「私がアートを選んだのではありません。アートが私を選んだのです。」
愛猫とともに、『Horizon Interrupted』を見つめるシャハル・タフナー。
境界を越えて広がる:地中海的アイデンティティの解放
シャハル・タフナー(Shahar Tuchner)は、抽象絵画、映像、彫刻、インスタレーションといった多様な表現を手がけるコンセプチュアル・アーティストです。彼の作品は、地中海の文化や情感に深く根ざしています。1987年生まれ。国という枠ではなく、地中海圏に広がる豊かな文化に育まれてきました。国境ではなく、文化の広がりそのものが、彼自身のアイデンティティを形づくってきたのです。その背景には、歴史、社会、美意識といった多層的な要素が絡み合っています。そしてその複雑さは、作品の隅々にまで生かされています。タフナーは、ベイト・ベルル・カレッジの「ハミドラシャ」芸術学校で学び、早くから、伝統的なキャリアや肩書きにとらわれず、自分の道を切り開いてきました。無神論者として、現代社会を批判的にとらえる視点を持ち、文化やメディア、個人の真実が交錯する今の時代をテーマに制作を続けています。
「アーティストとは、ただ創造する人ではなく、常識に挑み、世界に新たな色を加えようとする人です。」
タフナーは、テレビや映画、インターネット文化の雑多な映像や情報、そして自然の質感までも取り込みながら、現代特有の刺激に満ちた世界と向き合っています。まるであらゆる感覚に反応するアンテナのように、日常に溢れる要素をキャッチし、それを作品へと昇華させています。彼の作品では、コントロールされた構成と突発的なひらめき、緻密さと衝動といった相反する要素が共存しています。構造と自由な流れがせめぎ合い、そのあいだに独自の表現が生まれています。このような緊張感は、特に映像作品において際立っています。タフナーは、デジタル技術や文化的なメディアが、私たちの現実のとらえ方をどのように変えているのかを問いかけています。彼の作品は、何かを一方的に伝えるのではなく、音や映像、空間が重なり合う中で、観る人それぞれが感じ、考える余地を残しています。明確な答えは提示されませんが、その曖昧さの中に、心を深く揺さぶる力が宿っています。
こうした「意図と直感」「秩序と混沌」といった二面性は、タフナーにとって理論的なテーマではなく、日々の実感に根ざしたものです。頭で考える構想と、感情の勢いがせめぎ合う中から、作品が生まれていきます。彼の作品には、複数の物語や象徴、文化的な要素が自然に重なり合っています。伝統と革新が交差しながら、現代という時代のゆがみや矛盾を静かに映し出しています。重厚な素材を使った彫刻であっても、かすかに揺れる映像作品であっても、タフナーの表現は、鑑賞者の感覚を呼び覚まし、内面と向き合う時間を生み出します。観る人は、ただ受け身で作品を眺める存在ではありません。作品とのやりとりを通じて、自らも思考し、感じる参加者として関わっていくのです。
『Whisper Divide』|絵画
シャハル・タフナー:内なる宇宙のはじまり
タフナーの創作の原点は、美術教育の場ではなく、幼少期のリビングルームにありました。新聞紙をキャンバスに見立て、テレビ番組に刺激を受けながら想像をふくらませていたと言います。3歳のときにはじめて車の絵を描き、「ぼくは画家になる」と宣言したそうです。その頃はまだ、「アーティスト」という言葉すら知らなかったといいます。それ以来、創造は選ぶものではなく、生まれながらに身についていた言葉のようなものでした。家の中は次第に紙や粘土、絵の具で埋め尽くされ、父には疎まれながらも、母の揺るぎない支えによって、創作の場へと変わっていきました。
タフナーは、父親から受けた心と身体の傷、そして母とともに耐えてきた精神的な苦しみについても率直に語っています。その痛みもまた、母からの愛と同じように、自分をかたちづくった要素だと受けとめています。彼にとって母は、守ってくれる存在であり、信じてくれる唯一の人、そして何よりのヒーローです。「正確なアートはすごいかもしれない。でも、それに命を吹き込むのは心なんです」と語っています。
