「私には言葉よりも古くからある表現方法があります。それは絵画です。私は言葉ではなく、感情で伝えるのです。私が絵で語ることを、言葉で表現することはできないでしょう。」
成長の軌跡:多国籍な環境がルパージュ・ボワズドロンの芸術に与えた影響
ジュリエット・ルパージュ・ボワズドロン(Juliette Lepage Boisdron)は、1971年パリ生まれのフィギュラティブアーティストで、絵画、ドローイング、現代アートジュエリーなど、多様な表現方法を用いて活動しています。彼女の作品には深い知識と独自の感受性が息づいており、観る者に強い印象を与えます。
幼少期、ジュリエットは父親の仕事の関係で、多国籍な環境で過ごしました。ソビエト連邦のウファ、アブダビ、そして8歳で中国・満州に移り住み、この経験が彼女の芸術的視点の基盤となりました。特にロシアと中国の厳しい現実や質素な生活環境は、ジュリエットの想像力を刺激し、日常を超えた創造的な世界を切り開く原動力となったのです。
遼陽で過ごした子供時代、彼女の周りには規則的で無機質な日常が広がり、軍用車両や自転車が行き交う灰色の風景が広がっていました。そんな中で、寺院や工場を訪れることで触れたわずかな芸術的体験は、ジュリエットにとって非常に貴重であり、心に深く刻まれました。また、北京で目にした中国の伝統的な絵画、特に墨と和紙を使った風景画は、彼女の感性に大きな影響を与え、その後の創作活動にも深く関わりました。
10代のジュリエットは、両親の離婚とフランスへの帰国という大きな転機を経験しました。この変化に戸惑いを感じながらも、新しい環境に適応しようと、彼女は頭を剃り、パンク文化にのめり込みました。その行動は、従来の価値観への反抗であり、新たな現実を受け入れるための力強い自己表現でもありました。
芸術の旅路:ソルボンヌから文化都市へ
18歳でジュリエット・ルパージュ・ボワズドロンは、自己探求のためにソルボンヌ大学で学ぶことを決意し、パリへ向かいました。その後、シンガポールに移り、アートギャラリーのディレクターとしてのキャリアを築きました。ニューヨーク、ポンディシェリ、そしてパリでの活動を経て、パリではカルティエ財団のウェブサイト制作に携わりました。その後、ポルトガルのリスボンに移り、現代ジュエリー制作の技術を学びました。
現在、ジュリエットはバーゼル、パリ、リスボンの3都市を拠点に活動しています。幼少期から絵画に親しみ、言葉では表現できない感情を、絵画という原始的で力強い手段を通じて伝えてきました。
彼女の人生経験は、その作品に深く刻み込まれています。色彩と質感を駆使し、彼女ならではの視点で人生の物語を紡いできました。また、従来の美の概念に収まらない対象や壊れたものの中に宿る独自の魅力を見出し、それを大胆に表現しています。
一方で、創作を贅沢な自己満足に過ぎないのではないかと自らを厳しく省みることもありました。しかし、彼女の情熱は揺らぐことなく、どんな迷いの中にあってもその芸術的な衝動を抑えることはできませんでした。彼女の作品は現在、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各地で展示されており、今なお新たな物語を描き続けています。
墨と和紙の対話:伝統への憧れ
ジュリエットにとって、芸術とは、感情を言葉以上に豊かに伝える手段です。芸術的な家系に生まれたわけではありませんが、オルガン奏者だった母親が彼女に創造的な刺激を与える存在でした。幼少期に特別な芸術教育を受けたわけではありませんが、ジュリエットは自然と芸術に惹かれ、内なる創造力を育んでいきました。幼少期、中国で近所のごみ捨て場から拾った廃材を使ってミニチュアの村やジュエリーを作り始めたのが、彼女の創作の原点でした。
彼女のアトリエには、和紙、墨、水、筆といった道具が整然と並びます。ジュリエットは一人で制作に没頭することを好み、静かな環境の中で音楽を聴きながら創作します。また、旅先ではiPadを携え、インスピレーションが湧いた瞬間をその場で記録しています。
ルイーズ・ブルジョワやフランチェスコ・クレメンテといった著名なアーティストたちの影響を受けつつ、ピカソやニキ・ド・サンファルが手がけたジュエリー作品も彼女の創作意欲を刺激しました。ジュリエットにとって、芸術は単なる職業ではなく、彼女の人生そのものを映し出すものなのです。
絵画は彼女自身の心を最も純粋な形で表現し、各作品はひとつの物語の断片として繋がっています。その物語には、人間、動物、植物といったすべての存在が平等に描かれ、誰もが共存する世界が表現されています。テーマは愛や人間関係、女性の社会的役割、母性、そして人間と自然の関係など、多岐にわたります。
変わりゆく表現:アクリルから墨へ、そしてその先へ
ジュリエット・ルパージュ・ボワズドロンは、アクリルや油絵具による作品から、墨絵という新たな表現へと進化を遂げました。その転機となったのは、シンガポール滞在中に著名なアーティスト、リン・チュンジンと出会ったことです。この出会いをきっかけに、彼女は伝統的な中国の墨絵技法を学ぶ機会を得ました。
リンの指導のもと、ジュリエットは筆使いの基本から、墨に他の素材を加えて独自の効果を生み出す技術までを習得します。また、完成した作品を別の和紙に貼り付ける「マルフラージュ」と呼ばれる中国伝統の技法も学びました。この技術を通じて、墨が和紙に染み込む過程で生まれる深みと独特の視覚効果に強く惹かれ、現在も最も愛用する表現方法の一つとなっています。
現在、ジュリエットは絵画やジュエリー制作を続ける一方で、これまでの墨絵の歩みを記録する本の執筆にも取り組んでいます。この本では、彼女の創作過程や技法を紹介し、彼女の芸術世界を多くの人々に伝えることを目指しています。