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「その土地が今たどっている姿のままに、そこに宿る詩情を描きたいのです」

土地に寄り添う眼差しと、静かに続く創作の歩み

アン・キンジー・カレアッティ(Anne Kinsey Careatti)は、土地や記憶、そして自然に刻まれた人間の痕跡に深く目を向けながら、作品を紡ぐアーティストです。自然と人間の関係が複雑に絡み合う農業地帯に暮らす彼女にとって、日々の風景は、ただの美しい眺めではありません。畑や水辺、そこに息づく生きものたちは、自然のリズムと人の手の影響を受けながら静かに変化を続け、その佇まいが彼女の作品に深い余韻を与えています。風景は背景ではなく、語りかけてくる存在。カレアッティは、そんな意識のもとに絵を描いています。彼女の作品には、環境へのまなざしが確かに込められていますが、声高に訴えることや、直接的な表現は取られていません。そのかわり、観る人それぞれが内省できる静かな空間が広がっており、「慈しむこと」と「見過ごすこと」のあいだにある緊張感を、そっと浮かび上がらせます。水彩と線描で構成される情景は、私的な視点から生まれたものでありながら、普遍的な問いかけを内包しているのです。

カレアッティが芸術に惹かれるようになったのは、幼いころの経験にさかのぼります。6歳の頃にはすでに、絵を描くことで深い集中の状態に入ることができ、それは後の創作活動の核となっていきました。美術史への興味も早くから芽生え、美術書を通じてさまざまな時代や文化の視覚表現に触れたことが、彼女の視野を広げていきます。なかでも、自然がどのように描かれてきたかに強い関心を持ち、絵画を通して世界を探るという姿勢が育まれていきました。芸術とは、楽しみであると同時に思索の手段にもなりうることを、彼女は自然と理解していたのです。こうした経験が、特定の様式にとらわれず、ヨーロッパの古典的なデッサンから非西洋の絵画的思考に至るまで、多様な表現を柔軟に受け入れる姿勢につながっていきます。観察に基づく描写に、想像的な象徴や歴史的な要素が重ねられた構成が、彼女の作品に広がりを与えています。

やがてカレアッティは、農業の盛んな地域へと生活の拠点を移します。この環境の変化は、彼女の芸術に新たな方向性をもたらす転機となりました。移住当初はまるで過去の時代に戻ったかのような印象を受けたものの、暮らしが深まるにつれ、その土地に潜む矛盾が見えてくるようになります。化学肥料を使った農業や開発、インフラ整備の影響で、小川や川の生態系は変化し、そこに暮らす鳥や虫、哺乳類、両生類の姿も少しずつ見られなくなっていきました。土地そのものにも疲れのような兆しが現れ、人間の営みが自然に与える影響を彼女は日々実感するようになります。2017年には自宅が竜巻の被害を受け、人間が築いたものと自然の力のあいだにある脆さを痛感させられました。こうした経験は彼女の制作意欲を萎えさせるものではなく、むしろ表現の目的を明確にするものとなりました。人の選択と自然の応答、その両方によってかたちづくられた現在の風景を、彼女は作品のなかに静かに描きとめています。

アン・キンジー・カレアッティ:視覚の言語、技法、そして影響

カレアッティの表現は、ドローイングと水彩を軸としています。いずれも、細やかな変化に応じ、繊細な感覚をそのまま画面に反映できる技法です。とりわけ水彩は、彼女が関心を寄せる「壊れやすさ」や「移ろい」を扱ううえで、もっとも適した手段となっています。絵具の透明感や、滲みが紙の上で自然に広がっていく様子は、浸食や風化、水の流れといった自然の働きを思わせます。すべてを描き手の意図通りに制御するのではなく、絵具の動きに身を委ねることで、画面に即興的な緊張感と、生きているかのような気配が生まれていきます。線もまた、彼女の作品において重要な役割を果たしています。かすかな揺れを帯びた線は、形をしっかりと囲い込むのではなく、柔らかく輪郭を支えています。そうした線のあり方が、構図にほどよい落ち着きをもたらし、自然というものが決して完全には制御されない存在であるという彼女の視点を映し出しています。

構成面では、平面的な空間処理や鮮やかな色使いが特徴的で、そこには多様な文化からの影響が見てとれます。ムガル朝の細密画、ペルシャのミニアチュール、日本の浮世絵に見られる空間の扱いや装飾性は、彼女にとって西洋的な遠近法とは異なるもう一つの視覚の可能性を示すものでした。こうした要素が加わることで、彼女の作品には明快な視覚的構成が生まれ、言葉に頼らずとも物語を感じ取ることができます。また、フランチェスコ・クレメンテの幻想的なイメージや、村上隆のユーモラスでありながら鋭さを秘めた視覚言語にも惹かれています。さらに、トゥールーズ=ロートレックの率直で飾らない線描には、強い親しみを感じているといいます。こうしたさまざまな影響は、単なる模倣にとどまることなく、彼女自身の関心に応じて自然に取り入れられています。その結果として、作品には歴史的な文脈を踏まえた深みと、個人的なまなざしが共存しています。