幼い頃の体験は、身体で感じる芸術との出会いと、美に対する感性の育成が重なっていました。祖母のミリアムに連れられて訪れた現代美術館では、特に屋外彫刻に直接触れたときの感覚が強く記憶に残っているそうです。空間と形、そして感情との結びつきが、あの時の体験を通して刻まれていきました。日常の中の小さな儀式のような出来事も、彼の感性を育てる大切な要素でした。母が建物や植物を敬意を込めて見つめる姿に、タフナーは寄り添ってきました。その視線は、ありふれた日常の中に美しさを見出すまなざしでもありました。彼もまた、そうした瞬間に意味を見いだす感性を、自然と育んでいったのです。
家庭そのものも、彼の芸術的な感性をかたちづくる舞台になっていました。両親が営んでいたのは、カラフルな玩具とギフトを扱うお店でした。店内には色やパターン、さまざまな物語があふれ、ただの商売の場ではなく、人の交流と視覚的な刺激が入り混じる、活気に満ちた空間でした。そこでタフナーは、創作に使える素材だけでなく、人のふるまいや語りの多様性、そして時代ごとに変わっていくパッケージデザインのような視覚文化を、知らず知らずのうちに吸収していきました。こうした記憶の断片が、後の作品世界をかたちづくる視覚的・主題的な言語の土台になっていったのです。
『Silent Fire』|絵画
抽象の深層:個人的危機から感情の表現へ
タフナーの人生、そして芸術に大きな変化をもたらしたのは、両親の離婚でした。それは単なる感情の問題ではなく、彼にとって「家」や「安心」という土台そのものが崩れる出来事でした。経済的な困難や裁判、心を傷つけるような経験が重なり、彼はこう振り返ります。「オートミールとリンゴだけで暮らした日もありました。あれはただの法的な争いじゃなかった。家も、呼吸も、存在そのものも、壊されたように感じました。」
そんな時期、タフナーは母のそばに寄り添い、身体的にも精神的にも支え続けました。その深い結びつきから、自分の姓を母の「レスラウ」に変えることを考えたこともあったといいます。母との深い絆、そして家庭の崩壊によって味わった深い喪失体験が、彼の創作の方向性を大きく変えていきました。
この変化を、タフナーは「スパイラル(渦巻き)」と「スター(星)」という2つのフェーズで語っています。スパイラルは、外へ向かう広がりを象徴し、多文化主義や消費社会、社会的な規範といった複雑な影響が重なり合う状態です。一方でスターは、感情や直感の核へと深く潜る、内省的で濃密な集中の象徴です。現在の作品には、このスターのフェーズが色濃く表れています。物語性を排し、感覚に訴える筆致や抽象的な造形を通して、見る人の内側へと直接触れてきます。作品は何かを説明するのではなく、共鳴を生み出すのです。「本当のアートは、時間や場所で評価されるものではありません。それを体験した人の意識の中で、生き続けるかどうか。それがすべてです。」
内面に向かうようになっても、タフナーは論理的な構成や思想の鋭さを失ったわけではありません。それらは今、新たな言語として感情表現と融合し始めています。かつては外の社会に向けて発していた問いかけは、いまや自身の奥底を旅するような表現へと姿を変えました。素材や色、質感は、かたちをつくるものではなく、感情そのものを伝えるための手段になっています。筆の動きはひとつの文となり、彫刻の曲線は記憶を宿し、絵の重なりは、悲しみや力、そして再生といった感情の層をそのまま映し出します。彼の作品は、矛盾を解決しようとはしません。むしろ、そこにある緊張を抱えたまま生きること、痛みと超越、脆さと力。そのすべてをひとつの場にとどめておくこと。それこそが、彼の表現なのです。
『Seeded Floor』|インスタレーション
シャハル・タフナー:迷いを創作の源とするアーティスト
タフナーの代表作のひとつに、映像作品『Folk Dance』があります。この作品は、彼が映像アートに懐疑的だった立場から、表現手段として積極的に取り入れるようになる転機となりました。もともとこの分野にはあまり関心がなく、大学の課題に対する反発心から制作を始めたといいます。それでも、彼は既存の作品に倣うのではなく、自分の方法でまったく新しい形を生み出そうとしました。そうして完成したのが、鮮やかで皮肉に満ちた、そしてどこか切ない美しさをたたえた『Folk Dance』です。伝統的な踊りを披露する人々の映像に、ディスコの名曲「I Will Survive」を重ねることで、文化保存への新たな視点を提示しました。西洋のポップカルチャーを象徴するこの楽曲は、フォーク的な映像と重なり合いながらも対比を生み出し、グローバル化と文化の回復力について、複雑で多層的な批評性を浮かび上がらせています。
