「C6_4827は、私の制作に通底する要素をよく表しています。抽象への関心、制作過程そのものを重視する姿勢、そして風景と物語のあいだに生まれる関係性です。」
C6_4827, 2019
インスタレーション・ドローイング/ミクストメディア
物質の気配と空間の詩学
クリス・ボウマン(Chris Bowman)は、抽象表現を軸に、制作のプロセスそのものに重心を置きながら活動を続けてきました。ドローイング、写真、インスタレーション、彫刻、映像といった複数の手法を横断し、イメージと構造が一体となる空間を立ち上げています。作品はひとつの意味に固定されることを避け、時間の経過や環境によって変わり続ける状態そのものを提示します。大画面の制作を重ねる中で培われた表現は、無駄を削ぎ落としながらも緊張感を失わず、見る者に強い印象を残します。画面には描く行為の痕跡が刻まれ、それ自体がひとつの出来事として立ち現れます。さらに空間も単なる背景ではなく、作品の成立に関わる重要な要素として組み込まれています。こうした試みによって、ボウマンは抽象表現を現実の感覚に結びつけ、風景や建築、物語を素材の変化を通して結び直しています。
ボウマンの制作を支えているのは、手を動かし続ける中で見えてくる過程そのものへの関心です。ドローイングは身体の動きとともに生まれ、描くという行為自体が積み重なっていきます。紙やグラファイト、顔料、工業素材は、力のかかり方や重さ、時間の影響を受けながら変化していきます。とりわけ酸化を伴う素材は予測しきれない変化を引き起こし、制作後もゆるやかに状態を変え続けます。こうした変化に向き合う姿勢は、形が保たれている状態と、そこから崩れていく過程の両方に目を向けるものでもあります。画面は一見すると静かで抑えられているように見えますが、近づくほどに時間や環境の影響によって重なった層が立ち現れてきます。ボウマンにとって抽象とは、秩序と混沌の関係を捉えるための手段であり、素材の変化を通して移ろい続ける状態を示す試みでもあります。
また風景は、彼の制作を通底する重要なテーマです。具体的な景色を描写するのではなく、記憶や知覚によって変わり続けるものとして捉えています。オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、ヨーロッパ、インド、日本、チリ、タイといった各地で制作を行いながら、観察と抽象のあいだを行き来し、意図的に焦点を浅くすることで具体的な像を曖昧にしています。その結果、色や構造、画面のリズムが前面に現れ、場所は感覚として立ち上がります。この方法は、光や反射、表面、空間への介入を通して環境の見え方を変える彼の関心とも重なります。情報を削ぎ落とし、素材の存在感を際立たせることで、風景は単なる場所の記録ではなく、身体的かつ心理的な感覚として捉え直されます。
「《Notation 5(レーテーの泉)》では、三つの写真パネルの関係を組み立てるうえで、シークエンスが重要な役割を果たしました。それによって、光と闇、記憶と現在がせめぎ合う構図を立ち上げることができました。」
Notation 5 (The Pool of Lethe), 2025
写真
クリス・ボウマン:C6_4827と酸化がもたらす変化
2019年、ノースシドニー・アート・プライズのために制作された《C6_4827》は、ボウマンの代表作のひとつに位置づけられます。ファブリアーノ・アルティスティコ紙(640gsm)をはじめ、光、木材、グラファイト、顔料、錆の成分を用い、大画面ドローイングと拡張されたイメージ制作の探究が結実した作品です。その革新性と影響力が評価され、同賞を受賞しました。本作では、描く行為の身体性と、ノースシドニーのコールローダーという建築空間の特性が密接に関わっています。酸化する素材によって生まれたほぼ単色の画面は、抑制されながらも不安定さを孕み、時間とともに変化し続けます。こうした変化が止まることはなく、作品は完成形に固定されません。そのあり方は、作品を生きた存在として捉えるボウマンの考えを体現しています。
「《C6_4827》の各パネルは、それぞれが親密な空間を生み出し、観る者を作品の内部へと引き込みます。画面に広がる質感や、現れては消えるかたちの中に没入していく体験です。」
この作品は、身体を大きく動かしながら描き進められました。紙の上を動く身体の軌跡が、そのまま画面に残されています。そこに現れるかたちは、表面の奥から立ち上がるように現れ、どこか気配を帯びています。描く行為は痕跡として残ると同時に、その場で起きた出来事の記録でもあります。作品はコールローダーの歴史的なトンネル空間に設置され、四点の大作が連続するかたちで吊り下げられました。建築の構造に合わせて構成された空間の中で、観る者は光に導かれながら作品のあいだを移動し、抽象表現と産業遺構との関係を体感することになります。
光はこの作品において重要な役割を果たしています。建築照明によって表面の質感や酸化による変化が浮かび上がり、見る位置によって色味や奥行きが微妙に変わります。光は単なる照明ではなく、作品を成立させる要素のひとつとして機能しています。周囲の建築と響き合いながらも、その印象を揺さぶることで、静けさと緊張が同居する空間が生まれています。《C6_4827》は、抽象への志向、プロセス重視の姿勢、そして風景や神話、哲学との関係といったボウマンの特徴を凝縮した作品です。この中で示された秩序と混沌のバランスは、その後の作品にも引き継がれ、《The Awakening》のような大規模な試みにもつながっています。