カレアッティの制作では、具象表現が中心的な位置を占めています。ただし、登場する人物や動物、あるいはそのあいだのような存在は、控えめな描写で表されます。感情を強調しすぎることなく、あえて簡素な造形にとどめることで、鑑賞者が自分自身の感情を重ねやすい余地が生まれています。作品には象徴的なモチーフも多く登場し、繰り返し描かれるそれらには複数の意味が込められています。たとえば人魚は、海を守る存在として、また文化を越えて語られてきた象徴として現れます。人間の二面性や、自然との密接な関わりを映し出す存在でもあります。一方、ノームは、人間社会を象徴する風刺的な存在として登場しますが、あからさまな批判はせず、抽象的なかたちで問いを投げかけています。カレアッティは、色や線、構成、主題を通して、鑑賞者の関心を引きながら、さりげないユーモアを添えつつ、静かな思索へと誘います。

環境を見つめる創作の姿勢

カレアッティの作品には、環境へのまなざしが深く根づいています。ただしその視点は、加害と被害といった単純なものではありません。人と自然の関係にある矛盾を見つめ、ひとつの解決が新たな問題を生むという現実を静かに描き出しています。たとえばグリーン技術や産業の転換は、目の前の課題には応えつつも、長期的な影響を伴う場合もあるでしょう。彼女の作品には、自然とともに開発や廃棄の痕跡が描かれ、損なわれながらも応答し続ける風景が表れています。それは、抽象的な理念ではなく、生活に根ざした視点から捉えたものです。農業やエネルギー産業、住宅開発、林業、廃棄物処理といった営みの痕跡を日常的に目にする暮らしの中で、自然がどのように変わっていくかを、彼女は肌で感じてきました。

こうした現実に向き合いながらも、彼女の表現は、誰かを責め立てるような強い調子ではありません。その作品には、静けさと内省の空気が漂っています。ビニールや廃棄物、がれきなどが、植物や動物と同じように丁寧に描かれ、生態系の一部としてごく自然に存在しています。その描き方は、現代において廃棄物がもはや環境と切り離せない存在であることを静かに伝えています。自然と汚染、美しさと不快さといった相反する要素をひとつの画面に同居させることで、彼女は鑑賞者に、心地よさとは異なる感覚と向き合うことを促しています。そして同時に、それでもなお残る美しさにも目を向けてほしいと語りかけているのです。人間の影響は今も拡大し続けており、それに向き合うことは、遠くの理想ではなく、いまを生きる私たちにとっての倫理的な責任であるという思いが込められています。自然を外から眺める立場ではなく、自らもそのただ中で生きる存在として、彼女は絵を描いています。

その姿勢がはっきりと示されているのが、『リサイクリング』という水彩作品です。この絵では、彼女自身の消費行動を率直に見つめ直し、廃棄した私物の数々を色彩豊かな風景の一部として描いています。廃棄物を他人事としてではなく、自らの生活の延長として捉えることで、環境への責任が、日々の暮らしと深く結びついていることが見えてきます。不要になったものたちは、あらためて視線を向けられることで意味を持ち始め、鑑賞者にも、環境へのまなざしは誰にとっても身近な問題なのだという気づきを与えます。この作品は、控えめでありながら率直な告白であり、同時に観る者への問いかけでもあります。個人としての責任と、より広い視野での環境意識は矛盾せず、ひとつの画面の中に共に息づくことができる。カレアッティの作品は、その静かな可能性をそっと示しているのです。

アン・キンジー・カレアッティ:日々の実践、つながり、そしてこれから

カレアッティの日常には、思索と制作が穏やかに息づいています。午後の多くをアトリエで過ごし、美術書を読み返したり、ノートにアイデアを描き留めたりしながら、新たな作品の土台が静かに形づくられていきます。こうした時間の積み重ねによって、表現したいものが自然に立ち上がってくるのです。素描は、思考と制作をつなぐ大切なプロセスであり、そこから徐々に絵画へと展開していきます。また、過去の作品をあらためて見返し、必要に応じて手を加えることもあります。完成されたかに見える作品にも再考の余地を残し、芸術は常に更新されうるものであるという姿勢がそこに表れています。

創作においては、家族との関係も欠かせない要素となっています。とりわけ、9歳になるベトナム人の孫娘と一緒に絵を描く時間は、彼女にとって新鮮な刺激をもたらす大切な機会です。一緒に制作する際は、互いの筆致やアイデアに触発されながら、絵を描き進めていきます。孫娘の自由な想像力と純粋な表現に触れることで、カレアッティの作品には遊び心や即興性がもたらされます。環境を主題とした重いテーマを扱うなかで、こうした交流は創作に軽やかさを添えてくれます。芸術が一人で完結するものではなく、誰かと分かち合う営みであることを、あらためて思い出させてくれるひとときでもあります。世代を超えた対話が、彼女の作品にさりげない深みと広がりを加えているのです。

今後の活動としては、風景画や静物画により力を注ぐ予定です。なかでも、冬のあいだ近くの川辺に飛来する野生の白鳥を題材にした水彩作品に取り組む構想を温めています。これは、彼女が長年寄り添ってきた地域の自然や季節のリズムへの関心を、静かに引き継いでいます。これまで彼女の作品は、バージニア美術館、ニューヨークのナショナル・アーツ・クラブ、ナショナル・ワイルドライフ・アート・ショーなどで展示されてきました。また、数多くの個人コレクションにも収められており、鑑賞者との継続的なつながりの深さを物語っています。日々の観察と静かな思索を重ねながら、カレアッティは今もなお、穏やかで揺るぎない表現を築き続けています。それは、私たちが生きるこの世界の、壊れやすくも美しい在りようと、それに向けるべき慈しみと責任を、静かに、しかしたしかに語りかけるものです。