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「何かを具体的に描きたいという思いを手放して初めて、私は自由に描き始めました。」

独自の哲学を形にするアーティスト

ウラ・ハーゼン(Ulla Hasen)は、1966年、ウィーン南部の美しい街ウィーナー・ノイシュタットで生まれました。幼少期は自然の中で多くの時間を過ごし、芸術を愛する祖父の影響を受けて育ちました。しかし、ハーゼン自身は若い頃、絵を描くことに強い関心を持つことはなく、あえて距離を置いていました。

その一方で、彼女が興味を抱いたのは景観生態学の研究でした。この分野に進んだ彼女は、やがて自然保護や持続可能な開発の仕事に携わるようになります。また、ウィーン大学、美術アカデミー、応用芸術大学などで文化理論や人類学、美学、美術史といった多様な分野を学び、知識を広げていきました。この経験を通じて、音楽やリズムなどの要素も彼女の芸術的な視点に影響を与えるようになります。

彼女の転機となったのは、あるとき目にした力強い筆づかいの絵でした。その鮮やかな表現が心に響き、「自分もこんな作品を描いてみたい」と自然に筆を取るようになったのです。そうして始めた絵画は、思いがけず満足のいく仕上がりとなり、彼女の創作意欲をさらに高めました。

その後、彼女は数百点もの作品を生み出し、独自のスタイルを築いていきました。この過程で欠かせなかったのが、彼女の自由な発想を温かく受け入れてくれたメンターの存在だと言います。メンターは創作のプロセスに干渉せず、完成した作品に対して適切なアドバイスと深い洞察を与えることで、彼女の感性と技術を育んでいきました。

ウラ・ハーゼン:ミニマリズムと豊かさの共鳴

ウラ・ハーゼンの創作スタイルは、特定のテーマに縛られず、自由な発想でインスピレーションを取り入れた独特なスタイルです。例えば、ふと目に留まる予期せぬ色彩の調和が、彼女の創作のきっかけになることもあります。過去の作品を見直し、新たな視点を見出すプロセスを繰り返すことで、彼女のアートは常に進化を続けています。偶然の出来事もまた、彼女の制作において重要な役割を果たし、時に予想外の魅力的な作品を生み出します。

彼女の作品には一貫してミニマリズムの精神が息づいており、シンプルさの中に潜む力強さを追求しています。しかし、豊かさや複雑さに惹かれる一面も持ち合わせており、その時々の気分や感情によって、ダイナミックなエネルギーが溢れる作品や、幾何学的な形状が際立つ作品を生み出します。また、彼女のキャンバスには、風景や身体を思わせる形がさりげなく現れ、それによって作品に奥行きや独自の魅力が生まれます。

制作環境も彼女の創作に欠かせない要素です。彼女は、絵の具を自由に扱える広々とした環境を好み、特にシリーズものの作品はインスピレーションが高まった瞬間に一気に制作されることが多いそうです。また、集中を妨げないよう他者の存在を避け、静かな環境で制作に没頭することを大切にしています。スタジオという静寂な空間で、一心不乱にアートと向き合う時間が、彼女の創作を支えています。

巨匠たちとの共鳴

カジミール・マレーヴィチのミニマリズム美学は、ウラ・ハーゼンの作品世界に深く根付いています。「黒の正方形」に浮かび上がる「白の地平線」という概念。この一見シンプルな構成の中に広がる無限の可能性は、白紙のキャンバスと向き合う彼女の創作への姿勢そのものを象徴しています。

ハーゼンは絵画を始める前から、マルクス・プラヘンスキーのダイナミックで力強い筆致に魅了されていました。その表現に込められたエネルギーは、彼女の感性を大きく揺さぶりました。この感動が、彼女を絵画の世界に導く最初の一歩となりました。そして、実際に筆を手にしてからは、ゲルハルト・リヒターの影響が彼女の表現に自然と溶け込むようになります。リヒターの手法に触発され、パレットナイフを使った独自のテクスチャー表現を模索する中で、ハーゼン自身のスタイルが徐々に形を成していきました。

彼女は巨匠たちの影響をそのまま受け入れるのではなく、それを自分の内側で消化し、独自の表現として昇華させます。あまりに深く影響を受けすぎると、自分の個性を見失ってしまう危険があると彼女は言います。そのため、作品制作中はあくまで自分の感覚を優先し、巨匠たちとの共鳴に気づくのは完成後のことが多いそうです。

ハーゼンの代表作のひとつ、「リオタールの天使への賛辞」は、フランスの哲学者リオタールの思想から着想を得ています。この作品は、天使の儚い出現がもたらす一瞬の明晰さと、時間が止まったかのような静寂を描いています。その瞬間には、明確さと曖昧さ、形あるものと無形のものが同時に存在し、互いに溶け合うような不思議な調和が生まれます。まるで時間が凍りついたかのように、その瞬間は空間に留まり、やがて再び日常の流れへと吸い込まれていくのです。

ウラ・ハーゼン:世界を融合させる野心的なプロジェクト

ハーゼンの主な制作媒体は紙とアクリル絵具です。彼女は初期にキャンバスを使用していましたが、スペースの制約から紙中心に移行しました。紙の質感や吸収性が作品に独特の効果を与え、作品ごとに異なる表情を引き出します。彼女にとって、紙そのものの白さも作品の一部であり、この素材への愛着が彼女の選択を支えています。

彼女は油絵具の持つ深みや表現力にも強い魅力を感じています。しかし、乾燥に時間とスペースを要する特性から、日常的に取り入れることは難しい反面、その特有の美しさには、常に心惹かれるものがあると語ります。

ハーゼンは、未来を見据えた壮大な書籍プロジェクトに取り組んでいます。この作品は、フリードリヒ・ニーチェの詩「真夜中の歌」をテーマに、グスタフ・マーラーの交響曲第3番第4楽章からインスピレーションを得て、視覚と文章を融合させたものです。さらに、ライナー・マリア・リルケの詩や哲学的・文学的な注釈に加え、持続可能性への洞察を織り込み、国連の持続可能な開発目標(SDGs)にも呼応する内容を構想しています。

このプロジェクトは、視覚芸術、詩、哲学、そして環境問題といった一見異なる領域を結びつけ、一つの物語を紡ぎ出そうとする挑戦的な試みです。芸術と思想、そして持続可能な未来へのメッセージが交差するこの作品が、どのような形で完成するのか、多くの期待が寄せられています。