「《The Awakening》(2020)では、ドローイングと写真を組み合わせ、オルフェウス神話を新たに捉え直しました。変化する地形の三連作として、アオルヌムの門を人間のあり方を映し出す境界として描いています。」
The Awakening, 2020
ドローイング、写真作品
影響の広がりと抽象表現の深化
ボウマンの原点には、素材に触れることが日常にあった家庭環境があります。両親はいずれも制作活動を行っており、身近に表現がある環境の中で育ちました。十九歳のときに祖父から贈られたカメラは、彼にとって大きな転機となります。光によって像を立ち上げるという感覚は、その後の制作の基盤となりました。リヴァプール美術学校では、ドローイングや絵画、版画、写真、ミクストメディア、実験映画、アニメーションといった幅広い分野に取り組み、その後ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの研究へとつながっていきます。
同校では実験映画と時間を扱う表現に注力し、リズムや持続、構造の組み立てについて理解を深めました。構造主義やミニマリズム、構成主義、プロセスアート、ランドアートなどの影響を受けながら、自身の表現を形成していきます。リチャード・セラの作品に見られる重量や均衡への意識、パウル・クレーの思考の可視化、リチャード・ロングの風景と時間への関わり、モホリ=ナジの光と技術の統合は、いずれも重要な参照点となっています。またゼロ・グループや初期の映像作家たちの試みは、連続や構成の考え方に影響を与え、現在の作品にも受け継がれています。
写真は現在も、記録と変容の両方の役割を担っています。スチールやパースペックスで構成された彫刻に光や映像を重ねることで生まれる変化を、写真として定着させることで、瞬間的な現象を捉えています。そこには、表面や構造の中に潜むかたちが浮かび上がります。ティルマンスや杉本博司のように、写真を空間的な体験へと拡張する試みとも響き合い、ジュリー・メレトゥの重層的な構成とも通じる部分があります。
またオルフェウス神話は、愛や喪失、死といった普遍的な主題を内包し、彼の作品に繰り返し現れます。さらに禅仏教の「空」の思想は、無常や関係性への理解を深め、作品における空間や時間の捉え方にも影響を与えています。
「私にとって写真とは“光で描く”行為です。それは、記録であると同時に形そのものを変えていく働きを持っています。彫刻や光の装置をひとつの視点として用いながら、形と空間のあり方を探っています。その過程で、かすかな像や光の痕跡が立ち現れることがあります。」
apparat_Licht .04, 2020
写真
クリス・ボウマン:閾とリズム、その先へ
ボウマンの制作は、スタジオでの制作、デジタル上での編集、フィールドワークといった異なる場をまたぎながら進められています。アナログとデジタルは互いに影響し合い、試作と検証を繰り返しながら構成が練られていきます。Instagramはアーカイブとして機能し、グリッド上での配置は作品の連なりを考える場にもなっています。スタジオでは素材を扱う制作が行われ、デジタル環境では編集や構成の検討が進められます。フィールドワークは、それらを実際の風景や都市、建築との経験に結びつける役割を担っています。
「私の関心は主に地形にあります。《Liminal Space .01》のような作品では、構造や表面の要素をリズムとして捉え直し、その場所が持つ感覚やパターンを浮かび上がらせています。」
Liminal Space .01, 2024
写真
複数のプロジェクトを同時に進行しながらも、それらは共通の関心によって結びついています。大画面のドローイングや写真、光の彫刻、インスタレーション、映像などが並行して展開され、リズムと構造が一貫して探られています。特に重要なのがシークエンスであり、連なりの中で意味が立ち上がります。反復と変化を重ねることで、作品はひとつの意味に収まらない広がりを持つようになります。こうしてボウマンの作品は、固定されたイメージではなく、体験として開かれていきます。
現在進行中のプロジェクト《Thresholds at the Edge of Time》では、こうした探究がさらに推し進められています。風景を固定されたかたちとしてではなく、変わり続けるものとして捉えようとする試みです。その中で、目には見えにくいリズムをすくい上げていきます。複数のメディアを用いながら、地形を素材として扱うと同時に、そこに含まれる構造や時間の重なりに目を向けています。境界もまた静的なものではなく、変化の中で立ち現れ続けるものとして捉えられています。これは、《C6_4827》や《The Awakening》などの延長線上にあり、抽象を通して存在や秩序と混沌の関係を問い直す試みでもあります。複雑さが増していく画面は、秩序から揺らぎへと移行する状態を示しています。
「《Notation_03 – Thresholds at the Edge of Time》(2026)では、デジタルドローイングと写真を組み合わせ、見えにくい地形の構造を探っています。このシリーズでは、風景と物語が交差し、時間の層が重なり合う中で、境界や移行の瞬間が立ち現れます。」