この作品は、観客だけでなく、タフナー自身にとっても驚きをもたらす体験となりました。映像アートに対する先入観が大きく覆され、自分自身を表現する新たな手段が見つかった瞬間でもありました。この出来事をきっかけに、映像は彼の多領域的な制作活動に欠かせない要素となっていきます。『Folk Dance』は、伝統的な物語を現代的な視点で読み替えるためのひとつの型を示しました。その中には、皮肉、批評、そして共感が同時に存在しています。作品はやがて国際的に評価され、さまざまな賞や展覧会への参加につながり、映像というメディアは、彼の中でコンセプトと感情、そして視覚的な直感をひとつに融合させる表現手段となりました。
この『Folk Dance』以外にも、彼の歩みには印象的な作品が点在しています。まだ非公開のものもあり、たとえば三連構成の大作『Collaged Reality』や、5年間かけてフレームごとに制作した映像作品などがあります。また、『Kiss Me Popcorn!』や『Seeded Floor』といったインスタレーションでは、手で触れられるような物質感と象徴性とを巧みに重ね合わせる、彼ならではのスタイルが際立っています。
『Kiss Me Popcorn』|映像アート・インスタレーション
ジュ・ド・ポームからジョアン・ミッチェルへ:パリでの啓示
もうひとつの大きな転機が、パリで訪れました。それは、アーティストとしての目的や姿勢を深く問い直すきっかけとなる体験でした。その日、彼はパリを代表する現代美術館のひとつ「ジュ・ド・ポーム国立ギャラリー」で、キュレーターとの面会に臨んでいました。チュイルリー庭園の向かい、オランジュリー美術館のすぐそばという特別な場所での面会は、キャリアの節目となり、自然と気持ちも引き締まったといいます。
面会のあと、閉館まであと30分というタイミングで、彼はオランジュリー美術館へ駆け込みました。できるだけ多くを見ようと急ぎ足で展示室を回っていた彼は、クロード・モネの『睡蓮』が展示されているロトンダに足を踏み入れた瞬間、すべてが静止したように感じたそうです。「磁石に引き寄せられたみたいでした。動くことができなかった。自分で自分を引き離すしかなかったんです」。
閉館間際、名残を惜しむように先を急いでいたところ、警備員から退館を促される直前に、ふと階段の向こうに目をやりました。そこで彼の視線をとらえたのが、ジョアン・ミッチェルの『The Goodbye Door』でした。そのときはタイトルも知らず、誰の作品かもわからなかったそうです。ただ、それを目にした瞬間、体の奥に何かが突き刺さったような衝撃を受けたと語ります。「それは、ただ“見る”という体験ではありませんでした。絵がそのまま心に突き刺さってきたんです。予期せぬ衝撃を受けたような感覚でした。あのとき、はっきりとわかりました。アートとは、こうでなければならない、と。」
『Bridge Watcher』|絵画
共鳴と直感
タフナーの芸術哲学は、シンプルでありながら根本的にラディカルなものです。アートは共鳴しなければならない。たとえ視線を外したあとでも、その響きが心に残り続けるようなものであるべきだと、彼は考えています。彼の作品は、明確なメッセージを伝えるためのものではなく、観る人の中に眠る何かを静かに呼び覚ますことを目指しています。タフナーは、素材や沈黙、振動といった要素に耳を傾けながら制作に向き合います。彼にとって創作とは、問題を解決するためのものではなく、何かを明らかにするためのプロセスなのです。
「知識には限界があります。でも、不可能の限界を定めるのは、無限の想像力なのです」
彼にとって想像力とは、現実から逃れるためのものではありません。むしろ、現実の境界を押し広げるための力なのです。沈黙と形のあいだ、論理と直感のあいだ。その隙間から、彼の作品は生まれてきます。
「恐れる者は、二度死ぬのです。一度目は、恐怖によって。そして二度目は…誰もが迎える、本当の死によって」