や形の選択に影響を与えます。こうして積み重ねられた制作は、広がりを持ちながらも一つのまとまりを感じさせる作品群を形づくっています。それらは観念的な発想から生まれたものではなく、日々の生活のなかで積み重なった経験に根ざしています。一枚一枚の絵は、ある瞬間の痕跡のようなものでもあります。内面の思考と外からの刺激が重なり合い、その時の感覚が画面に残っていきます。彼にとってスタジオは、静かに制作に向き合う場所であると同時に、新しい試みを重ねる場でもあります。そこでは直感が技術を導いていきます。
マッカーシーの歩みを語るうえで欠かせない存在が、彫刻家であり画家でもあるポール・ハンターです。制作を始めたばかりの頃、ハンターは彼の表現を認め、励ましの言葉をかけました。その支えは、マッカーシーにとって大きな転機となりました。ささやかな出発でも、やがて大きな広がりへつながり得ることを、彼はその経験から知ります。この出会いは、創作を支える仲間の存在の大切さや、誰かの言葉が持つ力を強く意識させるものでもありました。マッカーシーは美術学校での教育から作家になったわけではありません。制作を続ける粘り強さや周囲からの反応、そして試行錯誤の積み重ねのなかで歩んできました。彼にとって制作とは、終わりのない対話のようなものでもあります。新しいキャンバスに向かうたびに、作家と素材、過去と現在、そして作品と見る人とのあいだで、あらためて対話が始まるのです。
ジョン・マッカーシー:動き、意味、そしてミクストメディア
近年のより実験的な作品では、マッカーシーはコラージュやさまざまな文化的要素を取り入れ、表現の幅を広げています。これらの作品には、これまでの絵画とは少し異なる荒々しさがあります。率直で、削ぎ落とされた表情です。そこにはパンク・ジンやカウンターカルチャーの視覚文化のエネルギーが感じられ、ロバート・ラウシェンバーグやジャン=ミシェル・バスキアを思わせる側面も見えてきます。大胆な図像や文字の断片が勢いのある筆致の上に重ねられ、画面はギャラリーの作品であると同時に都市の壁のような印象も帯びています。絵具の層のなかには印刷物のイメージや拾い集められた言葉、さまざまな断片が入り込み、画面に独特のざらつきを生み出しています。こうした作品では、美術と日常の文化が自然に混ざり合い、個人的な表現と社会への視線とが同時に現れています。
これらのコラージュ作品は、単なる作風の変化ではありません。そこには、マッカーシーの関心の広がりと、さまざまな文化から受けた影響が表れています。色彩豊かな抽象画が感情の記憶や季節の移ろいと結びついているとすれば、ミクストメディアの作品には、文化や社会を見つめる視線が色濃く表れています。自分自身の内面だけでなく、外の世界に向けられた関心です。歴史や図像、そして変化し続ける社会の空気が、画面のなかに入り込んでいます。ただし、こうした作品でもマッカーシーの制作の姿勢は変わりません。作品はひとつの結論を示すためのものではなく、見る人がそれぞれの読み取り方を見つけられる余地を残しています。
これから先も、マッカーシーはこれまでと同じように、日々の制作を続けていくつもりです。彼にとって大切なのは、特定の展覧会や企画よりも、毎日絵を描き続けることそのものです。スタジオで過ごす時間は、一瞬の感覚をすくい取るための時間でもあります。ふと浮かんだ思い、そのときの気分、あるいは色の動きのようなかすかな変化です。大きな主題を掲げるよりも、目の前にあるものを丁寧に観察することに重きを置いています。そうした姿勢のなかで、作品は少しずつ姿を変えていきます。偶然に生まれる要素と意識的な選択の両方を受け入れながら、制作は続いていきます。マッカーシーが向き合っているのは流行ではありません。音楽に、身の回りの環境に、そして絵具がもたらすわずかな変化に耳を澄ませ続けることなのです。




